第六章 停滞からの

気が付けばルーが魔法を披露する日まであと一日に迫っていた。しかし、ルーはあの解呪魔法以外、習得できていない。

 俺も爺さんも何もしなかったわけではない。ルーも頑張っていた。

 ルーと再会したあの日は、俺との婚約のためにルーは普段の仕事を前倒しにしたり、後ろ倒しにしたりしていたらしい。だから、毎日ルーは多忙を極めていた。

 それでもルーは何とか俺との時間を作ろうとしたのだが、そういうときを狙ってかルーの下に様々な役人や大臣たちがやってくる。

 明らかに妨害工作以外の何物でもないが、行事の相談だったり、決裁文書の趣旨説明だったりと仕事上のものであるため無下にすることはできない。ファビアン公子も夜会の打ち合わせという理由をつけて何度もルーの下に足を運んでいた。俺と目が合うたびに、小馬鹿にしたような顔をしていた。やっぱり、コイツは嫌な奴だ。仕事が終わる頃にはベルナデット大公妃が何かと理由をつけてルーの部屋を訪れていた。

 昼間は、役人、大臣、ファビアン公子に、夜はベルナデット大公妃にルーの数少ない休憩時間を消費させられてしまっていた。

 ルーは睡眠時間を削っても構わないので俺に魔法を教えてほしいと言っていたが、そんな状態で魔法を習得してもルーの身体に大きく負担が掛かる。

 埒があかないので、ルーが初歩的な魔法を習得できない原因を俺と爺さんが考えることにして、ルーには仕事を頑張ってもらうことにした。

 俺と爺さんが、ここ何日間で検討した結果、本来であれば幼少期の魔力が育っていない頃に初歩的な魔法を覚えて徐々に難易度の高い魔法を覚えていくという過程を経るところ、ルーの場合、当初から魔力が高く、幼少期の拙い魔力操作では到底制御できるものではなかった。そのため、魔法を発動させようとした時に倒れてしまった。大人になった今、さらに魔力が上がってしまったために、増々制御不能になっているということだ。

 ルーの解呪魔法は、無系統魔法であるため他の魔法と発動条件が異なり、この法則に縛られないというのが俺と爺さんの見解だ。

 俺がルーの魔法について足踏みしている間に、少し進展したことがある。

 俺の盗まれた服のことだ。

 残念ながら、俺の服はボロボロの状態で見つかった。犯人は、ベルナデット大公妃の侍女たちだった。だが、俺の意味深なことばに反応した侍女は犯人に含まれていない。

 ベルナデット大公妃が、俺が婚約者候補だと知って、それが気に入らず自室で悪態をついているのを聞いて、彼女に媚を売るためにやったことらしい。

 ルーの下着を手に入れたのは、こういう事情だったらしい。

 俺が宮殿に来る前々日にルーと大公妃が夜遅くまで一緒におしゃべりをしていた。その翌日に、大公妃がイヤリングをルーの部屋に置き忘れたことが分かり、セリーヌにルーの部屋を開けてもらい、従者がセリーヌに声を掛けている間にルーの下着を盗んだとのことだ。従者は大公妃の侍女の一人と懇意の間柄だったらしく、この人物も一枚噛んでいたようだ。俺の言葉に反応した侍女は、俺への嫌がらせには加担しておらず、密告しないように他の侍女から脅されていたらしい。

 大公妃自身は、この事件のことを全く知らず、俺への嫌がらせを指示した覚えはないとのことだ。どこまで信じていいのか、大公妃の人となりを良く分からないので俺には判断しようがない。俺への嫌がらせに加担した侍女たちだが、グランフルールの人間ではなくブルイヤール大公国の人間であるので処罰できないらしい。ブルイヤールには事の顛末を報告しているので向こうに処罰を任せるしかないとのことだ。

 皇帝陛下は、今回のことについて申し訳ない、弁償して服を仕立て直すと言っていたが皇帝陛下の責任ではないので辞退を申し上げた。

「はぁ。あの服。俺が着終わったら、弟のどっちかに譲るつもりだったのに。」

 俺は滞在を許されている客間の窓辺に立ってため息をついた。

 ルーは執務室に籠って仕事をしているので俺は特に何もすることがない。

 ついこの前まで魔法を使えなかった人間に一週間以内に魔法を使えるようにするなんて無理難題だ。才能のある子供なら、一瞬で魔法を使えるようになるかもしれないが、ルーの場合、ある程度年齢を重ねているおまけに能力のバランスがあまりにも悪すぎる。

「なあ、爺さん。本当はルーがもっと幼いころに良い魔法の先生をつけて指導を受けるべきだったんだろうな」

 俺は手鏡で爺さんに連絡を取った。

 爺さんの後ろには大量の本が乱雑に置かれているのが見える。爺さんも色々と手を尽くしてくれようとしているのが痛いほど分かる。

「そうだろうな。今、それを言っても詮無きことであるが。当時は、殿下が魔法を使おうとして倒れたことの方が問題だったのだろう」

「皇帝の唯一の跡取りが亡くなる危険があるからな」

 この国はエクレールと違って、魔法にそこまで価値を見出していない。魔法を使える人間も帝国の人口当たりの割合はそこまで多くない。軍事力も生活水準も他国に比べて高いため、魔法が使えなくても生きていける。

 皇帝陛下がルーに魔法の勉強を禁じたのも無理はない。皇室としては、唯一の皇位継承者が亡くなる方がよっぽど問題だからだ。

「我が弟子よ。少し疑問に思ったのだが」

爺さんの目に力が宿る。

「殿下ほどの魔力を持っていたら、生きているだけで魔力の暴走を起こしそうなのに、今まで何も起きていないということはどういうことだろうか」

「そりゃあ、爺さん。聖剣のせいじゃないのか」

 俺の何気ない答えに爺さんの目がさらに険しくなった。詳しく聞かせろとその目は語っていた。

「俺も昔聖剣を一回使ってみたのだが、膨大な魔力を持って行かれてしまう。使うたびにあんなに魔力を持ってかれるのかとルーに聞いてみたら、そうでもないらしい」

「ほほぅ」

 爺さんの口の端が持ち上がる。俺の話に爺さんが興味を持ったようだ。

「どうやら、聖剣の適合者が初めて聖剣を手にするときに、聖剣が魔力を一定量吸収することで使用者として登録する仕組みらしい。二回目以降は、聖剣を握り続けることで魔力を微量に吸収されるらしいが大技を使わなければそこまでのことはないらしい」

「つまり、殿下は定期的に聖剣を使用することで魔力の暴走を抑えていると」

「多分、そう思う」

 俺も、爺さんに指摘されるまで気が付かなかったがそのようだ。

「ちょっと、待てよ。そういうことなら、聖剣でルーの魔力を適度に抑えながら魔法を使わせれば」

「行けるかもしれん」

 停滞していた問題に、少しばかり光明が見えてきた。

「では、我が弟子よ。早速、実証してみるか」

「いや…、それが今日は無理なんだ」

 残念ながら、今日は夜会が催される予定だ。ルーはギリギリまで仕事をし、その後は夜会の準備で俺と会う時間はない。俺自身は、夜会に招かれていないので客間で待機だ。

 ルーはそんな俺を気遣って夜会に参加するかと持ち掛けてくれたが、正式な婚約者でもない俺が参加しても物議を醸すだけなので断った。

「ルーに悪いが、明日は朝早く起きてもらうしかないだろう。ぶっつけ本番は怖すぎる」

「我が弟子よ。何かあったらまた連絡してくれ」

 ここでいったん爺さんとの通信を切った。



「失礼します。ロラン様。セリーヌです」

 セリーヌがドアをノックする音が聞こえ、俺はすぐにドアを開けた。

「セリーヌ、何の用ですか」

「殿下がお呼びです」

 今日はルーに会えないと思っていたが、話したいことがあったので助かった。俺は、セリーヌに先導されながらついて行く。

「ロラン、お呼びしてすみません」

 ルーの私室に通された俺は、夜会用に整えられたルーに迎えられた。

「いや、ルー、俺も会いたかったところだ」

 俺の言葉を聞くとすぐにルーの顔が火照りだした。そしてルーは、なにやらブツブツと呟いている。この反応は何だろう?

 俺としては、今日、爺さんと話したことをルーに伝えたいがルーの意識がどこかに行ってしまっているのでこれでは伝えようがない。

「殿下、悶えていないで早くご用件を」

 セリーヌが咳払いをする。

 ルーがぼーっとしているのは仕事が忙しくて精神的に参ってしまっているのかもしれない。

「あっ、そうでした。イネスからこれを送られてきまして」

 現実に戻ったルーが取り出したのは、青い宝石がはめられたブローチだった。

「これは…魔法石か。珍しいな」

 俺はルーからブローチを受け取り、窓辺に向かってかざした。サファイアによく似た宝石だが、輝度は高くなく、中心に深く飲み込まれそうな黒さがあった。

「『この石に最後の仕上げをロランにしてもらって夜会で身に着けるように』と手紙に書いてあって」

「最後の仕上げ…ああ、そういうことか。魔法が盛んな国では自分の魔法を込めた石を恋人に贈るという習慣があって」

「こ、こ、こ、こ、恋人ですか?」

 ルーが明らかに動揺している。俺は異国にある習慣を説明しただけなのだが、ルーの挙動がおかしい。やっぱり疲れているのかもしれない。

「ルー、大丈夫か」

 俺がルーの顔を覗き込むと、ルーはさっと顔を背けた。

 はて?俺はルーに嫌われるようなことをしただろうか。

「ロラン様、どれだけ朴念仁なのですか」

 セリーヌの声がどことなく冷たい。

「ルーの様子がおかしいことくらい分かっていますよ。ルー、今日の夜会は欠席した方が…」

 俺が声を掛けるとルーは顔だけでなく、体も俺から背けてしまった。

「殿下の様子がおかしいのは、ロラン様のせいですよ。一から説明しましょうか?」

 セリーヌの声がさらに険を帯びていく。

 俺のせい?俺は何かしただろうか。

「ではお分かりいただいていないので、不肖セリーヌめが説明いたします。殿下がロラン様をお呼びしたところ、ロラン様が開口一番『俺も会いたかったところだ』とお答えになられて、殿下は舞い上がってしまいました。」

 ん?ルーは舞い上がっていたのか。俺も丁度ルーに会う用事があっただけなのだが。

「どうやら、ロラン様は無自覚で殿下を口説いていたようですね」

 セリーヌがわざとらしくため息をついた。

 え?あ?俺が言った『会いたかった』は、ルーが恋しくて会いたかったと解釈されていた???

「ロラン様、それだけではありませんよ。現実に帰った殿下がロラン様をお呼びした用件を告げたところ、ロラン様から、恋人同士がすることだという説明を受けて、殿下は、これからお二人で恋人らしいことをするということに胸が高鳴って…」

「セリーヌ、もう黙って!」

 完熟したトマトのように赤くなったルーが大声で制した。

「ルー、体調が悪いわけではなさ……そうだな」

 体調が悪かったら、こんな大きな声出ないよな。

「……ロラン、この宝石にどんな魔法を込めてくださるのですか」

 ルーがさっきと打って変わって、消え入りそうな声で話した。

「そうだな、典型的なのは恋人が生命の危機を迎えたときに魔法石が一度だけ身代わりになって守る魔法とか、傷を癒す魔法とかそんなところだな」

 ルーは帝国の四大将軍をまとめて倒すだけの実力があるから、少々の相手ではそんな危機にはならなさそうだ。となると、身代わりになる魔法も癒しの魔法もあまり意味がない。あとは、何があるかな。そうか…、あれはどうだろう。

 俺は、魔法石に強く願いを込めて魔法を込めた。

「ロラン、どんな魔法ですか」

「魔法の抵抗力を上げる魔法だ。最近、エクレールからの流れ者が帝都にも潜んでいるという噂を聞いたから念のため」

 エクレールの情勢が悪化の一途を辿っているらしく、世界各地にエクレール出身者が散らばって、潜んでいるらしいと少し前にルーから聞いていた。

 帝国ではあまり魔法が盛んではないので、いきなり魔法を使われたら、特に精神を操作する魔法を使われたら、抵抗する術があまりない。

「今日の夜会も、外国からのお客様が多いのでその中に紛れていることもあるかもしれません」

 セリーヌがルーにショールをふわりと掛けた。

「では、ロラン様。殿下のショールにそのブローチで留めて差し上げてください」

 俺はセリーヌに言われるがままルーのショールをブローチで留めた。

「ロラン様、意外と手馴れておりますね」

 セリーヌが面白くなさそうな顔をした。

 おそらくセリーヌは恋愛免疫ゼロの男がドキドキしながらブローチを留める図を想像していたのだろうが、残念ながらそうはいかない。

「昔はイネスの着替えの手伝いをさせられていたから」

「…普通、そんなことしますか?」

 セリーヌの眼鏡の端がギラリと光る。

「クローデル家のメイドは、なぜか着付けが不得意で。これはあんまりだと思って、おれがちょっと直したら、それ以降、最後の仕上げは俺がすることになっていた。ひどい時は結局下着から全部取替え…」

「ちょっと!ロラン。イネスの裸を見たのですか!」

「イネスが8歳までは…、それ以降は流石に」

 クローデル家は新興貴族であるため、貴族社会のパイプが乏しく、信頼ができて、かつ能力の高いメイドを雇うのに苦労している。急激に大きくなったゆえの弊害だ。

「それでも、ダメです!!絶対に外に向けて言ってはいけませんよ!」

 ルーがすごみを利かせてくる。俺は黙って頷いた。

 パーティから帰った後、イネスの方から「ロラン~!ドレスがきついから脱がせて~」と言っていたことは黙っておこう。

 あと、背中のファスナーを下ろすのは今でも時々頼まれている。俺が一瞬でファスナーを下げると、イネスは「ありがとう~!」と言って脱ぎ掛けのドレスのまま自室に入ってベッドに突入している。

「そういえば、ルー。もしかしたら魔法が使える可能性が出てきた」

「そうなんですか」

 ルーの顔がぱっと明るくなる。

「明日、朝早めに起きてもらうのと聖剣も準備してもらってもいいか」

「聖剣を…?ロランがそう言うのでしたら。分かりました」

 ルーが小首を傾げる仕草をしたが、特に反対するふうではなかった。

「じゃあ、俺はこれで…」

 明日の予定を確認し終えて俺はルーの部屋を辞そうとした。すると、ルーが目を閉じて俺を見上げていた。

「え…」

 俺がたじろいでいると、セリーヌが「今度こそ何をやればいいか分かっているだろうな!」と怒りのオーラが見えそうな雰囲気で俺をにらんでいた。

 セリーヌ、そんなに怒らなくても。この部屋、セリーヌだけじゃなくて、侍女が三人いるのにそんなことしていいのか?

「ルー、また明日」

 俺はルーと唇を重ね、すぐに離れた。

 ルーは俺に手を伸ばしかけたが、そっと腕を下げた。俺と離れるのが名残惜しいと思ってくれたのかもしれない。

 俺は、ルーの髪型が崩れない程度に軽く撫でて部屋を出た。

 いくらルーのことを好きでも、人前でこんなことをするのはものすごく恥ずかしい。

 大浴場のときもそうだったが、従者や侍女を風景と思えと言われても無理がある。現に、一番若い侍女は俺たちの様子を見て勝手にときめいていた。

 できることなら、ルーと二人きりの空間で思いっきりイチャイチャしたい。この宮殿に完全に二人きりになれる場所はあるのだろうか。いくら人払いをしたところでセリーヌ辺りは、いつでも駆け付けられるように部屋の外で待機しているだろうし。

 いっそのこと、魔法で空間を作るか。魔力を馬鹿食いするが、誰にも見られることも、聞かれることもないし、俺の好きなように部屋を作れるし、うん、いいかもしれない。

 と、ひとしきり妄想を繰り広げてみたが、明日ルーが魔法を使えることを陛下や大臣たちに証明しない限り、この妄想を現実のものにすることはできない。

「バカらしい」

 一人冷静に戻った俺は、静かに客間に戻った。



 明日の朝まで特にすることのない俺は、宮殿内にある図書室から借りた本をぼんやりと眺めていた。

 本を読んでいても、内容があまり頭に入ってこない。何か別のことを考えようとしてもやっぱり明日どうなるかということが頭によぎっているせいだろう。

 夜会は既に始まっており、耳を澄ますと会場に流れるオーケストラの音楽が漏れてきている。

 こんな状態で本を読んでも仕方ない。窓でも開けて、夜風に当たろう。

 バルコニーに出ると、夜会の参加者が外に出て集まっている姿が見えた。暗いせいか、どこに誰がいるのかまでは見えない。あの中にルーもいるだろうか。こんな宵闇の中じゃ、分かるわけがないよな。

 そう思いながら、夜会の参加者たちを眺めていると、その中にわずかに光を放つ生地を纏った人物がいた。 

 その人物は長い金髪のすらりとした体型の女性だった。顔までははっきり見えないが、多分ルーだろう。声を掛けたい衝動に駆られたが、そんなことが許される身ではないのでやめておいた。

 それにしても、普通なら会場でダンスをしているはずなのに、外に人が集まっているということは何かあるのか?

 突如、夜空に花火が上がった。花火は次から次へと上がり、中には色が変化していくものすらあった。

 花火なんて初めて見たが、実に美しい。

 できることなら、ルーと二人で花火を眺めたかった。花火鑑賞だけじゃない、もっと色々なことをルーとやりたい。

 お忍びデートと称しながら、どこからどう見てもバレバレでちょっと離れたところに護衛が歩いているとか、木陰でピクニックをしていつの間にか膝枕されているとか、そんなベタなこともしたい。

 俺の中でどんどんルーの存在が大きくなっているのが嫌というほど分かってきた。ルーと友人でいられるだけで充分だと考えていた先週までの自分の胸倉をつかんでビンタを食らわせてやりたい。

 ルーとの婚約が実現するかは、明日にかかっている。

 考え事をしている間に、花火は打ち終わっていたようだ。夜空が花火から出た煙のせいで霞んでいた。

 俺の今の気持ちとおなじような空模様だ。



 明日に備えて、一休みしようと思っていたら廊下が騒がしくなっていた。

「何かあったのですか」

 部屋を出て、忙しそうにしている使用人に声を掛けた。

「いえ、何でもありませんっ」

 けんもほろろという雰囲気で言い切られ、俺の前を去っていく。

 この男の他にも、声を掛けてみたが全て同じような反応だった。

 廊下をしばらく歩いていると、軍人たちが何人かの隊に分かれて早足で歩いていた。

「あの…」

 俺が声を発すると

「邪魔だ、どけ!」

 と高圧的な態度で俺を押しのけるように歩みを進めていた。

 明らかに何か起きているのに誰も俺に教えたくないようだ。どうしたものか。

「お兄さん、お兄さん。こんなところで何をしているんだい」

 ひょろっとした体型の兵士が俺の前に立っていた。この人は……、凸。俺がファビアン公子と決闘したときに居合わせた兵士の一人だった。名前は聞いていなかったな。とりあえず、凸のままでいいか。

「辺りが騒がしいので何かあったのかと」

「何かあったどころじゃないさ。あんたのことが大好きなお姫様がさらわれたんだ!」

 アンタノコトガダイスキナオヒメサマ??

 そんな人物はいないと、少し前ならそう思っていたが……ありがたいことに一人いる!

「ルー、いや、マリー=ルイーズ皇太女殿下がさらわれたのですか」

「しー、兄ちゃん声がデカいって。このことは公になっていないんだから」

 その声とともに俺は背中を叩かれた。

 後ろを振り返ると、がっしりとした体形のあまり背の高くない兵士がいた。こんなことをするのは、やっぱり凹だ。

「今、捜索隊を編成しているところで俺たちも駆り出されたんだ」

「皇帝陛下宛てに身代金を要求する手紙が来たんだ。兄ちゃんも心配だろう」

 凸と凹のおかげでやっと状況が分かった。しかし、あのルーがさらわれるのか?

「おや、兄ちゃん、あんまり心配そうじゃないな」

「さらわれたのが本当にマリー=ルイーズ皇太女様なのでしょうか?」

「おや、お兄さん、それはどういう意味だい」

「マリー=ルイーズ殿下がおとなしく人質になるとは思えません」

 ルーは普段から毒には警戒しているし、薬を嗅がされそうになったとしても瞬時に相手を倒せるはずだ。それどころか、ルーに勝てる奴は帝国内にいるのかどうか。

「確かに、殿下なら隙をついて誘拐犯を一網打尽にしそうだな」

う~ん。俺と凸凹コンビがこの違和感を共有していると

「何やら騒がしいですが、どうかしたのですか」

 鎧を身に着けた女剣士が現れた。フードをかぶっているので顔はよく見えないがこの声は間違いない。

「ルー、何でここにいるの?」

「夜会に出たのですが、うかない顔をしているのをお父様に気が付かれてしまって、休んでいなさいと言われて…」

「部屋で休んでいても落ち着かなくて一人で稽古していた、と」

 俺の指摘に、ルーがばつの悪そうな顔をする。

「私の考えが良く分かりましたね」

「長い付き合いだからな」

 一緒に遊んだのは十年前の夏だけだが、手紙のやり取りは何度もしている。ルーの考えそうなことはなんとなく分かる。

 ルーを見ると、その手には美しい意匠が施された剣が握られていた。おそらく、これが聖剣ブランシュネージュだろう。

 俺も十年前に使ったらしいが、細かいことは覚えていないのでこれが本当に聖剣かどうかは分からない。

「殿下が無事ということは、お兄さん、さらわれたのは誰になるんだろう」

「さらわれたとはどういうことですか?」

 ルーの目が大きく開いた。そこで、凸凹コンビがこれまでのいきさつを話した。

「私が離れている間にそんなことが…」

「さらわれたのはルーじゃないってことは」

「……、叔母様は部屋にお戻りですか?」

 ルーがポツリと呟く。

 残念ながら、凸凹コンビも俺も大公妃殿下に近づける立場にないのでルーの質問に答えられない。

 事情の知っていそうな者に当たってみるかと凸が提案しかけたそのとき、

「だ、誰か!ベルナデット大公妃殿下をお見掛けしていませんか」

 取り乱した女中の声が響き渡った。

「ルー、やっぱり」

「叔母様を私だと勘違いしてさらったのだと思います」

 ルーとベルナデット大公妃はとてもよく似ている。しかし、そんなミスをするだろうか。

「いくら似ているとはいえ、さらう人物を取り違えるなんて。杜撰だな」

「いえ、ロラン。勘違いする要素があったのです。叔母様が花火を見ようと外に出たら寒そうになさっていたので私の羽織っていたショールを貸してあげたのです」

 ルーらしき人物が光って見えたのはショールのせいだったのか。客間から俺が見たのは、ルーだったのか、それともベルナデット大公妃だったのか。

「どうしてそのショールをつけようと思ったの」

「今日お越しになった特使の方からの贈り物で、せっかくなので付けさせていただいたのですがこんなことになるなんて」

 ルーの手がわずかに震えている。フードで隠れて見えないが顔色も良くないのかもしれない。

 もしかしたらそのショールはルーを誘拐するための小道具だったのかもしれない。

「えーっと」

 俺は凸に声を掛けようとしたが名前を知らないので、話をどう続けようか

「お兄さん、俺はヨハンっていうんだ、ちなみにこいつはジャックね」

 やっと凸凹コンビの名前が判明した!凸がヨハンで、凹がジャックか、よし、覚えたぞ。

「ヨハンさん、ルーに贈り物をした特使から事情を聴くように上司の方にお願いしてもいいですか。最近帝国内に潜んでいる怪しい連中と関係があるかもしれない」

「はっ。次期皇配様の仰せのままに」

 ヨハンは俺に向かってわざとらしく敬礼した。

 次期皇配様って何?皇帝の配偶者って意味か?俺、本当にルーと結婚できるの?明日には婚約指名が取り消しになるかもしれない崖っぷちだぞ。

「兄ちゃん、殿下とお幸せに」

 ジャックは以前と同じように俺の背中をバシバシと叩く。だから、勝手に決めつけるな。

「叔母様が心配です。ロラン、叔母様の監禁場所が分かればいいのですが」

 ルーが俺にしな垂れかかる。やっぱり、ルーに無理をさせられない。休ませてあげなくては。

「ルー、部屋で休んでいたら」

「いえ、そうも言っていられません。ロラン、叔母様に関する情報を集めて探さないと」

 フードを覗くといつもの意思の強そうなルーの目が見えた。

「一つ確認するけど、あのショールにつけたブローチは今どこにある?」

「それなら、ショールと一緒に叔母様に」

 それはいいことを聞いた。

「ロラン、何か思いついたのですか」

 ルーが俺の頬に手を添えた。この手を取って頬を擦り付けたいが、不謹慎な男と思われたくないのでグッと我慢しよう。

「監禁場所が分かるかもしれない」

「ほ、本当ですか?」

 ルーの声が少し高くなる。

「あのブローチを誰かに奪われたり、壊されたりしていなければ…の話だけど」



「ベルナデット大公妃殿下がいらっしゃる可能性がある場所はここです」

 俺は地図の一点を指した。

 ここは、グランフルール帝国の軍部の会議室。皇帝陛下、軍務大臣、四大将軍、ルーと俺が地図を乗せたテーブルを囲んでいる。なお、内通者がいる可能性を考えてベルナデット大公妃がルーと間違えられてさらわれたことは、この会議室にいる者と限られた人物しか知らない。大公妃殿下がいないと叫んだ女中には自分の勘違いだったと言わせておき、ベルナデット大公妃の影武者を急遽仕立てた。

「ここは、シモン子爵家の別宅だったところだ。子爵家当主が犯罪に手を染めて、去年私が取り潰しを言い渡したから住んでいるものはいないはずだ」

 皇帝陛下は俺が示したポイントをじっくりと見つめる。

「陛下、本当にこの男の言うことを信じてよいのですか」

 将軍の一人が眉を顰めた。

「確かに、この場所にベルナデット大公妃殿下がいらっしゃるか保証しかねます」

 この場にいるすべての人間が俺に顔を向ける。注目されずに生きていきたかった俺としてはその視線が痛い。『目立たず、堅実に』という当家の家訓はどこへやら。

「偶然、私の魔力を込めた装飾品をベルナデット大公妃殿下がお持ちだったので魔法を使ってそれを追ったまでのことです。別の人物の手に渡ったか、どこかに打ち捨てられていた場合は、ベルナデット大公妃殿下の居場所を示していないことになります」

 俺の言葉を聞いて、将軍たちが俺に聞こえない声量で話し合う。

「ロラン君、それは魔法を嗜むものならだれでもできるものなのかい」

「いいえ、陛下。特定の人物の魔力を追うということは高度な技能を必要とします。しかも、今回は自分の魔力とはいえ、物体に込めた微量な魔力を追うことができる人物はそうそういないと思います」

 人命が掛かっている緊急時だから仕方ないが、自分の手の内を明かすのは苦しいものがある。しかも、自分すごいぜ!と皇帝陛下に売り込んでいるみたいですごく嫌だ。

「ロラン殿、魔法の師は一体どなたですか」

 赤毛の立派な体躯の将軍が俺の前に立ちはだかる。この人、口調は一応丁寧だが身体全体の圧力がすごい。

 ここで爺さんの名前を言おうものなら、良い印象は得られないだろう。爺さんは『魔法兵器リオネル』と呼ばれ、帝国で畏怖と憎悪の対象になっている。爺さんの亡命が認められたのが奇跡なくらいだ。

 さて、どうしたものか。

「ガエル将軍。ロランの師についてはみだりに言ってはならないそうです」

 すかさず、ルーが助け船を出してくれた。

「そうです。申し訳ありません。師匠は世間とのかかわりを極力断っているため、名前を言いふらさないように固く注意されております」

 俺はルーの話にすぐ合わせると、ガエル将軍は不承不承ではあるが追及してこなかった。

 またしてもルーに助けられてしまった。本当にこういった駆け引きが俺は未熟過ぎる。ルーの隣に立つには俺では力が足りないと嫌でも実感させられてしまう。

「さて、ベルナデットの居場所と思われるところが分かったということで誰が乗り込むべきか」

「私が行きます!大公妃殿下がどこにいらっしゃるかは、建物の中に入らないと正確には分かりませんので」

 居場所が分かると言った手前、俺が名乗り出るしかない。

「それが適任だろうな。護衛をつけるので後方で場所を示してくれるだけでよい」

「陛下、ロランが行くのでしたら私も!」

「マールは残りなさい。お前まで失ったら帝国はどうなると思う」

 陛下の言うとおりだ。ただ、それが分からないルーではないが…。

「それならば私は何度も戦場に足を踏み入れております。なんとしても叔母様をこの手でお救いしたいのです」

 皇帝陛下に怯むことなくルーは迫ってくる。

「恐れながら陛下、ルー…マリー=ルイーズ皇太女殿下はこの場にいる中で一番強いお方と考えます。万が一のことを考えて、守りに長けたものをお連れしてはいかがでしょうか」

 なんてこった。気が付いたときには、もう遅い。

 俺の口からとんでもない言葉が飛び出してしまった。俺は皇帝陛下に向かって偉そうなことを…。というか将軍たちに対する侮辱ともとれる発言だ。

 痛いくらいに俺に対する視線が集まってきた。

「ロランの言うとおりです。ぜひとも私に行かせてください!」

 いたたまれなくなって身体を縮める俺とは対照的にルーは自信に漲っていた。

「本当なら力づくでも止めさせるべきだが、ロラン君の言うことにも一理ある。マール、私の信頼のおける部下をつけるから行ってきなさい」

 皇帝陛下は、根負けしたという風にため息を一つ吐く。

「陛下、ありがとうございます。必ず叔母様を無事に連れて帰ります!」

 ルーは、ビシっと姿勢を正して敬礼をした。



「ここに叔母様がいらっしゃるのかもしれないのですね」

「ああ、ブローチを付けたままなら」

 ブローチの魔力の反応は、シモン子爵家の元別邸の3階部分だ。

 俺とルーは元別邸の近くに潜めていた。ルーと俺のほかに近衛隊の騎士が五名、お目付け役としてガエル将軍が待機している。

 俺たちは偵察に行った諜報員の報告を待っていた。 

「殿下。思ったより人が多く潜伏しているようです。見える部分だけでも二、三十人はいるかと」

 諜報員は音もなく俺たちの前に現れ、淡々と報告した。

「あの建物は地下室もあったはずですから、実際の人数はもっと多いと考えて良さそうですね」

 ルーは顎に手を当てて考え込む姿勢を取る。その仕草が皇帝陛下とどことなく似ていた。

「殿下。一度宮殿に戻るか、増援を呼びに行きましょうか」

 俺たちとあまり年の変わらなさそうな近衛騎士が一歩前に出た。

「いえ、そうしているうちに状況が悪くなるおそれがあります。制圧は無理にしても叔母様の救出だけはしたいところですが…」

 ルーはちらりと俺の方を見た。

 ルーの考えていることは分かっている。─ロラン、何かいい作戦はありませんか?─そう言いたいのだろう。

 ふむ、困った。大公妃殿下が監禁されている場所は元別邸の3階。とはいえ、3階のどの部屋にいるかはもっと近くに行かないと分からない。

 正面から突入しても、裏口から潜入したとしても、中に入ってしまえばこちらは少人数のため分が悪い。

敵に消耗戦をやられてこちらが3階にたどり着く前に大公妃の命を奪われてしまっては意味がない。

 二手に分かれて、一方は敵の虚をつき、その隙にもう一方が潜入するのが良いか。しかし、精鋭ぞろいとはいえ二手に分かれるほどの人数でもない。

「ロラン、叔母様の命が掛かっているのです。出し惜しみはなしですよ」

 うっ、ルーが俺に追い打ちを掛けてきた。

 ルーは俺に期待しているのかもしれないが、俺は物語に出てくる完全無欠のヒーローではない。ましてや、子供向け物語に出てくる、冴えない主人公にねだられて便利な道具を出す使い魔の猫でもない。

 俺は貴族社会で爪弾きにされている男爵家の三男だ。風が吹けば家ごと吹っ飛ぶような塵芥の存在なんだぞ。

 ルーの期待にこたえられるか分からないが、何かいい手を思いつかないといけない。

 敵の数を減らす方法。要は敵との接触を減らすか、建物からまとまった人数を外に出させればいいはずだ。そうなると、

「ルー、今から言う3つの方法で好きなのを選んで」

 俺の言葉にルーがゆっくりと頷く。

「①元別邸周辺に雷鳴を伴った嵐を起こす。②元別邸の一角でボヤ騒ぎを起こす。③元別邸の敷地限定で地震を発生させる」

 ルー以外の人間が『コイツ何を言っているんだ』という顔をしていた。

 無理のない反応だ。

 ①と③は俺が天候を操る怪しい人間にしか見えないだろう。②は簡単だが延焼のおそれがあるし、万が一大公妃が監禁されている部屋の近くなら命の危険がある。

「叔母様は雷がお嫌いです。なので①以外でお願いします」

「よし!①で行こう!」

「ロラン、私の話を聞いていました?」

 ルーの瞳が一気に険しくなる。

「冗談だ。大公妃殿下が半狂乱になって予想外の行動を取られたらたまらない」

 俺とルーの婚約に水を差した大公妃に嫌がらせしてやろうかと悪い心が芽生えたが引っ込めることにする。

「それじゃあ、安全第一を心掛けながら②を実行しよう。作戦の詳細は…」

 俺は、ルーを含めた人間に手早く作戦を説明した。

「ロラン、早速実行しましょう!」

「本当にできるのですか?」

「殿下。この者を信用して良いのですか?」

「……理解しかねますが、他の諜報員を集めてきます」

「よく分からんが殿下が信じるのならば」

 それぞれ表現に違いがあるが、ルー以外の者は懐疑的だった。



 元別邸の一角から火の手が上がり、煙が一気に充満していった。

 これは全て俺の幻惑魔法が作り出した火と煙だ。

 煙は幻惑魔法だけでなく、リアルさを増すために魔法抵抗力の高い諜報員がこそっと発煙筒を忍び込ませた。そこに諜報員が外から、「火事だー!」「早く逃げろー!」など騒ぎ立てて、恐怖心を煽った。

「ゴホッ、ゴホッ。なぜ火の手が…」

「ここで死ぬのはごめんだ」

「人質は…」

「あんなもの放っておけ」

 元別邸の扉や窓から、様々な男達が一斉に飛び出してきた。男達は服装や体格がバラバラで、どうやら不法入国者の寄せ集めのようだ。

 残念ながら大公妃を連れて出てくれる奴はいないようだ。皆、自分の命が大事らしい。

「大公妃殿下も一緒に連れて出てきてくれたら手間が省けたんだけどな」

 俺はポツリと独り言を呟く。

「ロラン、私、あの者たちが許せません!」

「殿下、一緒に締めてやりましょう!」

 ルーにとっては大好きな叔母、ガエル将軍にとっては尊敬する皇帝陛下の妹君をないがしろにする姿勢が気にくわなかったのだろう。

「敷地に入ったら幻惑に掛かるから危険だ。あいつらが敷地から出たら好きにして構わない。」

 俺の言葉を聞いて、ルーと将軍の目が怪しく光った。

 ルーは、男達が元別邸の門を出た瞬間に、常人には目にも止まらない速度(俺には何とか見える速度)で彼らをなぎ倒し、悉く意識不明にさせる。

 将軍は将軍で、元別邸から新たに逃げてきた男達とルーが倒した男達をまとめて大盾で一気に袋小路に押し込んだ。ルーもすごいが、将軍は攻城兵器か?

 剣聖、怖っ!将軍も怖っ!

 諜報員たちが袋小路で待ち構え、一人残らず、男達を縛っていった。

 こうして、捕らえられた男は二十三人。元別邸の中にもまだ残っている者は何人かいるだろうが、戦う気力のある奴はかなり少ないと思われる。

「さて、こんなところかな」

 俺は、幻惑魔法を解いた。

 新手が出ないのを確認し、俺たちは元別邸の正面玄関前に移動した。

「ロラン、早く私を3階に上げてください!」

 普通に正面玄関を入って階段を上れば済むと思うけど…。不安なものを感じてルーを見ると、ルーは屈伸運動をし、助走できるだけの距離を取っていた。

「まさか、ルー、あれをやるつもり?」

「今の私なら3階まで上がれるはずです」

 この人、本気だ。

 十年前と同じこと、いやそれ以上のことをしようとしている。

 当時の俺たちは、勉強をしている振りしてこっそり塀を超えて遊びに出かけていた。

 当時の俺は未熟だったので自分以外の者に飛行魔法を掛けることはできなかった。そこで、思いついたのが走ってジャンプするルーの足を補助して塀を飛び越えさせるというものだった。そのすぐあと俺が飛行魔法で塀を超えた。

 塀を飛び越えた後は、二人で野山を駆けまわって遊んでいた。後で怒られるのは分かっていたがあれは楽しい思い出だった。

 いやいやいや、思い出に耽るのは後でいい。

 ルーが俺の補助で3階まで飛ぶつもりとは恐ろしい。仮に3階まで飛び上がっても窓は全て閉まっているから、空中で聖剣を使って窓を破壊して突入するんだろうな…多分。窓ガラスが割れてルーの顔や手にけがをしたらどうしよう。中に入っても単独で突入することになるからその策は絶対に不採用だ!

「ルー、昔と同じことをしなくても、ここにいる全員に飛行魔法を掛けることはできるよ」

「そ、そうなのですか。成長しましたね、ロラン」

 ルーが若干つまらなさそうな顔をした。

 結局、建物内に残った人間の状況を確認しながら進む必要があるためルーがジャンプして3階に突入することも、俺が飛行魔法で全員を3階に上げることもなかった。

 


 元別邸に入った俺たちは周囲を警戒しつつ、3階までたどり着いた。建物内に何人か残っていたが、多くは俺の幻影魔法が効いたらしく、出口に頭を向けて倒れていた。

「もう火の手がここまで…」

「煙が…。く、苦しい息ができない」

 男達は口々に苦悶の表情を浮かべながらうわ言を言っていた。俺の魔法の効果が切れていないのだろう。きっと彼らは火事から逃げ遅れた悪夢でも見ているのかもしれない。

「ブローチの反応があるのは、この部屋です」

 俺は目の前にある扉を指さした。

「叔母様!」

 ルーが駆けだしそうになるのを、将軍が力づくで止める。

「鍵が掛かっていますね」

 近衛騎士の一人が扉を調べた。

「でしたら、私が壊して開けます!」

 ルーは、聖剣を握る手にぐっと力が入る。ルーに任せたら扉だけじゃなくて、中にいるかもしれない大公妃殿下まで怪我しないか不安だ。

「ロラン、心配しないでください」

 ルーが爽やかな笑みを浮かべて俺を見る。俺が何を考えているのか分かったんだな。

 ルーは将軍を下がらせ、聖剣に力を込める。聖剣がほのかに光を帯び、ひと呼吸を置いてルーは一気に扉の周りを切り取った。

「ガエル、頼みます!」

「ぬぅぅぅん!」

 扉が部屋の内側に倒れる前にガエル将軍が持ち上げて壁に立てかけた。見事な連携だと言うしかない。

「殿下、まずは私が様子を確認します!」

 近衛騎士がルーを制止し、部屋の中を確認する。

 部屋の中には、椅子に座らされた状態で目隠しと後ろ手で縛られた状態のベルナデット大公妃がいた。見張りをしていた人間はすでに逃げ出していたのか、部屋には大公妃以外誰もいなかった。

「叔母様!」

 ルーが一気に駆け寄る。

「マール!こちらに来てはいけません」

 ルーの声に気が付いた大公妃が叫んだが、ルーの駆け出した足は止まらない。

大公妃を中心に地面が赤く光り出し、紋様が浮かび上がる。

「まずい、ルー。敵の罠だ」

 大公妃とルーを包み込むように強い光が放たれた。俺は、あまりの眩しさに思わず目を閉じる。

 光は一瞬のうちに消え、俺が目を開けると大公妃の傍にいたはずのルーが消えていた。



「くそっ!」

 俺は座り込んで地面にこぶしを叩きつけた。

「やはりマリー=ルイーズ皇太女殿下をお連れするべきでなかった」

 ガエル将軍は力なく膝をつく。

「情けない!そんなことをしてもマールは戻ってきませんよ」

 ルーによく似た声が俺の耳に飛び込んできた。その声の主はルーの叔母・ベルナデット大公妃だ。

「今できることを考えなさい」

 彼女は、一向に立ち上がろうとしない俺に容赦なく浴びせかける。

「そこのもやし、聞いているの?」

 今度は俺の襟首を掴んで持ち上げようとする。だが、大公妃はルーと違い、力がないので俺の身体は動かすことはできない。

 それにしても俺のことをもやしって、俺はそんなに貧弱に見えるのか…。背が高く、手足が長くて多少細身ではあるが、そこまでじゃないと思ったんだが。

「ベルナデット大公妃殿下。申し訳ない。私がついていながら」

 俺の横でガエル将軍が額を床に擦り付けて謝罪をする。

「そんなものはいらない。もやし、あなたはどうなの」

 大公妃は将軍を一瞥した後、俺の耳元で低い声色で語り掛けてきた。その声は研ぎ澄まされたナイフのようだった。

 大公妃の言うとおり、ここで嘆いても喚いても状況は変わらない。

 頭を使え。

 状況を整理しろ。

 打開策を見つけろ。

 ルーが消える前の状況から考えてみよう。

 大公妃の周りに浮かび上がった紋様は、魔法陣だ。あの紋様は……転移魔法陣だったはずだ。なら、ルーがどこかにいるはずだ。

 ただ、転移先が帝都外だとルーを見つけるのに時間が掛かるし、その間にルーが殺される可能性だってある。どうしたものか。

「あの、ロラン殿。殿下を魔法で探すことはできないのですか。あ、でも殿下は魔法が使えないから魔力があまりない…か…も?」

 額を赤くにじませたガエル将軍が声を発してみたものの、だんだん尻つぼみになる。

「……そうか。その手があった」

 俺の目の前に微かだが一筋の光が見えた気がした。

 ルー、どこにいる。

 俺はルーの魔力を探るべく探知魔法を発動させた。

 俺の魔法の探索範囲外にいる可能性があるから、何度か移動しながら魔法を発動させる必要があるかと思ったが、ルーの居場所はあっけなく見つかった。

 ルーがいる場所はこの建物の地下室だった。

「思ったより近い場所にいたのね」

「大公妃殿下、命に代えても私が殿下を救いに参ります」

 ガエル将軍が大公妃の足元に跪いた。

「そう。さっさとマールを助けにいきなさい」

 大公妃は将軍と俺を追い払うかの如く手を振る。

「お前たちはベルナデット大公妃殿下を保護し、宮殿にお連れしろ。マリー=ルイーズ皇太女殿下は、私とロラン殿でお救いする」

 ガエル将軍が引き締まった表情で指示を出す。

「しかし、将軍はともかく、ロラン殿は…」

「お前たちも見たであろう。あくまでも私の勘だがこの場にいる者の中で一番強い」

 将軍が俺の肩を片手でがっしりと掴む。

「ただのもやしではあるまいて」

 明らかに将軍の手は確実に俺の筋力を探っている。ちょっと魔法に長けたヒョロヒョロの若者だとは思っていないようだ。一番強いって、将軍を除いてという意味であってほしい。

「では、ロラン殿お気をつけて」

 将軍の言に半信半疑の表情を浮かべた近衛騎士の一人が俺に剣を差し出した。

 そうと決まったからには一刻も早くルーを助けに行かなくては、と駆けだそうとすると

「ところで、もやし。魔法陣が発動したとき、私はどうしてマールと一緒に転移しなかったのかしら」

 大公妃に呼び止められてしまった。

「そのブローチのせいですよ。魔法抵抗力を上げる効果を俺が付与したから。」

 俺が想定していたのは、ルーを狙う奴が呪いを掛けたり、強力な魔法で攻撃したりしたときに対抗できるようにということだったんだが、まさか魔法陣の魔法を無効化するレベルだったとは。ちょっと魔力を込め過ぎたか。

「となると、大公妃殿下。ロラン殿がこの建物全体に掛けた幻惑魔法も効果がなかったのでは?火事だと勘違いした輩がいたはずですが」

「目隠しされていたから状況は分からなかったけど、私を監視していた奴は火事だと叫んで出ていったわ。多少の焦げ臭さは感じたけど、燃えている感じはなかったもの」

 俺の魔法を俺の魔法で打ち消していたというわけか。焦げ臭さは発煙筒から出た煙のせいだな。

「あらやだ。私のことはいいから早く行きなさいよ」

 大公妃は、蹴りださんばかりの勢いで俺を追い払おうとする。

 あんたが呼び止めたんだろうが!と言いたかったが、後でどんなお咎めがあるのか分からないので、地下室に向かって走り出す。

「私を攫ったのはマールの大嫌いな元婚や…あら、行ってしまったわ」

 大公妃が何か言っていたようだが、俺には聞き取れなかった。

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