第二章 落ち着かない昼食
「少々、遅くなりましたが昼食にいたしましょう」
気が付けば午後二時近くになっていた。アクシデント続きで自分が空腹なのかどうかも分からなくなっていた。
「殿下。本当にロラン様の御髪を整えなくてよろしいのですか」
着替えの次は、髪のセットをとセリーヌが申し出たが、俺はそれを必死に断った。セリーヌは俺の髪を何とかするためにルーに伺いを立てた。
「構いません」
髪の方は、わざとそうしているので下手に前髪をオールバックにでもされたらたまったものではない。馬車の中での一件を知っているルーも、俺の気持ちを尊重してくれた。
「今日の昼食ですが、殿下とロラン様とご一緒されたい方がおりまして。こちらの予定がずれたため、向こうの昼食の時間と同じになったようです」
「なるほど、そういうことですか。私も差支えありませんのでそのように進めてください」
「かしこまりました。それでは先方にはそのようにお伝えしましょう」
ルーとセリーヌの間でとんとん拍子に進んでいるが、一緒に昼食を取る人って誰だ?
「ルー、これから誰と一緒に昼食を取ることになるのかな」
「それはまだ秘密です」
ルーがちょっとあざとくウィンクする。あやうく心臓を撃ち抜かれるかと思うくらいの破壊力があった。
服選びのときの上目遣い、安心しきった笑顔、今回のウィンク、気のない男に絶対にやってはいけない行動のような気がする。
勘違いした男がルーにホイホイ寄って来ないか心配になる。
「ロラン、食事は別の部屋で取りますよ。私について来てください」
ルーのウィンクに俺の意識が飛びかけていたのが分かったのか、ルーは俺を強引に連れていく。
ルーに連れられた部屋には、既に二人の男女が食卓に座っていた。
男性の方は、細身ながらも鍛え上げられた体格で、ルーと同じ髪色、綺麗に整えられた髭を蓄え、隣の女性とにこやかに話している。対する女性も幸せそうな笑みを浮かべ、ルーと同じ目の色をし、二十代でも通るほどの若々しい容姿をしている。男女ともに絵画から抜け出してきたかのような美形だった。
グランフルール帝国民であれば、百人が百人間違えることはないだろう。俺の目の前にいる男女は、まぎれもない、皇帝・皇后両陛下で、ルーの両親だ。
今から皇帝・皇后両陛下と昼食か。気が重い、胃が痛くなってきた。
そうならそうと最初から言ってほしいとは思うが、今から皇帝・皇后陛下と昼食ですと宣言されたら俺は緊張でガチガチの状態で廊下を歩いていたことだろう。ルーのせめてもの気遣いと解釈することにしよう。
「皇帝陛下、皇后陛下、ロランを連れてまいりました」
皇帝・皇后夫妻に対し、ルーが片足を後ろに引き、深くお辞儀をする。
「お久しぶりです。皇帝陛下、皇后陛下。ロラン・グランフルール・クローデルです。本日はお招きありがとうございます」
俺もルーに続いて深くお辞儀をした。ここで無礼を働いたら、家を潰されて家族全員が路頭に迷ってしまうことになる。くれぐれも失礼のないようにしよう。
「マール、ロラン君。よく来たね。堅苦しい挨拶は結構だ。こっちに来なさい。他の者は下がってよい」
皇帝陛下は周囲の者たちを下がらせ、俺たちを手招きした。ちなみにマールというのは、ルーのもう一つの愛称だ。俺の従妹のイネスもルーのことを非公式の場ではマールと呼んでいる。
マールの方がルーと親密な関係にある人間がよく呼んでいる愛称だ。おそらくルーと呼んでいるのは俺だけだと思う。
出会った当初、俺はルーのことを皇女様と呼んでいた。一緒に遊んでいるうちに「皇女様って呼ばれるのは嫌っ!」とルーに言われて、マリー=ルイーズ様と呼んだら、もっと機嫌が悪くなった。「友達を様づけで呼ぶの?」と問い詰められて、苦し紛れに思いついた愛称がルーだった。
「さて、と。ここからは単なる家族の食事だ。ロラン君、そう緊張しなくてよい」
「はい。ありがとうございます」
俺の言葉一つで家を潰されるリスクがあるのに、皇帝陛下から緊張するなと言われても説得力がない。
「こうして、家族水入らず一緒に食事ができるなんて久しぶりね」
皇后陛下も嬉しそうに皇帝陛下と俺たちを見た。久しぶりの家族水入らずの食事の席に俺は場違いではないのか。
「ここのところ、お父様も私も忙しくて一緒に食事ができませんでしたから。お母様を寂しくさせてしまって申し訳ありません」
「いいのよ。マールが女帝になるために頑張っているのだから。陛下もマールに少しでも円滑に帝位を引き継げるようにしたいと思って準備しているわけですし」
「まだ私に余力がるうちに引き継ぐことにしたからマールには無理をさせてしまっているな」
普通の家のような雰囲気で皇帝・皇后夫妻とルーが話しながら食事をしているが、俺には口を挟める話題ではない。俺は愛想笑いを浮かべつつ、皇帝・皇后夫妻とルーを見ていることしかできなかった。
「お父様、お母様。これからはロランが私を支えてくれます。彼がいれば私はいくらでも頑張れます」
ルーの発言に、皇帝・皇后夫妻の視線が一気に俺に集まる。
「お役に立てるか分かりませんが、マリー=ルイーズ皇太女殿下をお助けします」
夫としてとは名言しない。ちょっとずるい答え方をしてしまっただろうか。今までもルーの相談に乗っていたわけだし、友人としてならいくらでも助けるのだが。夫として助けられるような器量は俺にはない。
「昨日の知らせを聞いて、ロラン君も驚いたことだろう」
「はい」
ついに本題に入ったな。
「正直、どう思った」
「大変光栄なお話ではありましたが、なぜ私なのだろうかと思いました」
どこまで正直に答えていいのか測りかねるが、このくらいまでならいいだろう。
「私もそう思った。なぜ君なのかと。エクレールの第二王子の婚約を破棄した後、誰をマールの夫に迎えるべきか、私とマールと重臣たちで会議を開いた。マールは迷うことなく君を指名した。会議に参加したほとんどの者は、君のことを知らなかった。私も君のことを詳しく知っているわけではなかった。君については十年くらい前にマールとよく遊んでくれていた男の子というイメージしかない。よくよく思い出して記憶を辿ったら5年前に論文大会で優秀賞の授与をしたことを思い出した。あとは、君の先祖と私達の先祖との間に大きなトラブルがあったというのは説明するまでもないか」
皇帝陛下の話に俺は黙って頷いた。俺の様子を一瞥してから陛下は話を続ける。
「マールは、君が非常に優秀な人物であること、当家が抱えている問題も絡めて君が最適であると我々を説得しようとした。最初は私も含めて誰も真面目に聞こうとすらしていなかった。私はある時、君がマールにふさわしいかどうかはともかく、君ほど都合のいい人間はいないということに気が付いた」
皇帝陛下はあえて、具体的な話をせずもったいぶるように話している。
「まず、君の優秀さは、帝都大学の首席合格、入学前の実地課題で良く分かった。あの実地課題は私が大学側に頼んで君の能力を試すものだったのだよ」
「そんな目的があったとは。私は陛下のお眼鏡にかなったのでしょうか」
俺は少し驚きつつも、苦笑いをしながら話を受け流す。
あれは、大学の上位合格者を集めて地方の役場や領主の屋敷に派遣して見学させるという課題だ。将来の幹部役人候補になりえる学生に地方を視察させ、課題を終えた後にレポートを提出させるというものだった。例年は入学直後に行う課題だが、今年は随分と早くから行うなぁと思っていたらそんな意図があったか。
俺はその視察で地方領主と出入り商人が癒着し、麻薬の密売に絡んでいるという事実を偶然知ってしまった。とはいえ、ただの学生が大立ち回りをして大学に迷惑を掛けるわけにもいかないので、俺は認識阻害魔法を使って姿を隠した状態で地方領主の館や商人の倉庫などにこっそり忍び込んでいくつか証拠をつかんで記録した。
見たものをそのまま報告すると俺の方が建造物侵入などの罪に問われる危険があるため、大学に提出するレポートは一見するとよくできた視察の報告だが、分かる人間が見れば、領主たちのやってきたことが浮かび上がるという仕組みにしておいた。
俺がレポートを提出してから一週間後にその領主と商人が逮捕された記事が新聞に出ていた。
俺が気付くよりもっと前から、あの領主に中央の法務部門や憲兵隊が目をつけていてもおかしくはない。俺のレポートが関係したのかどうかは知らないが、レポートを提出した後に俺に接触してくる奴がいなかったので単なるレポートとして扱われたものと思っていた。
「あのレポートは、我々に対する挑戦状として受け取らせてもらったよ。君の実力を試すつもりが、我々が試されている結果になってしまった」
皇帝陛下が意地の悪そうな顔を俺に向けてきた。
挑戦状?いやいや、そんなつもりはない。自分の身に危険が及ぶと一族に迷惑が掛かるので家訓に従って目立つのを恐れただけだ。
「そんなつもりは全くなかったのですが。大変失礼しました。それなら、告発文を陛下宛てに送れば良かったです」
「ぜひ次からはそうしてくれたまえ」
皇帝陛下が破顔した。
「それからマールの話によると、マールの仕事のいくつかは君の助言を基に行っていたとか」
「殿下から…」
と言いかけたところに、ルーから不機嫌そうな咳払いが聞こえた。
ルーの顔を見たら『殿下じゃなくてルーです!』と声を出さずに口を動かしていた。
「ルーから手紙で相談されたことはありますが、お役に立っていたかどうか」
ちらりと横を見ると、ルーが『よろしい』と声を出さずに口を動かしていた。
本人の希望とは言え、皇帝・皇后夫妻の前で愛称を呼んで大丈夫だろうか。
もし俺が父親なら何勝手にうちの娘を変なあだ名で呼んでいるんだと一喝したいと思いつつ、ぐっとこらえるところだ。
今のところ、皇帝陛下も皇后陛下も嫌悪感を示す顔をしていないので、ひとまず安心しておこう。内心は嫌な気持ちになっているかもしれないが皇族のたしなみとして感情をあらわにしていないだけかもしれない。
「少なくとも、君の助言にマールは満足していたし、君から新しい視点をもらったのは確かだ。これらの出来事を聞いて、私はマールの配下として君を置けば非常に役に立つ人物になるだろうという認識に至った」
「それでしたら、大学で専門知識をつけさせた上で役人として採用すれば済みますよね。わざわざ、次期女帝陛下の伴侶に指名する必要がないのでは」
「結論を急いではいけないよ、ロラン君」
皇帝陛下は、優雅にワイングラスに口をつけた。
「当家の皇帝位継承順位については知っているかな」
「皇帝の長子が第一位で原則男子優先です。その次は、皇帝の兄弟姉妹、ただし、他家に嫁いだ女性は継承権が外されます。その次となると、皇帝の兄弟姉妹の子になります。皇帝の姉妹で他家に嫁いだ場合、その子供は男子であっても継承権がありません」
皇帝陛下の問いに俺はすらすらと答える。皇帝位継承順位は帝国の知識階級なら誰でも知っていることなので答えるのは簡単だ。
「では、当家の現在の状況にそれを当てはめると?」
皇帝陛下は自身の整えられた顎鬚に手を当てる。
「継承権第一位は、マリー=ルイーズ殿下です。殿下にはご兄弟がいらっしゃいませんので。また、皇帝陛下にご兄弟はなく、皇帝陛下のご姉妹は全て他家に嫁いだため、第二位に当たる方はいらっしゃいません」
グランフルール本家も、二代皇帝の皇后と俺の先祖の不義密通の事件の原因は、二代皇帝の行いにあると考え、皇帝といえども側妃や公妾を設けるのはあまり推奨されていない。そう言った事情により原則一夫一妻制を採用しているため、何度か皇統断絶の危機があった。
ただ、ルーの祖父である先代皇帝は、これまでの慣習を無視して何人もの女性との間で子を成した。彼は統治者としては尊敬されているものの、色好みの皇帝とされて人物的に評価されていない。ルーの父である皇帝陛下はかなり身分の低い側妃の子だったはずだ。
「その通りだ。ただ、皇帝の血統が断絶するのを防ぐためにその次の順位も公式ではないが決めてある。皇帝が死去した時点で、皇帝の子も皇帝の兄弟姉妹も存在しない場合、先代皇帝の兄弟姉妹の子孫にも継承権が与えられる。もちろん、その場合も他家に嫁いだ女性の子孫は除かれる。それも存在しない場合、先々代の皇帝の兄弟姉妹の子孫に継承権が与えられる。今日、君が決闘したというファビアン公子の祖父は先代皇帝の弟だ。状況によっては継承権が得られる立場にある。会議の中では、マールの夫に彼を据えたらどうかという意見もあったくらいだ。そんなことがあってほしくないが、マールが死去した場合に彼が皇帝位を引き継ぐことが可能であり、変動が少なくて済むため周りの反発も薄い。それに彼は、マールの相手には自分がふさわしいのではないかと思っている節もある」
ファビアン公子が俺に決闘を仕掛けてきたのはそのあたりの事情も絡んでいるのか。ファビアン公子とは、今後も関わらないようにしたい。
「ただ、彼をマールの相手にするには少々問題がある。グランフルール帝国の前に栄えたユニヴェール帝国は、皇帝の血族の婚姻を繰り返し、生まれながらに何等かの疾患を持った子が発生した。成人になる前に死亡する子が多く、最終的には後継者が消滅して国が崩壊した。当家では、同じような末路を辿らないために他家や他の国の者から伴侶を迎えることにしている。そうなると、ファビアン公子はある程度血縁関係が薄いとはいえ、そのリスクがないわけではない」
残念ながらファビアン公子は候補から除外されてしまったわけか。直接的にはある程度血縁関係が薄いと言っても、ファビアン公子のギラルディエール公爵家にはグランフルール本家出身の女性が何人も嫁いでいるはずだから彼を選ぶのは得策ではないのだろう。
「それで本家との血縁関係から長いこと遠ざかっている分家の人間から選んだというわけですか」
「まあ、そういうことだ。当家と君の家は初代皇帝の子孫であるがそれ以降の世代につながりは一切ないことを家系図で調査済みだ」
「そうですね。当家に嫁ぐ貴族女性すら長らくいませんでしたから」
俺は単なる事実を述べたつもりだが、嫌味のように聞こえたかもしれない。
グランフルール分家は、貴族から全く相手にされなかったので数代前まで平民の女性と結婚していた。一人くらいは、貴族の地位をはく奪されて平民になった女性と結婚した者もいるらしいが、その女性の実家はとっくの昔に既に滅亡しているため、他の貴族とのつながりはない。祖父の代からは新興貴族の女性が嫁入りするようになったが、いずれにしても、古くからある貴族とは血縁関係にない。
「それ以外にも理由がある。当家はここ何代も男子が生まれにくくなっている。先代皇帝は二十人もの子を設けたが、私以外に男児はいなかった。また、私と妻の間にはマールしか子がいない」
「陛下、ごめんなさい。私がもっと丈夫なら何人も子供ができたはずなのに」
皇后陛下が俯き、空気が重くなった。
「愛しの君。君が私の隣にいるだけで十分さ。それにマールを立派に育て上げたのは君のおかげさ」
皇帝陛下は皇后陛下の手を取り、皇后陛下を見つめた。
対する皇后陛下も「ああ、陛下」と目からハートマークが出ていると錯覚しそうな恍惚度合だった。
一瞬にして、重い空気から甘い空気に変わった。
この場には皇帝陛下、皇后陛下、ルーと俺しかいない。
これは演技かと疑ったが夫婦仲の良さを臣下に示そうにも、皇帝陛下が全員下がらせたのでアピールしようがない。よって、わざわざそんなことをする必要がない。
この夫婦、本当にラブラブな空気をお互いに出し合っている。ルーもそんな二人を嬉しそうに眺めていた。
皇族や貴族の婚姻は、本人に意志に関係なく結ばれるものであるから愛情を伴わないことも多い。
俺の目の前にいる皇帝・皇后陛下は政略結婚のはずだが、ここまで夫婦仲がいいとは知らなかった。
いつまでも続きそうな甘い空気に俺はあっけにとられて思わず、手に持っていたナイフを落としてしまった。堅い床にぶつかって金属音が大きく響き渡る。
しょ、正直気まずい。甘い空気に当てられて粗相をしてしまった。早く謝らないと…。
「んん、失礼した。久しぶりに妻と食事ができて少々舞い上がっていたようだ」
俺が謝ろうと口を開くより前に、現実世界に戻った皇帝陛下が謝罪した。
そして、どこからともなくセリーヌが現れて新しいナイフを俺の手元に置いて一瞬にして部屋から出ていく。できる女官は違うなぁ。
「話を元に戻そうか。君は五人兄弟の三男だったね。君のお父上は八人兄弟で、そのうち男性が六人だ。当家と違って君の家は男子ばかり生まれている」
皇帝陛下の話に俺は静かに頷く。
「私個人の見解としては、皇帝になるのに性別は関係ないと思っているが、残念ながら古い価値観にとらわれている者が多くてね。他国には我が国よりも男尊女卑が甚だしいところが多い。マールが女帝になったら、外交で苦労することになるだろう。そういった意味では男性皇族の必要性に迫られている」
「当家の方もそれはそれで少々困った問題がありまして。女性なら他の家に嫁ぐ可能性があるのですが、こんな家ですから男子ばかり多くても養子の口もなく困っているくらいです」
グランフルール分家は、大した財産がないので独身のまま屋敷で一生を過ごすわけにもいかず、貴族の身分を捨てて一般人として生きていく者ばかりだ。
俺自身、これ以上両親に負担をかけるわけにはいかず、俺の将来のことも考えて帝都大学を受験した。学費を払う余裕がないので奨学金を受給しながら通学するつもりであった。
さりとて、社会に出て職にありつけるか保証がないのと職につけても奨学金の返済で生活費がないという事態は避けたい。
そこで考えたのが、裕福な商人出身の貴族が設立した無償型奨学金制度の審査に通ることだった。審査を通過する第一条件として帝都大学を上位合格する必要があり、俺は勉強をかなり頑張っていた。
幸いなことに思った以上に成果が出て俺は首席で合格した。「良かった、これで奨学金の返済を心配しなくて済む!」と思っていたら今回の婚約話が持ち込まれてしまった。
「君の家としては実に困ったことだが、ある意味ではうらやましい限りだ。ロラン君、知っているかね。最近の研究では、子を成すのに男性の方が子の性別を決定づける因子があるらしい。それが本当なら、君とマールが結ばれれば男児が生まれる可能性が高いと私は考えている」
「そ、そうなんですね。知りませんでした」
皇帝陛下の考えとしては、俺は男という点で有能であれば十分ということか。ただ、俺が愚鈍な人間であっては次の世代に差しさわりがあるので俺が使える人物であるかどうかを実地課題で試したと。
皇帝陛下の言うとおり、不義男爵家という点を除きさえすれば、俺は都合の良い人間だ。
「陛下、それならば私でなくてもグランフルール分家の人間であればよいということになりませんか。私の兄弟は独身なので、私を覗いても候補が四人いることになります。身内贔屓ですが、タイプは違えど、それぞれ有能ですよ」
「ロラン君、どうして自分を推さないのかね。皇帝である私の前で委縮しているのを差し引いても声が弾んでいない。髪型のせいで表情が分かりにくいが口元だけ見ても一つも嬉しそうなそぶりが見えない。まさか君、わが娘に不服があるというのかね。これこそ親の欲目と言われそうだが、どこに出しても恥ずかしくない娘だと私は思っている」
「お、お父様!」
「いいえ、いいえ。滅相もありません。自分には勿体ないお方です」
うっかり皇帝陛下の不興を買い、俺は断頭台の階段に一歩踏み出してしまった。とりあえず全力で謝るしか他に方法がないか。
ルー自体に文句は一つもない。こんなに綺麗で性格も良くて、才色兼備という言葉が似合う女性はそうそういないだろう。ただ、ちょっと強引なところもあるが、それも愛嬌のうちだと思う。もし、ルーが近所の女の子だったら、玉砕覚悟で自分から告白していたかもしれない。ましてや、ルーの方から「私と結婚して」と言われたら、二つ返事で応じているかもしれない。
しかし、現実は皇太女殿下と評判の悪い男爵家三男の間柄だ。皇帝陛下から直々に俺が最適だとする説明を受けているが、この婚姻は上手くいくわけがない。
「まあいい。君の欲のなさも君をマールの婚約者に指名した理由の一つではあるからな。本家にとって代わろうとする存在ならば全力で排除する必要があるが、君と君の家にはそれがない」
何とか、断頭台の階段から降りることができそうだ。
当家の家訓は『目立たず、堅実に』だから、本家に成り代わろうという野心は全くない。それどころか、他の貴族の皆様から忘れられるくらいがちょうどいいと思っている。
「さて、グランフルール分家の中で君が最適なのは、もちろんマールとの年齢のつり合いもあるが」
皇帝陛下がわざと言葉を切って俺の様子を見た。
「グランフルール分家の中で君だけが聖剣ブランシュネージュを使えるからだよ」
俺が聖剣ブランシュネージュを使える?
「陛下、ご冗談でしょう。私は見たことも、触ったこともありませんよ」
「10年前の夏を思い出したまえ。私とマールが仲違いして、マールが君の屋敷から飛び出して夜になっても戻ってこなかったことがあったろう」
そういえば、そんなこともあったな。
姿を消したルーを探すために街道を封鎖したり、周辺に聞き込みをしたりと大変な騒ぎになった。夜になってもルーが見つからなくて大人達が焦っていたのを覚えている。
俺も探すと両親に言ったが、子供は寝る時間だと言われて寝室に連れて行かれてしまった。ルーのことが心配になった俺は、こっそり抜け出した。
ルーが隠れていそうな場所に心当たりがあった俺は、領内にある山に入ってルーを見つけたのは良かったが、魔獣に襲われてしまった。そのとき、ルーが大事そうに抱えているのが剣だと気が付いて、俺はルーから奪うようにそれを手にした。
魔獣を倒すことばかりに気を取られていて、あれがどんな剣かなんて考えていなかった。今考えれば、一振りで魔獣を倒せたのは、俺の実力ではなくてあの剣がすごかっただけだ。
「あのときの剣。あれが聖剣ブランシュネージュだったんですか」
「うむ。ロラン君、ブランシュネージュを手にして無事で良かったな」
不適合者が聖剣を手にすると、聖剣の力で氷漬けにされてしまうと聞いたことがある。どうりで、俺が剣に触ろうとしたらルーが必死に拒絶したわけだ。偶然、適合者で良かった。
10年越しに自分の無計画さに俺は頭を抱えてしまいたい。
「マールが君の手で助けられた翌朝、私は君以外にも使える者がいるのかと考えて、聖剣を隠した状態でグランフルール分家の人間を一人一人呼び出して聖剣の近くに立たせてみた。適合者がいれば聖剣に埋められた宝石がほのかに光るのだが、君以外は無反応だった」
俺以外無反応だったということは、俺の家族は適合者ではなかったらしい。
「当家は男子も不足しているが、聖剣の適合者も不足していてね。今では適合者は私とマールしかいない。私もそう若くないし、いつまで聖剣を振るえるかわかったものではない。将来、マールが身重になったときに戦争でも起きようものなら誰も聖剣を使えないという事態も起こりえる。そういった意味ではマールと私以外に聖剣の適合者がいると非常に助かる」
そこで俺か。そういった意味では俺以外に選択肢がないな。俺とルーとの間に子ができれば聖剣使いが生まれる可能性が高いだろう。
「陛下、聖剣ブランシュネージュが使える条件は何でしょうか。差支えなければ教えていただけないでしょうか」
条件がもし分かれば俺以外にも適合者がいる可能性があるかもしれない。
「当家だけの秘密ではあるが、君には教えてもいいだろう。聖剣ブランシュネージュが使える条件はグランフルールの血統であること、聖剣に魔力を捧げても倒れることのない魔力量を有していること。つまり、君は幼くして膨大な魔力を有していたということだね」
皇帝陛下は白い歯を見せて晴れやかな笑顔を俺に向けた。その笑顔には、言外に「ロラン君、お勉強ができるだけじゃなくて魔法の腕も相当なものなんだろう」とほのめかしているように見える。
今ここで、ため息をつきたいが不敬になるので絶対につけない。今の俺は、完全にドラゴンににらまれたコボルト状態だ。
目立たず、地味に生きていきたかったのに、10年前に自分の手の内を本家にさらしていたなんて。
当時の自分に絶対にその剣に触れるな、あの魔獣の弱点は雷だから雷魔法で撃退しろと言ってやりたい。
どうして向こうにとって都合のいい条件が俺に揃っているんだ。だが、俺の身分と先祖のことがあるので、どんなにいい条件があっても貴族連中からすると最悪の相手と思われているのは間違いない。貴族たちは今のところ従っているとしても皇帝陛下が退位したら、多分俺の立場はかなり危うい。
皇帝陛下の話に俺が何も言えずに俯いていると、場が静かになった。
「お父様、その話はこのくらいにして食事を楽しみませんか」
話が一段落したのを見計らってルーが口をはさんだ。ルーは、皇帝陛下と言葉を交わす度に、俺の顔に疲労の色が浮かんでいるのを見て心配してくれたのだろう。
ルーの相手に俺が選ばれた理由については気になっていたし、避けては通れない話題ではあった。しかし、皇帝陛下とほぼ一対一で話をしたから、ろくに食事もできないし、何とか口に運べても緊張で味が一切しなかった。
「そうだな。この話はこのくらいにしておこう。他にも伝えたいことはあるが、マールから伝えた方がいいだろう」
皇帝陛下は含みのある笑みを一瞬だけルーに向けた。
「ロラン君、当家の都合ばかり押し付けたような話で申し訳ないが、君を私は歓迎するよ」
皇帝陛下、本当に俺を歓迎しているのか?陛下が懸念しているのは世継ぎ問題だけではないかと疑いたくなる。皇帝陛下との会話中、この婚約話を取り消してもらう糸口がないか探していたが、さらに逃げ道がなくなった気がする。
困ったな。このままではせっかく合格した大学に通えないどころか、ルーと結婚するしかなく、男児が生まれなかったら俺は使えない男として捨てられそうだ。下手に聖剣使いを外に出すわけにいかないと考えた場合は、宮殿の中で飼い殺しか。
「陛下。今度は私もロラン君とお話してもよろしいかしら」
「ああ、構わないよ。彼は私達の息子同然だから彼と話すのに私の許可はいらないよ」
黙々と料理を口に運んでいたらまたしても皇帝陛下、皇后陛下から甘い空気が流れ始めた。俺の両親は比較的仲のいい方だと思うが、こんな新婚みたいな空気は流れないぞ。
「ロラン君、先月の建国祭には参加したかしら」
グランフルール帝国は、毎年7月初めに建国の始祖を称える建国祭を開催している。祭りに参加している者の多くは、建国の英雄と同じ格好をして町を繰り出していく。この日だけは、俺は本来の姿で外出しても初代皇帝に扮したお祭り参加者の一人と認識される。人込みが多くて、疲れるが本来の姿で羽根を伸ばせる唯一の行事だ。
「あのときは、大学入試が終わったものの、大学の合格発表前でしたので祭りの場にいても何となく落ち着かなくて少し顔を出してすぐ家に帰ってしまいました」
「あら、それは残念ね。じゃあ、これは知っているかしら。初代皇帝の幽霊が出たんですって。しかも、昼間に」
「そうですか、それは存じ上げませんでした。しかし妙ですね。建国祭には建国の英雄たち、特に初代皇帝に扮した者が大勢いますから、初代皇帝にそっくりに衣装を作り込んで仕草もそれらしく振舞う人間もいるでしょう。いくら初代皇帝と瓜二つの人物を見たとしても幽霊とは変な例えですね。まさか、幽霊らしく身体が透けているとか、足がないとかですか」
俺はわざとらしくおどけて見せた。
「透けているわけでも足がないわけでもなかったみたいなの。でも、祭りの参加者なら肖像画と似たような礼装とか鎧兜とかを模したものを身に着けるはずなのに、初代皇帝のそっくりさん、今時の普通の若者が町に繰り出す恰好をしていたんですって。さながら、初代皇帝様が現代に生まれ変わってごく普通に歩いている感じで」
町に繰り出す若者の恰好。もしかしたら、俺かもしれない。
俺は、去年着用していた建国祭用の衣装を出したが、身長が伸びてサイズが合わなくなっていたので着られなかった。どうせすぐ帰るからいいかと思って、本来の姿で平服のまま出かけてしまった。
「その若者、『建国祭の幽霊』って呼ばれて一般市民から貴族に至るまでしばらく噂になっていたのですよ。この噂、ロランは知らなかったのですか」
ルーは涼しい顔をしていたが、「建国祭の幽霊、それはロランでしょ?」と言いたそうにしているのが透けて見えた。
「全く知りませんでした。祭りの翌日に大学の合格発表があって、奨学金の申請や入学の手続をしたり、その後も実地課題で地方に出たりしていたので帝都の噂を聞いていませんでした」
よもやそんな騒動を起こしていたとは、俺は脇が甘い。俺が帝都に戻ってきたころには噂を聞いていないことから、必死に俺の家族が火消しに走ったに違いない。
来年は、もっさりとしたロラン君の恰好か、祭り用の服を作ってから出かけることにしよう。来年は、気楽に祭りに参加できる身分かどうか分からないが。
皇后陛下、最初の話題がよりによって俺の本来の姿に関わる話題をなぜ出した。まさか、皇帝陛下と皇后陛下が俺の本来の姿を知っているということはないだろうな。
皇帝一家としては、久しぶりの家族水入らずの楽しい食事だと思うが俺にとっては実に落ち着かない食事だ。
「ロラン君、私は本当の息子のように接していきたいの。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってちょうだいね」
皇后陛下が柔らかな表情を俺に向けた。こういうときの顔はやっぱりルーに似ている。困ったことと言えば、やっぱりあれだよな、あれ。
「あの…。大変お恥ずかしいことながら、私、服がないです。今着ているのもこちらの宮殿の借り物です」
「えっ!」
俺の唐突な発言に皇帝陛下、皇后陛下が同時に声を上げた。表情を注意深く観察してみたが、二人ともごく自然に驚いている。
ただの勘に過ぎないがこの二人が俺の服を盗んだ、もしくは盗むように指示したということはなさそうだ。
「ロラン君のお家は明日の服にも困る生活をしているのかしら。陛下、私の服飾予算の一部をロラン君のお家に回せないかしら。それで足りなかったら、来年の予算全部を回すか宝飾品を売り払うかしないと」
皇后陛下に至っては、オロオロしながら本気で俺を心配している。
「皇后陛下、そこまで落ちぶれていませんのでご心配なく。今日の1時過ぎにルーの計らいでこちらのお風呂をいただいたのですが、お風呂を楽しんでいる間に私の服、靴も含めてごっそり盗まれました。貴様は殿下の婚約者にふさわしくないから宮殿から出ていけというメモがあったので完全に嫌がらせ目的ですね」
そのせいで俺が全裸の変態として廊下を歩き回り、ルーにあられもない姿をさらしたことは割愛しよう。
「これはゆゆしき問題だな。なんとしてもその不届者をひっ捕らえて処罰せねば」
「皇帝陛下、おそらくルーの身内の犯行だと思いますので捕まえるのは慎重を期した方がいいかもしれません」
「なぜそれが分かる」
やっぱり、ルーの下着の話をしないわけにはいかないか。仕方がない。
「実は…。盗まれた服の代わりになぜかルーの下着一式が入っていたので、ルーの寝室に入れる人間は限られるかと思います」
「そうなると、疑わしいのはマールの専属女官であるセリーヌ、皇族付きの女中、それから私の妹ベルナデットか。あとは私達夫婦も容疑者に入れておくか」
皇帝陛下は冷静に自分たちも容疑者に入れていく。
皇帝陛下は言わなかったが実はルーも容疑者に入るんじゃないかという線もなくはない。ただ、ルーに動機が完全にない。自分から俺を婚約者に指名しておいて、呼び出したその日に俺を追い出すのは矛盾している。同様に皇帝・皇后両陛下も先ほどの反応からほぼシロだな。俺とルーの婚約に不満のある配下が勝手に動いたという可能性もなくはないが。
ベルナデット。皇帝陛下の年の離れた妹で、ブルイヤール大公国の大公妃だ。俺の母情報によると、大公と不仲で理由をつけてはグランフルールに戻ってきているらしい。俺が最近戻ってきた皇族はいるかとルーに聞いたときに一人心当たりがいると言っていたが、おそらくこの人のことだろう。
「この件については、私が内密に調べておくとしよう。と言っても容疑者の一人が言っても説得力がないか」
皇帝陛下は豪快に笑い飛ばす。
「いえいえ、滅相もありません。皇帝陛下、ありがとうございます。あの服は、父が仕立ててくれた大事な服なのでどんな形であれ戻ってきてほしいものです」
犯人が誰かは気になるが、無事、服が戻ってくればそれで充分だ。ただ、今後もこういう嫌がらせが続く可能性があるのがかなり不安だ。俺だけが被害に遭うならまだいいが、ルーにも迷惑が掛かっているという点が困ったもんだ。
「来て早々、決闘を申し込まれたり、服を盗まれたりと散々な目に遭わせてしまって申し訳ない。君の意向を聞かずに勝手に婚姻話を進めたにもかかわらず、周りの統制を図れていなかった私の責任と言える。こちらが一方的に君をマールの婚約者に指名したが、当然のことながら君にも拒否権はある」
えっ、俺に拒否権があるのか?
俺と父は拒否権がないものと考えていた。仮に拒否できたとしても家を取り潰されたり、領地を没収されたり、何らかの圧力がかかるものだと思っていた。今すぐに「辞退します」と言いたいが、どう切り出そうか。
「ただ、君がこの婚姻を受けるか、拒否するかはマールの話を聞いてから決めてほしい。これは皇帝としての願いではなく、マールの父としての願いだ」
皇帝陛下は深々と俺にお辞儀をした。よっぽどの空気を読めない奴じゃないかぎり、断れないぞ、これ。
「お顔を上げてください。陛下」
俺はあわてて声を掛けたが、その声は自分で思っている以上に震えていた。
昼食を終えた俺とルーはルーの執務室に戻った。昼食の場で一瞬、断頭台の階段を上りかけたが運よく俺の首はまだつながっている。
「ロラン、お疲れでしょう。こちらのソファに掛けて楽にしてください」
「ありがとう、ルー」
俺は遠慮なく応接用のソファに座り込んだ。あまりにも疲れているので、作法を無視して背もたれに大きく寄りかかる。
すると、ルーが俺の真横に腰かけた。対面に誰も座っていないソファがあるんだけど、わざわざこっちに座るのか?
「ルー、そこじゃ狭いだろ。」
俺は姿勢を正して座り直そうとした。
「いえ、いいのです。どうかそのままで」
ルーは俺に寄りかかる。ルーの体重や体温が伝わってくるが不思議と嫌な気はしなかった。ルーに何か声を掛けた方がいいんだろうけど、何を言えばいいんだろうか。
こういうときにどうしたらいいのか、恋愛慣れしていない俺は全く分からない。少なくとも、雰囲気に流されてルーの腰に手を回したらただの変態になるから却下だ。既に全裸を見せた時点で俺は変態以外の何者でもないか。でも、あれは不可抗力だしな。
「ロラン、お父様とお話して疲れたかもしれませんが私の昔話を聞いてもらえませんか」
「ああ」
もう少し、まともに返事できないのか、俺。ぶっきらぼうみたいに聞こえたかもしれない。
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