男爵家三男の俺が皇太女殿下の婚約者って本当ですか????~大変ありがたいお話ですが、なかったことにできませんか~

BELLE

序章 不幸な婚約/幸せな婚約

「ロラン、残念な知らせだ。お前の帝都大学への進学はなくなった」

 執務室に俺を呼び出した父は、沈痛な面持ちで告げた。

「先月、合格通知が来ましたがそれは間違いだったということですか」

「いや、間違いなくお前は帝都大学に首席で合格している。先月送られてきた合格通知は本物だ」

「ならどうして、私は帝都大学に行けないのですか。まさか、他の貴族からの圧力で合格を無効にされたのですか」

 我が家は男爵位という貴族階級の最底辺に属し、しかも他の貴族からあまり、いや非常に評判が良くない。だから高位の貴族が嫌がらせ目的や自分の子女を入学させるために大学に裏金を積んで俺の合格を取り消させたという線はあり得るかもしれない。

 それなら、最初から俺を不合格にさせておけばいいものをと思ってしまう。

「圧力といえば圧力とも言えるか…」

 父の視線が一瞬泳いだ後、しばらくの間沈黙が続いた。

「では、どこの家からですか」

 あまりのことに俺は苛立ちながら父に詰め寄った。

 父は苦しそうな表情を浮かべながら、

「グランフルール本家からだ」

 そう答えた。

 グランフルール本家とは、皇帝の家系を指す。ちなみに我が家も一応グランフルール家ではあるが、その分家に当たる。ただ、何代も前に本家から分かれているため血縁関係は相当薄い。むしろ、まだグランフルール姓を名乗っているのかと他の貴族から揶揄されるため、祖父の代から表向きはグランフルール姓を名乗らず、配偶者の姓や母親の姓を名乗っている。俺の場合、母の姓を使ってロラン・G・クローデルと表記している。

まさか皇室からそんな仕打ちをされるとは。我が家は、皇室から完全に捨て置かれている存在だと思っていたのだが。

 それに皇帝夫妻唯一の子であるマリー=ルイーズ皇太女殿下は、俺と同い年の18歳だが、帝都大学に進学する予定はない。来年の春に皇帝位を継承する予定であるから、大学に進学している場合ではない。また、皇帝の近い親族にも今年帝都大学に入学できる年齢の子女はいなかったはずだ。だとしたら何故。

「昨年、皇太女殿下の婚約が破棄されたことは知っているな」

「はぁ」

 殿下が婚約破棄したことは一般市民でも知っている話ではあるが、それと俺の進学がどう関係するのか分からない。思わず、気のない返事をしてしまう。

 殿下は、10歳の時に帝国から遠く離れた、魔術大国─エクレール王国─の第二王子と婚約した。しかし、かの国は数年前から、政情が悪化し、貧困にあえぐ民を無視して王位継承をめぐって小競り合いが起きている。皇太女殿下の婚約者であった第二皇子もその当事者の一人だ。そのうち民衆からクーデターが起こされるのではないかと目されている。そんな事情もあり、帝国としては縁を切ることにしたようだ。

「皇帝位を継ぐ前に皇太女殿下の婚約を決める必要があるということで、半年以上検討を重ねた結果、お前を殿下の相手として指名された」

 父は今、何を言った。殿下の相手に指名とか言っていたような。俺の聞き間違えか。俺は頭の中で何度も父の言葉を繰り返した。

 俺は男爵家の三男で、財産と呼べるものは何一つ持っていない。だからこそ、大学に進学して卒業後は文官として出仕するか、大学に残って研究者として生きるか、就職先が見つからなければどこか田舎で教師でもやるかと漠然と考えていたのだが。

「来月から、お前は宮殿に入って皇室の一員としての教育を受けることになった。というわけで大学に合格したものの、入学できないという話だ。まさか当家の者が皇太女殿下の伴侶に選ばれるとは。これを誉れと呼ぶべきなのだろうが、先祖のことを考えるとなんとも言いようがないな」

 またしても父は苦しそうな表情をし、最後の方は聞こえるか聞こえないか程度の声になっていた。

 父が苦悩するのは無理のない話だ。当家の始祖アンリは、グランフルール帝国初代皇帝シャルルの末子であり、二代皇帝セザールとは兄弟の間柄であった。アンリは、盤石ではなかった帝国を内政面で支え、帝国の発展に努めた人物であったらしい。対するセザールは、遠征の度に新しい女性を侍らせ側妃として迎え、皇后エリザベトを冷遇していた。セザールと皇后の間には子はおらず、公式行事以外で二人が話す姿を見たことがないくらいであったらしい。

 皇后を不憫に思ったアンリは、公務の合間を縫って皇后の話し相手を務めるようになった。そしていつしか二人は関係を持つようになり、エリザベトはアンリの子を身ごもってしまった。この情事は帝国の一大騒動になり、一時期は宮廷内だけでなく帝国内全ての人間がこの話題で持ち切りになったほどであった。

 本来ならば、アンリは死刑か、死刑を免れても一生幽閉か国外追放のはずだった。初代皇帝の計らいにより、アンリは侯爵位から男爵位の降格、領地の大幅縮小で処分が落ち着いた。セザール自体、軍備を必要以上に増強し、度重なる遠征を繰り返してきたため、家臣にも民衆にも人気がなかったという事情もあったらしい。これまで帝国を支えてきたアンリを処刑した場合、セザールの皇帝位が揺らぐと噂されていた。渦中の人物の一人である皇后エリザベトは皇后位を降ろされ、実家の公爵家に戻されることとなった。皇后の実家の公爵家も取り潰されるかと思われたが、当主が建国の立役者の一人であり、英雄視されている人物であった。よって、当主が引退し、その息子が爵位を継ぐという程度に治まった。それもこれも初代皇帝が存命だったことと、二代皇帝の人望のなさを表している。

 アンリとエリザベトの子であるが、教会の教義で中絶が許されていなかったため、エリザベトは実家で産むことになった。生まれた子は男児で、アンリが引き取った。生まれた子は不義の子として貴族社会では冷たい視線を浴び、庶民からは奇異の目で見られながら育った。さらにその子孫も同様に見られ、いつからか我が家は『不義男爵家』という名称が貴族社会で定着している。アンリが起こした事件からもはや百五十年以上経った今でも、我が家は蔑みの対象として存在している。

 それにしても、何世代も前のこととはいえ、皇帝の家系に泥を塗った者の子孫を大事な皇太女殿下の伴侶として迎えたいだろうか。いや、迎えたくはない……はずである。

「父上、なぜ私が皇太女殿下のお相手に選ばれたのでしょうか。理由は聞いていらっしゃいますか」

「それが、皇太女殿下がお前に直々に話したいとのことで、理由は一切聞かされていない」

 父の顔に苦痛と困惑が入り混じる。

「ますますもって、本家の意図が分かりませんね。皇太女殿下も何を考えていらっしゃるのやら」

「殿下とは、幼いころに会ったことはあるな」

「皇帝一家が一時期うちの屋敷を別荘代わりに使用していたことがありましたからね。あれ以来お会いしたことはなかったはずです」

 殿下と初めて会ったのは、今から10年前のことだ。皇帝一家が改修中の別荘の代わりにうちの屋敷を利用していたことがある。皇帝一家が滞在中、父は貴族というより屋敷の管理人のような扱いをされていたような気がする。当時子供だった俺と殿下は、大人達の事情をあまりよく知ることもなく、無邪気に遊んだものだった。夏の間、毎日、朝早くから出かけて日暮れまでヘトヘトになるまで遊んだ。

 次の年には別荘の改修が終わり、皇帝一家がうちの屋敷に来るようなことはなかった。それ以来、殿下とは会ったことはない。何かの行事で遠巻きに見たことはあるが、会って話をする間柄ではなくなった。だが、俺と殿下の繋がりがなくなったわけではない。

「顔を知らない相手じゃなくて良かったなと言いたいところだが、なぜうちの息子なんかを。すまんな、ロラン。お前を悪く言うつもりじゃない。行った先で苦労するのが目に見えているから、気が進まなくてな。お前には、こんなしきたりだらけの世界を飛び出して、自由に生きてもらいたかった」

 父は、苦痛がピークに達したのかおもむろに胃薬を取り出して飲み始めた。父にはなんと詫びればいいものか。

「父上、皇太女殿下との婚約のお話を辞退するわけにはいかないのでしょうか」

 俺はできもしないことをつい口にしてみた。

「できることなら、そうしたいが。皇太女殿下に恥をかかせたという理由でどんな目に遭うか分かったものではない」

「そうですよね。申し訳ありません」

「お前の気持ちもよく分かる。とにかく、明日の昼前に迎えの馬車が来るから、今日のところはしっかり休んでおけ」

「父上、これが今生の別れとならないことを願います」

 大仰に言ってみたら、父は苦笑していた。

 


 父の執務室を出ると、母デジレが廊下で待っていた。

「何だか、とんでもない話になっちゃったわね」

「正直を言えば、迷惑極まりない話だと思っています」

 俺はため息一つこぼした。

「そうよねぇ。お祖父様が生きていたら喜んだかもしれないけど、私は、息子をこんな形で手放すなんて冗談じゃない」

 母はこぶしを握り締めた。

 母の実家・クローデル家は俺の祖父の代から貴族になったという新興貴族だ。大商人だった俺の祖父モルガンは、没落寸前だった伯爵家から貴族の身分を金で買い取った。

 モルガンは貴族の身分を得た後、次に欲したのは由緒ある血脈だった。しかし、貴族としての地盤がまだ弱く有力貴族とつながることができなかった。そこで彼が目を付けたのがグランフルール分家の嫡男である俺の父・セルジュだった。グランフルール分家は大した領地もなく、力もないが、初代皇帝の血は確実に流れている。セルジュに自分の娘を嫁がせ、その間に子供が生まれれば謂れはともかく、自分の子孫にグランフルールの姓は手に入る。そう考えて、娘のデジレをセルジュに嫁がせることにした。 

 デジレ自身、この婚姻は親が勝手に決めた不幸なものかと言われれば実はそうではない。

 グランフルール分家は、猫の額ほどの領地しかなく資産もないため帝都に屋敷を構えられなかった。

 そこでモルガンは帝都にあるクローデル家の屋敷の一部をグランフルール分家に貸し与えることにした。そのおかげで、母は嫁いだものの実家にとどまることができた。おかげでデジレは毎日のようにクローデル家の家族と会っている。また、モルガンの臨終に立ち会えたのは、他家に嫁いだ娘たちのうち、デジレだけだった。

「ところで、母上、原稿は出来上がったのですか」

「……ええ。さっき出版社に送ったところよ。これで宮廷ミステリーシリーズが完結よ。完結したのはいいけど、次の作品を考えなくっちゃ。こんなときに悪いんだけど、ロラン、何か思いつくことはないかしら」

 母にとって、父と結婚した利点はもう一つある。父自身がクローデル家に対し弱い立場であったこと、元々の性格が穏やかで母にとやかく言うことがないため、母は貴族女性としては珍しく自由な生活を送っている。そのおかげで、母は小説家として堂々と活動できているのだ。

 自由気ままな母の結婚生活と比べると、これから送るであろう俺の結婚生活は窮屈で陰謀渦巻く最悪なものとしか考えられない。

「次の作品ですか。少し違うジャンルの小説がいいでしょうね。……うーん、恋愛小説とかですかね」

「例えばどういう感じの」

「急に言われても、特に思いつかないですが。んー、そうですね。ある村娘が何かの手違いで王太子様のお妃候補に選ばれるとか?お妃候補は全部で二、三十人いて、王太子妃の座を巡って王宮でし烈な争いを繰り広げるなんて…」

「面白そうだけど、なんか俗っぽい話ね」

「最近、王子様とか貴族様とかの恋愛小説が一般の若い女性に人気らしいので、母上も流行に乗ってみたら面白いかもしれませんよ」

「そうねぇ。恋愛小説みたいに、マリー=ルイーズ殿下にも、たくさんお相手候補がいたら、他の候補者に辞退を迫られたとかなんとか適当な理由をつけてロランは候補から外れることもできたかもね。あとは、婚約破棄だ!と突然言われるとか」

「うぐ……っ。」

 一瞬忘れかけていた現実に引き戻され、急に胃が痛くなってきた。

 その手の小説の場合、欠点だらけの、やる気のない候補者に隠れた才能があって、ひょんなことから王太子様と恋仲になり、他の候補者を追い落として最後には王太子妃の座につくなんてありがちなストーリー展開だ。もう一つ考えられるのは、冒頭で婚約破棄だ!と言われて、なぜか他の国の王子に溺愛されるなんていうやつだ。どっちにしろ、王族に嫁ぐストーリーだ。

「あら、ごめんなさい。いつもなら小説のことで頭がいっぱいになるのに、今日はロランの婚約で頭がいっぱいみたいなの」

「いえ、母上の心配はごもっともです。私は少し疲れたので夕食まで部屋で休ませてもらいますね」



「ロラン、夕食の時間よ」

 従妹イネス・クローデルが部屋のドアをノックした。イネスがここに来るということは、クローデル家も一緒に夕飯のようだ。

「ああ、今行く」

 頭の中がいまだにまとまらないせいか、足取りが重い。俺はのろのろと椅子から立ち上がり部屋のドアを開けた。

「叔母様から聞いたわ。こんな日が来るなんて思わなかった」

 イネスは驚いているという風を装っているが、どう見ても声が楽しそうに弾んでいる。

「俺の不幸を楽しんでいるのか」

「不幸?幸せの間違いじゃなくって」

 イネスは無邪気に小首をかしげた。

「誰の差し金かは知らんが、本家の中に放り込まれるんだぞ。どんな目に遭わされるか分かったもんじゃない」

「そりゃあ、大変かもしれないけど~。長年殿下とロランの伝書鳩?愛のキューピッド?をしてきた私からするとついに二人は結ばれたのね!としか思えないんだけど」

 イネスはわざとらしく両手を合わせて俺を仰ぎ見た。

「いや、ちょっと待て!ルーと手紙のやり取りはしていたが、恋愛めいたことはない。執務の相談に乗ったり、たわいのない近況を書いたりした程度で」

「ふ~ん、ルーって呼んでいるんだ。殿下のこと」

 意地の悪い顔のイネスを一発ぶん殴りたい衝動に駆られるが、ここは我慢するしかない。

 そう、殿下とは会うことはなくなったが繋がりが消えたわけではなかった。

 10年前、殿下と別れてからもしばらくは季節の挨拶程度の手紙のやり取りをしていた。

 その数年後、殿下がエクレール王国の王子と婚約が決まった後、俺と殿下のそれぞれの両親から手紙のやり取りを止めるように言われた。

 お互い子供ではあるが、婚約者のいる女性に手紙を送るのがあまり好ましいものではなかったからだ。

 当時の俺は、少々寂しいものを感じたがそんなものだと納得していた。だが、殿下の方は納得していなかったようだ。

 5年前、殿下主催の茶会に参加したイネスと殿下は仲良くなった。しばらくの間は茶会で俺の近況を聞いていたらしいが、イネスが一計を案じた。

─ロランと手紙のやり取りがしたいなら私の名前を使えばいい─

 殿下はイネス宛に手紙を送り、イネスは俺に殿下の手紙を渡す。対する俺は、イネスのふりをして殿下に手紙を送る。

 殿下とイネスは友達なので、殿下からイネス本人に手紙を送りたいこともある。同じイネス宛の手紙でも、イネス本人宛は桃色の封筒と便せん、俺宛ては白色の封筒と便せんというように使い分けていた。殿下への手紙を送るときは、殿下と同様に俺は白、イネスは桃色の封筒と便せんを使った。

「はい、これ、今日の夕方届いた殿下からの手紙よ。殿下の直属の女官さんが持ってきてくれたわよぉ~」

 俺の眼前に白い封筒をちらつかせる。

「いいから渡せ」

「は~い」

 このタイミングで殿下からの手紙?婚姻について何か書いてあるのだろうか。

 俺はペーパーナイフを取りに行こうかと思ったが、面倒なので、封筒の一辺に指をなぞらせた。その瞬間に封筒の端が開いた。

「あ、魔法の無駄遣い」

 いつの間にか俺の真横にぺったりくっついているイネスが口を尖らせた。

「この方が早いし綺麗に開けられる」

「失敗したら手紙ごと裂けそうだけど、よくそんな器用なことができるね」

「風魔法がある程度使えれば誰でもできる芸当だ。そんなことより手紙の内容だ」


 グランフルール男爵から話は聞いたところでしょうか。あなたは信じられない話だと思ったかもしれませんが、皇帝陛下の承認を得た正式なものです。

 あなたの意志を聞くことなく、話を進めてしまって申し訳なく思っています。

 あなたには大変な苦労を掛けてしまうかもしれませんが、私が隣で支えることを誓います。どんな状況になっても私だけはあなたの味方です。

 あなたとはずっと会えなかったのに、これでもう憚られることなく会えるのがとても嬉しいです。


 明日は、ちょっとした顔合わせがありますので正装でよろしくね!


               マリー=ルイーズ・リュミエール・グランフルール


 良く分かったような、分からないような手紙だったが、少なくとも殿下は嬉しそうだということだけは伝わった。

 殿下よ、婚約相手が最底辺貴族の三男の俺で本当にいいのか?しかも単なる男爵家じゃなくて、いつ爵位を没収されてもおかしくない不義男爵家なんだが…。

「殿下、嬉しそうね」

「手紙を勝手に読むな」

「ロラン、どうして嬉しそうじゃないわけ?殿下のこと嫌いなわけじゃないでしょ?あんな美人から声を掛けられたら誰でも嬉しくなると思うんだけど」

 俺は殿下に好意がないわけではないが、しかし。

 殿下は、文武両道、才色兼備の誉れ高く、月の女神のような美しさと例えられるくらいの存在である。

 昔一緒に遊んだとき、可愛い女の子だなとは思っていたが、ここまで美しくなるとは。今は月の女神と形容されているが、昔は太陽のように明るい女の子という雰囲気だった。

 殿下は他を圧倒する美貌の持ち主だが、それを鼻にかけることはなく、常に帝国のために心を砕く人格者として知られている。

 これまでに送られてきた殿下の手紙からも、殿下の人柄が伝わってくるので噂とたがわない人物だと俺も思う。皇室の人気が高い一因は、殿下がいるからと言っても過言ではないだろう。

 また、殿下は類まれなる剣技を有し、代々の皇帝が所持してきた、聖剣ブランシュネージュを自分の身体の一部のように使いこなす。彼女が聖剣を振るえばその周囲に美しい雪の結晶が舞うとのことだ。

 これだけの実力の持ち主であるが、殿下は、魔法が使えないらしい。グランフルール帝国では、俺のように魔法を使える人間はある程度いる。ただ、魔法で栄えたエクレール王国と違い、この国では魔法に重きを置かれていないため欠点とみなされていない。

「イネス、一つ聞くが、仮にイネスが歌劇団ラングドシャの看板俳優ジャンのファンだったとしよう。自分が送ったファンレターに時々その俳優から返事が来るそんな間柄だったと。私ってちょっと特別なファンかもしれないという認識だったところに、今日から私があなたのフィアンセですとその俳優に言われてみろ。どんな気分だ」

「んー。私だったら、憧れのジャン様のフィアンセになれるなんて信じられな~い、嬉しいとは思わないかも。そもそも結ばれるとは思っていない前提でファンレターを送っているはずだし」

「そういうことだ。俺は元々殿下を恋愛対象から外していた。身分が違いすぎるからな。そんな殿下から、この話が持ち込まれてきた。どう整理していいのか分からずに、俺は茫然としているわけだ」

「ふーん。ロランも殿下も大変ね」

 イネスは無表情のまま気のない返事した。

 その日の夕食は、腫物を触るような空気であえて俺の話題を一切しないという、ありがたいような悲しいようなものだった。



 翌日。天気は憎らしいほどの快晴だ。いっそのこと土砂降りの雨でも降ってしまえばいいのにと思ってしまう俺は性格がひねくれている。

「正装って、それ」

 イネスの非難めいた声に対し、

「服装はちゃんとしているはずだが」

 俺はキリっとした表情で返した。といっても、その表情はイネスからはほとんど見えていないだろう。

「服装のことじゃなくて、髪型が問題なのよ。あと、立ち方!」

「外出時のいつもの風貌だ。くすんだ灰色の目、天然パーマで艶のない黒髪、長い前髪で顔半分が隠れている、猫背で内気なロラン君で通っているからな。皇室の認識もこの冴えない姿の方だろう」

 俺は背中を丸めながら答えた。

「イネスの言うことはもっともだが、本来のロランの姿はあまりにも目立ち過ぎる。だからこそ、これまでずっとその姿を隠してきたんだ」

 皇室の馬車を迎えるべく玄関近くに立っていた父が俺を援護する。

「確かに青髪に金と銀のオッドアイなんてそうそういないから目立つのは目立つよね。でも、ロランの顔かたちって初代皇帝様の若いころみたいで、すっごくカッコイイのに。隠すの勿体ない。わざわざ魔法を使ってまで、そんな冴えない風貌にして」

 それでもイネスは納得していない様子だ。

「今の皇室は安定しているといわれているが、ロランの姿を見たら悪用する奴も出てこよう。当家の家訓は『目立たず、堅実に』だ。いらぬ諍いを起こさずに済ませられるなら、それに越したことはない」

 父の言う通りだ。だが、殿下に目をつけられてしまったので俺は家訓を破ってしまった感は否めない。

 俺の姿は、絶対的なカリスマを放っていた初代皇帝シャルルにあまりにも似すぎている。幼いころは、髪の色と目の色が同じだけでは?と思っていたが、長ずるにつれて、初代皇帝の肖像画そっくりになってきたと自分でも思う。

 帝国博物館に展示されている初代皇帝の肖像画の数々を見る度に気恥ずかしさを感じてしまう。

 気にし過ぎかもしれないが、帝国に政変でも起きようものなら、俺を初代皇帝シャルル様の生まれ変わりとして担がれる危険があるのは間違いない。実際、初代皇帝の血が流れていることでもあるし。

 本当にシャルルの生まれ変わりなのでは?と考えたこともあるが、多分それはないだろう。おそらく先祖返りか何かだと思う。

 初代皇帝のまつわる逸話を読んでみたが、自分と性格が違いすぎる。ゼロに近いところから国を作ってしまおうなんていう、バイタリティーは俺にはない。

 そういうわけで、幼いころは父の魔法で、ある程度大きくなってからは自分の魔法でこの姿に扮している。

「ところで、叔母様は」

「母上は、新作を思いついたとかなんとかで昨日の夜から部屋に籠りきりだと思う」

「こんなときにって思うけど、叔母様らしいわね」

 俺たちは苦笑した。

 こんなときにマイペースを貫く母が少し羨ましくもある。もしかしたら、母はこの婚約話を受け止めきれずに現実逃避に走ってしまったのかもしれない。そうだとしたら、本当に申し訳ない。

「……正門に馬車が到着したようだ。ロラン、皇室の方々に失礼のないようにな」

「父上、行ってまいります」

「正門まで送ろう」

 憂いを帯びた表情の父に促されて玄関を出た。これからも父に迷惑を掛け続けることになる、そう思うと申し訳なさで頭がいっぱいになってしまった。



 俺と父が正門着くと、豪華な馬車から一人の令嬢が降りてきた。その姿を見て、俺と父はすぐにその場に跪いた。

 陽の光を浴びて輝く、緩いウェーブを描いた淡い金色の髪、強い意志を含んだ青い瞳、青と銀を基調にした、ふんわりとしたドレス越しでも均整の取れた体型であることが分かってしまう、マリー=ルイーズ・リュミエール・グランフルール皇太女殿下、その人だった。

「跪く必要はありません。これから私の夫になる人と舅になる人なのですから」

 きっぱりとした口調の殿下に促されて、俺たちは遠慮がちに立ち上がった。

「久しぶりですね。ロラン、元気にしていましたか」

 殿下が俺にこれ以上ないくらいの優しそうな表情を向けた。

「……は、はい……」

 殿下のあまりの美しさに俺は反応が遅れてしまい、しかも気の利いた返事すらできなかった。

「グランフルール男爵、今日は大事な息子さんをお預かりしますね。今後のことは、追ってお知らせいたしますのでそのつもりで」

「承知いたしました。恐れながらお尋ねいたしますが、なにゆえ殿下自ら迎えの馬車に乗り込まれたのですか」

「簡単なことです。私が一刻も早くロランに会いたかったからです」

 そう言いながらも途中から顔を赤らめていく殿下に思わずドキッとしてしまった。

 殿下とは手紙のやり取りを何年もしてきたが、愛だの恋だのをにおわすことは一切書いてなかったと思うのだが…。目の前の殿下の様子から、演技でも何でもなく、俺に好意を持っているのではないだろうか。

「さぁ、ロラン。参りましょう」

 殿下は若干気恥ずかしくなりながらも、手を差し出して俺に手を取るように促した。殿下と俺はややぎこちなく馬車に乗り込んだ。



「昔とあまり変わらない雰囲気で安心しました」

 殿下には悪いが、魔法でこの外見は作っているから変わり映えしないだろうな、当然。

「すみません。あまりぱっとしない見た目で。殿下と並んだら僕の姿はかすんでしまいそうです」

「何を言うのです。これからは皇室の一員なのですからしっかりなさってください。大丈夫です、私が支えますから」

 殿下は、まっすぐに俺の顔を見て言い切った。

「勿体ないお言葉をありがとうございます」

「そ・れ・よ・り」

 殿下はわざとらしく一音一音区切りながら話し出した。

「何ですか、その殿下、殿下って。あと、へりくだったしゃべり方。私達、知らない仲ではないでしょう!手紙でももう少し親しみのある感じでしたのに」

 殿下は形の良い眉を少し釣り上げた。少し怒った顔も可愛いと普通の男なら思うだろう。

「失礼のないように接したつもりだったのですが、むしろ失礼な対応でした。すみません」

「すみませんは、いいですから。せめて、手紙の時と同じくらいに話してくださらないかしら」

 ほぅ、手紙と同じくらい、ねぇ…。

「ごめんなさいね、ルー。あなたを怒らせるつもりはなかったの。でも、こうしてあなたと直接話す日が来るなんて信じられないわ。だからちょっと緊張しているの」

 俺は軽くしなを作った。

 俺がこれまで送ってきた手紙は、殿下に危害が及ばないように殿下のお付きの者が中身を確認しているだろうから、怪しまれないように筆跡も文体もイネスそっくりに書いて俺はいつも送っていた。

 今日まで問題なく殿下と手紙のやり取りができていたのだから、殿下の友人の貴族令嬢からの手紙と認知されていたと思われる。

 俺の反応に、殿下は、いや、ルーはぎょっとした顔をしていたが、しばらくすると笑い出した。

「い、今のは私が悪いわね。その口調、面白いからしばらくそれでお話しましょう」

「それは、僕が恥ずかしいです」

「じゃあ、せめて馬車の間だけ」

「もう、しょうがないわね」

 こうしてルーと俺を包んでいた、ぎこちない空気はいつの間にか消えていた。



「宮殿の敷地内に入りましたね。ロラン、窓の外を見て。あの庭の中にある東屋でイネスと時々お茶会をしていましたのよ」

「あら、どこかしら」

 俺のお嬢様口調はまだ継続中だ。

「そっちじゃなくて、もう少し先の方を見て。あっ」

 ルーが少し腰を浮かせたタイミングと馬車が小石か何かを乗り上げて揺れたタイミングが一致してしまったのが災いした。

 俺の正面に座っていたはずのルーが俺の方に倒れ込んだ。

 ルーが頭を打たないように俺はとっさにルーを受け止める。

「ロ、ロラン。受け止めてくれたのは嬉しいのだけれども、手の位置が…」

 受け止めた瞬間、女の子は柔らかいなと、何かいい匂いがするなと間の抜けたことを思っていたのだが、よく見ると俺の右手はルーの頭に、俺の左手は……ルーのお尻を思いっきり掴んでいた。

 しかも、俺の左胸から左腕にかけてルーの胸が当たっていた。

 何ということだ、俺はルーの胸と尻を同時に触れているドスケベ男に成り下がってしまった。

「あああ、申し訳ない。なんという失態を!」

「いえ、いいのです。ロランは悪くありません。事故なのですから」

 ルーはするすると俺から離れ、俺の正面ではなく、隣に座りなおした。

 あまりの気まずさにお互い顔を見られなくなり、それぞれ馬車の窓から風景を見ている振りをした、そして、そのままお互い話すべき言葉を失ってしまった。

 時間を巻き戻せるなら、巻き戻したいくらいだ。さっきまでの穏やかな空気を返してほしい。ラッキースケベなんかいらん。後からくる気まずい空気が痛すぎる。

 そう思いながらもルーに触れたときの感触をつい思い返してしまった。自分のいやらしさに自分で自分を殴りたくなる。

「ねぇ、ロラン。さっきのことは気にしないで。ロランに触られる心の準備?みたいなものができていなかっただけだから。夫婦になれば一緒のベッドに…」

 沈黙を破ってルーがすごいことを言い始めた。

「わーわーわー!それ以上言わないでください。やっぱり、僕は殿下の隣に立つべき男じゃないですよ。見た目も身分も釣り合わないですし。会ってすぐに殿下に不埒なことをしてしまう最低な男、今からでも婚約の申し出を取り消…んっ!」

 開きかけた口を何か柔らかいもので塞がれる。俺の大きく見開いた目にはルーの顔が映っていた。ということは、今俺の口を塞いでいるのはルーの唇⁈

 ルーを押しのけるべきなのか、これ。

 いや、押しのけようにもルーがさりげなく俺の両手首を掴んでいる。完全に抑え込まれていて腕を動かそうにも動かせない。

 これは一体、どういうシチュエーションなんだ。

 残念ながら、冴えない最底辺貴族三男として生きてきた俺には恋愛経験がなさ過ぎて、どうしていいのか分からない。

 あ、まずい。自分にかけていた魔法が解けていく。

 よほどのことじゃない限り、解けないはずなのだが。

「ロラン?ねえ、その姿は」

 俺の異変に気が付いたルーは俺から顔を離したが、それでも吐息がかかるくらいの距離だ。

 ルーは不思議そうに俺の顔を眺める。馬車の窓に移った姿は、まっすぐに伸びた鮮やかな青い髪、金銀のオッドアイの男。俺の本当の姿だった。

「見ないでください。これが俺の本当の姿です」

 まさか、宮殿にたどり着く前にこの姿をさらしてしまうとは。自分が情けなくてルーと目を合わせられない。

「そう。では、見た目を卑下する必要はありませんね。私としては、先ほどまでの姿も幼いころの面影そのままで悪くはなかったのですが」

 ルーは、まばゆいばかりの笑顔を俺に向ける。俺なんかにどうしてそんな表情を見せてくるんだ。

「待て待て待て!長年ルーを、殿下をだまし続けていたのですよ。そこは怒るべきところではないですか?婚約しようと考えた相手が全然違う姿になっているのだから」

「ロラン、もっと顔を見せて」

 ルーが俺の両ほほに手を添えた。

 俺は、いろいろな感情が混ざり合ってどういう顔をすればいいのか最早分からなくなってしまった。

「やっぱり私の尊敬する初代皇帝様によく似ていますね」

 ルーは、まじまじと俺の顔を眺めながら微笑んだ。

「だから、姿をさらすわけにいかないのですよ。俺も俺の家族もこの姿を悪用したくないし、悪用されたくもない。家訓のとおり『目立たず、堅実に』生きていきたかったのですが」

「ロランには悪いけど、目立たずに生きるのは諦めてもらえないかしら。それと、……いきなりキスしてごめんなさい。ロランからその先の言葉を言ってほしくなくて、つい」

「まさか、ルーからされるとは思ってもみなかった。……初めてのキスがあれで良かったのだろうか」

 再び恥ずかしさがこみ上げてきた。ちらりと横を見ると、ルーも顔が真っ赤だ。

「そうですね。もっと雰囲気というか何というかそういうのがあった方が良かったかもしれませんね。本当にごめんなさい。勝手にそんなことをしてしまって」

 自分の失態をきっかけに、何とかこの婚約をなかったことにしたかったのだが、ルーはそれを許さないからあんな強引な方法を取ったのだろう。

 ルーの前途を考えると、俺など不釣り合いこの上ないと思う。むしろ俺の存在がルーにとって損失になるのは間違いない。

 ルーが傷つく前に離れたいのが俺の本音だ。

「でも…実は、私とあなた、キスするの初めてじゃないの」

「えっ」

 初めてじゃないってどういうことだ?

 今日、約十年ぶりにルーと再会したわけだし、十年前を思い返してもそんな記憶はない。ルーと再会してから心が乱されてばかりだ。

「ルー、すまない。思い出せないんだが」

「もうすぐ着きますよ。馬車を降りる準備をしてくださいね」

 ルーは、それ以上聞くなと言わんばかりの張り付いた笑顔を俺に向けた。

 ルーには申し訳ないが、そんな大事な出来事を俺はどうして思い出せないのだろうか。

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