仕事とは人生の写し鏡。これは『布教する』物語です。

就職難の末、馬鹿にしていた清掃業に勤めることになったばかりか、かつて無礼を働いた清掃員・秋元とばったり再会することになった主人公・佐野の物語。

私たちは学生時代「人が嫌がることは率先してやりなさい」と教えられました。
また、某レジャーランドでは「床に落ちたものを食べられるくらいに掃除しなさい」という教育方針があるのだと聞いたことがあります。
では、そうすることで何が見えるのか。どう成長に繋がるのか。
その答えが、本作にあります。そしてそれは、清掃業のみならず、他の職業にも言えることだと私は思います。

私も接客を伴う仕事をしておりますので、その視点から、お客様方に対して思う事も多々あります。もちろん、立場上言えませんが。
途中の応援コメントでも書きましたが、一番目に余るのは「お客様が取り立てて気にしていないこと・振る舞い」です。存外、無意識的にやってしまっていることの方が困りものだったりするのです。
本作の題材である清掃に擬えるのなら、クレーマーが「派手にぶちまけてしまった汚水」でしょうか。これは可愛いものです。嵐が目に見えますし、一時の応対で済みます。大変なのは「もう一歩前に進まないでした小便」や「壁に向かって放ったくしゃみ」のような、掃除をする側に立たないと気付かないような小さなことの積み重ねです。これがまあ頑固なんだww


清掃・接客のみならず、こうしたことはどこにでも起こり得ます。学校や職場で気になったこと、友人間でも踏み込めないこと、恋人でさえも許せないことなど、あるでしょう。
そういったものを呑み込んだり、愚痴を吐くといったことは多くの人がしますが、「ならば私はこういう風に振る舞うようにしよう」と行動に移す方は中々いないように思います(私も未熟です)。
そうしたものは、行動に出ます。自分が馬鹿にされるのは嫌でも、他者のことは指さして笑ったり。笑い方が汚くなったり、言葉遣いが崩れたり、歩き方が粗野になったり。裕福かどうかだとか、ファッションのセンスがどうとかではなく、品の有無として現れます。
本作の主人公・佐野くんも、品のない『不良』から物語がスタートします。

そうして仕事を経ることで迎える、静かながらも、紛うことなきハッピーエンド。じわりと胸に染みて来ました。
エピローグの題である『±0』というのも、素敵です。悪いことを呑み込むだけでなく、良いことだけを見るわけでもなく、両方をきちんと受け入れて、そこからリセット・リスタートしていく。
今の仕事や私生活を『煉瓦を積む』という認識で終えるのか、『教会を建てる』と見るか『布教している』と見るか。本作から何を見出し、自分の今後にどう繋げるか。
物語というもの自体が、読み手の心持ち次第で見方の変わるものではありますが、本作は殊更、写し鏡のようにハッとさせられるものでした。
素敵な物語をありがとうございます。

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