「いつもと変わりない日常」の有り難さに、思いを馳せたことがあるか?
- ★★★ Excellent!!!
自分の身の回りが気持ちよく保たれていることに、意識を向けたことがあるだろうか。
外出先のトイレ、店舗や公共施設の床。毎日過ごす家の中。なぜ、何も不自由を感じず心地よく暮らせているのか、考えたことはあるだろうか。
それらの環境は、魔法のように自然に整っていくものではない。そこには、必ず「誰か」の労力が注がれている。生きていれば必ず発生する生活の汚れを拭き取り、不足したものを補充し、限りなく出るゴミを片付け、床や窓を拭く。そういう、負の生成物を取り除いて「いつもと変わりない日常」を作る誰かの努力があるからこそ、普段の生活が回っている。
けれど、「いつもと変わりない日常」の有り難さに、私たちはあまりにも無関心だ。整っていることが当たり前だとは思っていないか。そこに誰かが注いでいる努力に、感謝の気持ちを持てているか。トイレの汚物を掃除し、床にへばりついた靴の汚れや食物のこびり付きを擦り取り、無神経に放置された紙屑やペットボトルを拾い集める人の努力に、思いを馳せたことがあるか。
いや、それ以下ですらある。この作品に取り上げられた清掃という仕事にも、それぞれの家の家事にも、全く同じことが言える。私たちは、そういう「日常の雑務」を担当する人を蔑む傾向がある。汚れたものを片付ける、レベルの低い雑務。それはとりあえず「自分より下の者」がする仕事で、自分の仕事ではない——。
「仕事のレベル」とは何なのか。「上」とは、「下」とは何か?
無意識に過ごす日常の中に潜む、驚くほどに歪んだ固定観念。誰のおかげで心地よく暮らせているかを考えもせず、日々黙々と見えない努力を続ける人を蔑み、嘲笑う。この作品には、そんな社会の不条理が、静かに淡々と綴られている。何かが解決するわけでもハッピーエンドを迎えるわけでもなく、積み重ねるように綴られる場面場面が、私たちにひしひしと訴えかける。普段通りの日常を作ることが、どれだけ大変なのかを。
「いつもの日常」を保つために、見えない場所、気付かない場所で注がれている努力の大きさ。その努力への感謝。自分自身を顧みながら読みたい現代ドラマだ。