最終章
第1話 ママ友
「ナツー。俺のネクタイどれ?」
イラついた先輩の声が、僕を焦らせる。
「どれでもいいです」
僕はリオの着替えに手を取られていて、先輩の面倒まで見ることができないでいる。
「ダメだろう。どれでもは嫌だよ」
朝からずっとぐずっているリオに、どうにか真新しい制服を着させている最中なのだ。
リオは窮屈なのか、ハイソックスがとにかくイヤみたいで、履かせても履かせてもすぐに脱ぎ捨ててしまう。
「もういいよ。嫌なら履かなくて」
僕だって、甘やかしてばっかりではいられない。わがままが過ぎれば大人は怒るんだと言う事を教えなくてはいけないのだ。真剣な顔で怒っているぞとアピールする。
そんな僕に、リオはソックスを投げつけた。
「やったな、このやろー。やっちゃったなー」
僕は大人の力でリオを制圧。床にあお向けに転がして、脇腹をくすぐる。
「そんな事したらアンパンチだぞー」
人差し指を咥えながら、リオはきゃははは! と体をよじりながら笑い声をあげた。
「ナツ―!」
先輩がのイライラが、限界に達したようだ。
「はいはい」
しばしテレビでアンパンマンのDVDを流し、その前にリオを座らせる。
寝室のクローゼットの前で、着替え中の先輩の元へ急ぐ。
この日のためにあつらえた薄いグレーのスーツに着替えていた先輩は、不機嫌顔でベッドに腰かけている。
そんな先輩に、僕はネクタイを合わせる。
「黒か、濃い目のグレーが無難だけど、黄色もおしゃれ! 春だし、入園式だし、明るい色にしましょう」
そして、リオより手がかかる先輩に明るいブルーの、ドット柄のネクタイを結んであげる。
僕は紺のスーツに、赤と青のラインが入ったネクタイ。
「よし! 行こうか」
「はい」
ゲイバーミラノから徒歩3分。
2LDKの僕達の住処の玄関を出て、マンションのエントランスを抜けると、柔らかい春風が、桜の花びらを頭上に運んだ。
「雪――!!」
僕と先輩の間で、リオは眩しそうに空を見上げる。
「雪みたいだね。桜の花びらだよ」
そんな答えはいらないとでも言いたげに、リオは繋いだ両手に力を込め、足を浮かせた。
僕と先輩は、小さな体をブランコのように持ち上げ、ブラブラと振り、リオの期待に応える。
なんだか少し重たくなったような気がする。
「なんとか間に合いそうだな。入園式」
「先輩、なかなか起きないから!」
「いいじゃん。結果的に間に合ったんだから」
同じ方向に歩く、正装した人たち。両親の間にはリオと同じ制服を着た子供。みな、この上ない笑顔を湛えて、新宿二丁目幼稚園の門をくぐる。
そんな家族に僕たちも同化して、園の門を潜った。もちろん幸せそうな顔で。
興味津々に僕達に目を向ける人はいない。
でも実を言うと、僕は少し怖い。
リオがお友達や先生から変な目で見られたり、嫌な事を言われたりしないだろうか?
もしそうなった時、リオを、リオの心を、僕は守ってあげられるだろうか?
入園の面接の時、きりりと男装が似合いそうな50代くらいの女性園長は言った。
「素晴らしい! この園に相応しいご家族です。私もLGBT差別のない未来を望んでいます。是非任せてください」
と胸を叩いてくれた。
僕達の新居から徒歩5分の幼稚園に通う子供たちは、日常で絶対、高確率で性的少数派の人たちとすれ違っているのだ。
僕と先輩の手にぶら下がり、アクロバティックに宙返りをするリオの所に、真新しい制服の男の子がトコトコとやって来た。
リオより少し大きい。でも同級生だ。
「こんにちは」
僕が声をかけると、その男の子はリオに向かってこう言った。
「パパふたりー」
リオは少し顔を強張らせて答える。
「ちがうよ。こっちがパパで、こっちがママ」
と先輩と僕の腕を交互に掴んだ。
男の子は目をまぁるく見開き、興奮の声を上げた。
「すげぇ。いいなぁ。かっこいいママ。」
人はいつから、性的差別を覚えるのだろうか?
パパは男。ママは女と、いつからそんな概念に捕らわれ始めるのだろう。
先輩はにっこりと笑い「いいだろう!」と言った。
この真っさらな澄んだ瞳が、僕たちを白い目で見る時が来ない事を、心から願った。
「こんにちはー」
薄い春色のスーツ。肩辺りで前髪まで同じ長さに切りそろえた髪。
ナチュラルなメイクでサバサバとした印象の、その男の子のママらしき女性が、にっこりと僕達に挨拶をした。
「こんにちは!」
僕と先輩は、その明るい声に応えた。
「こっちがパパ! こっちがママ!」
リオは、まるで言わなきゃいけない事かのように、少し照れながらたどたどしく僕達をその女性に紹介した。
「わぁ、素敵! かっこいいパパとママ。いいね!」とリオに言った後、「これからよろしくお願いします」
と頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします」
僕達はにこやかに、在り来たりの挨拶で答えた。
彼女の名前は今井りさこさん。
りさこさんは、僕の初のママ友となった。
◇
「うちの旦那、本当、何もしなくってさぁ、私だって働いているのに」
僕が焼いたクッキーをポリポリとかみ砕きながら、生まれも育ちも新宿二丁目のりさ子さんは愚痴をこぼす。
りさ子さんは、入園式の次の日から、頻繁に我が家へ遊びに来るようになっていた。
沿道をピンクに染めていた桜はすっかり散って、あおあおと生い茂る若葉をバックに、こいのぼりが空を泳ぐ頃。
「うちも何もしませんよ! ネクタイすら自分で選べないんですよ。本当リオより手がかかって大変ですよ」
僕もりさ子さんに乗っかって、日ごろの鬱憤を晴らす。
「もしかしてさぁ、ネクタイまで結んでやるの?」
りさ子さんは、興味津々で身を乗り出す。
僕は呆れ顔で頷く。
「はい」
「きゃっはー。でもさぁ、あんなイケメン夫だったら私だって、ネクタイぐらい喜んで結んであげるわー。玄関で片膝ついて、靴まで履かせるわよ」
りさ子さんは、完全に方向性を間違っているが、嫌いじゃない。
りさ子さんと愚痴を言い合いながら、僕はこの町の居心地の良さに浸っていた。
「そろそろお迎えの時間ですよ。行きましょうか」
そう言って、りさ子さんと幼稚園へ向かう。
りさ子さんの息子、
プライベートでも、お互いの家を行ったり来たり、夕飯のおかずをおすそ分けし合うぐらいには仲良しだ。
園庭で遊ぶ子供たちに目を細めながら、僕とりさ子さんは教室へ向かった。
園庭に、勇大もリオもいない。きっと教室で遊んでいるんだ。
昇降口を過ぎると、子供たちの賑やかな声に交ざって、女の子のこんな声が聞こえた。
「ママは女よー! 男はパパ。リオ君へん――――!! きゃははははは」
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