第12話 さよなら、新宿二丁目
「ちょっと聞いてー」
ゴツゴツした手でしなを作りながら入って来たのは、結城さんという常連客だ。
しんごママに負けず劣らず、ド派手なワンピースを身にまとっている。
昼間はスーツを着た、大手企業の重役さんらしい。
僕はこの人が苦手だ。
酒が進むと、自分が女装している事を忘れて、まともな会社で働けと僕に説教してくるのだ。
結城さんは、昼間一生懸命働いて、女装も男漁りも趣味の範疇なのだろうけど、僕は違う。僕なりに一生懸命生きているのだ。
奥さんも子供もいる女装好きのおじさんに、そんな風に説教されるのは、正直不愉快だ。
ちょっと聞いてー! と大げさにやって来る割に、持って来た話はいつもしょうもない話題ばかり。
マッチングアプリでリアルした相手が、俳優の誰それだったとか、自分とこの会社の若い男性社員と不倫しちゃった、だとか。
本当かウソか分らないけど、本当でも嘘でもどっちでも良いような話。
しかし、今回、結城さんが持って来た話題に、僕は震撼した。
「ハロウィンのゲイイベントで知り合ったタイ人のイケメンから連絡来てさぁ。彼、プロレスラー並みに全身ムキムキなのよ~」
僕は結城さんの顔を見たまま、固まった。
「何よ。化け物でも見るような目で見ないでちょうだい」
ヒステリックにそう言い放ち、ドピンクのバッグから電子タバコを取り出した。
「そのタイ人って、いつも半袖着てます?」
「あら、あんた知ってんの? ここに来た事あるのかしら?」
いつも結城さんの話に無関心の僕が、食いついて来た事にご満悦の様子で、喜んで答えてくれた。
「日本語話せない人ですか?」
「そうそう。バンクっていうんだけど、あたしタイ語喋れるから懐かれちゃって」
HIVキャリアだと言う事は知らない様子だ。
「そのバンクからお誘い受けたんですか?」
「そうなのよ。彼、女装した男が好きみたいで」
ミチルは女の子っぽい顔だが、女装はしていない。少しお化粧してるぐらいだ。
「誘われたって、それ本当ですか?」
「本当よ! 失礼ね」
と言いながら結城さんは、スマホの画面を僕に見せた。
ライントークでメッセージのやり取りしているアイコンは確かにディーノだった。
タイ語に対応していないのか、やり取りは英語っぽかったが、英語もよくわからない僕には、内容までは理解する事はできなかった。
「ちゃんとゴム付けた方がいいですよ」
一応、忠告してあげた。
「わかってるわよ」
と、結城さんは泡を飛ばす。
どうしよう。
ミチルに知らせるかどうしようか迷う。もうアイツとは会わないで欲しい。
しかし、ミチルにはもう連絡もするなと、さっき先輩から釘を刺されたばかりだ。
でも、このバンクという男はミチルが命がけで付き合うような男じゃない。
ミチルは騙されている。
手遅れになる前に、ミチルにこの事を知らせなくては。
僕はカウンタ―の下で、こっそりスマホのボイスメモを起動させた。
「結城さん、バンクとはやったんですか?」
「まだよ」
「いつ会う予定なんですか?」
「今夜」
「ここで待ち合わせですか?」
「そうよ」
ピコン
録音停止。
僕はすぐに、録音データをミチルに送った。この音声が何を意味するのか賢いミチルには解るはずだ。
ミチルはまだ二十歳になったばかりなんだ。
自棄を起こして人生台無しにするには若すぎる。僕はどうしてもミチルを放って置く事ができなかった。
程なくして、ミチルから返信が届いた。
『あの後、バンクとは別れたよ』
『そう、よかった』
セックスしたのかどうなのかは確認しない。
僕には関係ない、と割り切ったわけではなく、知るのが怖かったのだ。
なのに、ミチルは返信してきた。
『生でされそうになったから、別れた』
僕は盛大な安堵の息を漏らし、天井を仰いだ。もう思い残す事は何もない。
これでミチルとも安心してお別れできる。
さよなら、ミチル。
さよなら、僕を僕らしくいさせてくれた場所……新宿二丁目。
さよなら、僕は僕のままでいいんだと教えてくれた、しんごママ。
さよなら、同じ痛みを持った仲間たち。
今までありがとう。
これから僕は、僕が僕らしくいられる場所を作ってくれる人と一緒に生きて行きます。
僕はママになる!
第二章完結
第三章に続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます