第8話 彼女の恋愛対象は男
一頻り、過激な運動で、体を酷使した僕たちは、その後、歌舞伎町へ向かった。
強い日差しに晒された素肌はじりじりと泣き声を上げていた。
秋の夜風は、幾分肌ざりはいいが、癒してはくれない。
結局、先輩たちと飲みに行く事になった僕は、華やかな私服に着替えた女子たちの後ろ姿を視界に収めながら、先輩と並んで歩いていた。
「お前、なんで彼女と別れたんだよ?」
「なんでって言われても……まぁ、色々あって」
嘘は、はっきり言って好きじゃない。でも苦手ではない。今更罪悪感もない。もしもえんま様という人が本当に存在するなら、僕の舌はいくつあっても足りないだろう。
「どんな子だったんだよ。見てみたかったなー。お前の彼女」
「あー、可愛い子でしたよ。健気で」
「いくつ?」
「19歳で、今年、二十歳です」
今年、二十歳……。
なんだか少し引っかかりをおぼえたが、次の先輩の言葉で吹き飛んだ。
「未成年じゃん! お前って罪なやつ!」
そう言って、先輩は吹っ切れたように声を上げて笑ったのだから。
「そっか。じゃあ逆にちょうどよかったな。ナミちゃんどうよ? お前の事気に入ってるみたいだけど」
「いやぁ、すいません。ないっす」と即答する。
「まぁ、今日会ったばかりだしな、話してみたらいいと思うかもしんないじゃん。あの中だとナミちゃん、一番かわいいだろう。性格もいい子だよ」
「わかってるんですよ。いい子なのは、一緒にプレイしててわかりました」
ナミちゃんは本当にいい子なんだと思う。
仲間のミスも笑いながら「ドンマイ」「頑張って」と前向きに声をかけたり、「ナイスパス」「ナイスファイト」と、お遊びにも関わらず、ムードメーカーに努めていて、好感が持てた。
休憩中は、すぐに孤立してしまう僕の事を気にかけ、何度も話しかけてくれた。
それがたとえ、表面的な物であったとしても、僕がゲイじゃなかったら、好きになっていたはずだ。
恋愛対象が女の、普通の男だったら……
「僕、自信ないですよ。あんないい子と付き合うなんて。仕事もまだ中途半端だし」
「そういえば、お前が働いてる店ってどこ? 聞いてなかったな」
「あー、……そのうち教えますね」
自覚はないが、多分僕の目は泳いでいた。
「なんだそれ」と先輩は、不思議そうな顔をしたが、それ以上は突っ込んでこなかった。
◇
歌舞伎町一番街の赤い門をくぐって、すぐの居酒屋に入ったのは、18時30分ぐらいだった。
個室の座敷に通され、何気に携帯を取り出した僕は、スクリーンを二度見した。
不在着信57件。全てミチルからだ。
ミチルどころか、スマホの存在さえも、全く気に留めていなかった。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってきます」
尿意なんてないが、慌ててトイレに向かい、扉の前の狭い通路で電話をかけた。
「ごめん。先輩たちと飲んでるんだ。どうした?」
『……はぁ?』
「え?」
続く沈黙。
なんか様子がおかしい。何か重大な事を忘れているような気が……
『嘘でしょう。忘れたの? 今日僕の誕生日、一緒にお祝いしてくれるって言ってたじゃん』
「あーーーーー!!! なんかそういう事言ってた。ごめん、飲み過ぎてて記憶失くしてた。新宿駅だっけ? え? 何時に約束したっけ?」
『はぁー? マジで言ってる? 最低! もういい』
「あ、ちょっ……ま……」
ツーツーツー。
脳内に神経を集中させると、断片的ではあるが、記憶が蘇って来た。
『六本木のOZ』『ワタリガニのパスタ』『指輪!!』
急いでかけ直したが、ミチルは出ない。完全に怒らせてしまったかもしれない。ジリジリと焼けた肌が熱を持ち、滝のような汗が全身から噴き出す。
しかし、この時の僕はまだ諦めてはいなかった。気分はメロス。半日、炎天下でほぼノンストップでフットサルをしていた体にムチ打って、ミチルの所へ走って行くぐらいの気持ちはあった。
この時間ならまだ間に合うかもしれなかった。なぜならこの日は木曜日。六本木の人気店と言っても、予約なしでも、どうにか入れるかもしれないし、ダメだったとしても、それに代わる手段ならいくらでもあるはずだ。
これから急いで向かおう。そう思っていた僕の視界に、こちらに向かってくる先輩が映り込んだ。先輩の目的地はトイレ。
「先輩、僕、ちょっと――」急用思いだして、と言おうとして「お前、生ビールでよかったよな? 注文しといた」と、遮ってきた。
わかってる、わざとじゃない。
自分の言いたい事があると、相手の言葉を遮る癖が、先輩にはあるんだ。
「はい。ありがとうございます」
そして、僕が抜けたら、男は先輩一人になってしまう。一気に場が白けてしまうんじゃないか。そんな風に変な気を回し、僕は意を決してミチルにメッセージを打ち込んだ。
『ごめん。8時まで待って。8時に新宿駅。必ず行くから』
少し早めに退席させてもらえれば、なんとかなる。そう思っていたんだ。
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