第3話 パパの役割
離婚は成立しているとはいえ、リオは前の奥さんと先輩の子供で、どうしてママがお迎えに来なかったのか、その事情について、僕が立ち入る事はできない。
ただ、リオと先輩と僕と3人で暮らせる未来があるかも知れないというこの状況は、至極の喜びを与えた。と同時にその喜びは強い思いに変わって行った。
リオと先輩と3人で暮らしたい。リオのママになりたい。
僕は子育ての事や、父親が親権を握るためにしなくてはいけない事なんかについてネットで、ささっと調べてみた。
取り敢えず、必要な物を頭の中で整理する。
リオのトートバッグの中には、ビニール袋に入れられた汚れ物。きちんと畳まれた未使用の長袖のTシャツと綿の長ズボン。小さなタオル。紙パンツなんかも入っていた。
「3歳って、まだ一人でトイレに行けないんですね」
と先輩に話しかけると
「行けるだろ。おむつするのは夜だけだ」
と言った。
紙パンツはおねしょ対策らしい。
サイズは80センチ。
ネットで調べた3歳の標準サイズは95~100。リオは随分小さい気がした。
「先輩、リオって他の子に比べて小さい方ですね」
「うん。同級の子に比べたら小さい方かな」
バッグの内ポケットに連絡帳が入っている。園と家庭での連絡のやり取りだ。
表紙をめくると、一番最初のページにアレルギー物質の一覧があった。
僕は大きく息を吸った。キーンと後頭部が冷たくなり、変な汗がにじんだ。
調理師免許を持つ人間としては大失態だ。なんて事を……
アレルギーの確認もせず、リオにご飯を作って食べさせてしまった。
「先輩! すいません。僕……」
食らいつくように、先輩の正面から両肩を握った。目にはじわっと涙。
「うおっ! 何? どうした?」
「すいません。僕、アレルギーの確認もしないで……リオにご飯食べさせちゃって」
先輩は、きょとんとしている。
「は? アレルギー? ないだろ」
「はい。結果的には」
リオはベッドの上でキャッキャと奇声を上げながら、汗だくで飛び跳ねている。
「パパ、みてみてーーー」
トランポリンと化した安物のシングルベッドはガタッ、ギシッ、ミシっと不穏な鳴き声を漏らしながらもどこか楽し気だ。
先輩は呆れた顔で僕を見る。
「なんか、あったの?」
はっと我に返り「あ、いや。これ」と連絡帳を先輩に渡した。
「アレルギー有無の表示があったから。つい……。それより、中身読んだ方がいいかも?」
中身は僕が見てはいけない物のような気がした。
「託児所の連絡帳です。奥さんが迎えに来なかった理由とか、会ってない間のリオの事とか解るかもしれません」
先輩はそのノートを神妙な顔つきで受取り、「ありがとう。読んでおくよ」と言いテーブルに置いた。ベッドで暴れるリオに向かって「やめろ。ベッド壊れるだろ」と、声を荒げる。
「いいですよ。リオがケガしないようにだけ、見守っててあげてください」
その言葉に安心したのか、一旦動きを止めたリオの動きは更に激しくなる。
「ナツーー、みてみてーー」
と下手くそなでんぐり返しを披露して見せた。
「おお! すごいなぁ。上手!」と誉めるとまた更にヒートアップ。
近隣の住人から苦情がくるまでは好きにさせておこう。
「僕、ちょっと買い出しに行ってきますね。お風呂溜めてるので、リオと一緒に入っちゃってください。しっかり温めて、その後寒くないようにしてあげてください」
「わかった。ありがとう」
僕は近所のホームセンターに走った。
子供用の歯ブラシや紙パンツ、リオの冬物の服やパジャマを購入した。リオが持参した服ではとても寒さは凌げない気がした。
リオのママはきっと、仕事が忙しくて冬支度が間に合ってないんだ。
少し大きくなっても着られるように、90センチの服を買っておいた。
家に帰ると、先輩はソファに横になっていて、リオは相変わらずベッドの上で飛び跳ねている。
先輩はきっと、家事も子育ても奥さんに任せっきりだったに違いない。
すぐにほったらかしでテレビやスマホに夢中になる。
「お風呂入ったんですか?」
「いや。まだ。後で入るよ」
「歯ブラシ買ってきたんで、寝る前に磨いて上げてくださいね」
「うん。わかった」
「8時にはお布団に寝かせて、紙パンツ履かせてくださいね。テレビも8時以降は消して、リオが眠るまで添い寝してあげてください」
「わかった」
「ちゃんと遊んであげてくださいね。男の子の社会性はパパとの関係で育つんですから!」
と、ネットで調べた情報を披露する。
「そうなのか。わかった」
「それと、タバコは吸っちゃダメです! 今日からこの部屋は禁煙です! 絶対リオがいる所でタバコ吸っちゃダメですからね!」
「わかってるよ」
僕は掌を上に向け先輩の前にグイと突き出す。
「タバコ。出してください」
「へ?」
「この場でタバコ、持ってるやつ全部捨ててください。僕も今日から禁煙しますから」
「捨てる事ないだろう。リオの前で吸わなきゃいいだけだろ」
「我慢できますか? 絶対ダメですからね」
「わかってる! 早く仕事行けよ!」
鬱陶しそうに顔を歪めた。
「先輩」
「うっせぇ」と怒鳴られ強制終了。
まだ話終わってないのに……。
僕はリオと仲良くしている所を写メに収めるよう伝えないまま口を閉じた。
親権を獲得するためには、親子の関係性が非常に大事なのに。
ポケットから携帯を取り出し、僕はベッドではしゃぐリオを撮影した。
買って来た子供用の厚手のパジャマと、下着のタグを切り、畳んでベッドの脇に置いた。
洗濯物を洗濯機に入れ、ワイシャツの上に厚手のパーカーを着込み玄関を出た。
行ってきますも言わず、行ってらっしゃいも言ってもらえず……。
歩きながら、パーカーのフードを目深にかぶった。
「何もあんな風に怒鳴らなくても――」
そう言葉にしたら、涙がこぼれそうになった。
「おはようございます」
「あら、あんた。猫パンチ食らった大型犬みたいな顔して、どうしたの?」
「毎日、よくそんなに僕の顔でダジャレみたいな比喩が浮かびますね」
「ノンケと喧嘩でもした?」
なぜか嬉しそうな表情を見せるしんごママ。
僕はカクカクシカジカと事情を話す。
「そりゃあ、あんたウザイわ」
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