鉄血鬼女の、おしりのくまさん

壱単位

鉄血鬼女の、おしりのくまさん


 ギレア隊長が振り下ろした巨大な刃から、緑色の血飛沫が飛び散った。


 隊長の背後、ほとんど見渡す範囲すべてにころがる、魔物の骸。この野営地を襲った敵の数は、当初の報告によれば、たしか三万。


 先週、この隊に配属されたばかりの僕も前衛として駆り出された。けっして惰弱な隊ではない。が、近時の瘴気の強まりに比例して魔物たちのちからも飛躍的に増強されており、わずか二百のこの先遣隊だけでは対応が難しかった。


 前衛がくずれ、遠隔攻撃の術師たちのほとんども呪い返しにより斃れた。なんとか踏みとどまるべくたたかったが、総崩れとなった。野営地に向かい、敗走する兵士たち。


 が、その群れをつっきり、正面から逆方向に進んでくる影がある。


 ひとの背丈ほどもある黄金の大剣を肩にかついでいる。歴戦の男どもをも組み伏せる体躯。頬の傷。数千のいくさを切り抜けてきた、伝説の女剣士、鉄血の鬼女、ギレア。この先遣隊の隊長である。


 兵士たちがそのすがたに驚き、振り返る。しばらくためらい、隊長に続け、と踵を返すが、それは無為におわった。


 隊長はすでに、すべての敵をたいらげていた。黄金の長髪をなびかせ、腕を組んでたっている。いくさの女神、祝福の戦姫。全身から闘気をはなちながら、魔物の骸を背景に、ギレア隊長は天界からの愛をうけて、大地に屹立していた。


 おしりに、くまさんをぶらさげながら。


 「……!?」


 隊士たちは、動揺した。目を擦るものもあった。ありえない光景が、彼らから思考を奪った。


 桃色の紐で、腰帯にむすびつけられた、くまさん。手のひらほどの大きさのぬいぐるみが揺れている。


 「……た、隊長……それ、は」


 声をあげた隊士。が、すぐに黙った。ギレアがすでに彼の髪をつかみ、後ろに引き倒していたからだ。


 「黙れ。しにたくなければ」


 気絶した隊士をかかえ、全員が慌てて野営地に引き揚げる。隊長は、ふん、という表情で、隊からはなれて森に入った。


 僕は落ちている矢をひろい、残った糧食をあつめ、骸を整理する。それらはあたらしく配属された兵士の役目だったからだ。ようやく終わり、隊のあとを追おうとしたが、隊長に声をかけなければと思い直し、森に踏み込んだ。


 隊長は、石に腰掛け、なにかをつぶやいていた。


 僕はゆっくり近づき、聞き耳をたてる。


 「……ぴゅーたくん。また、褒めてもらえなかったね。かわいい、って言ってもらえなかったね……明日も、がんばろうね」


 戦姫ギレアは、くまさんにはなしかけていた。


 と、木の枝を踏んでしまう。ぼきっという音。振り返る、隊長。


 僕は、死を覚悟した。


 「……き、きいてた、の……?」


 隊長は手をくちにあて、真っ赤な顔で、目を潤ませていた。


 「い、いえ……ちょっと、だけ」


 頭をかかえてうずくまる隊長。その姿は、年頃のひとりの女性としか表現のしようがなかった。


 「……く、くまさん、好きなんですか……」


 隊長は応えず、いやいやするように、頭を振った。


 そのときだ。


 ぎゃあ、という空気を切り裂くような声。左右の森が揺れる。くろい、無数の影が湧いてくる。魔物だった。さっき、撃ち漏らしたものか、あるいは新手か。


 僕は剣を抜き、隊長のそばに駆け寄った。護りたい、という気持ちが、つよく沸き起こっていた。


 隊長が吠えた。大剣が音速をこえて奔る。地を蹴り、樹々のあいだを跳躍する。たたかうギレア隊長は、いくさの最中にかかわらず見惚れてしまうほどに、美しかった。


 我にかえり、加勢のために剣を構える。


 と、なにかをつよく、踏みつけた。


 足元で、くまさんが、千切れていた。


 隊長が応戦のさなか、落としたのだろう。


 僕は、死を覚悟した。


 たたかいはすぐに終わり、また無数の骸が生み出された。


 いつものように剣をふり、全身に返り血をあびたいくさがみが、僕のほうに近づいてくる。


 座り、首をさしだし、目の前のくまさんを示した。


 「いくさの役にも立たず、あなたの大事なものも護れず、壊してしまいました。でも、あなたに受ける罰なら、どんなものでも」


 そこまで言い、僕は、くちをつぐまざるを得なかった。


 隊長の両手が、僕の背中にまわされていたからだ。


 耳元で、戦姫の、やわらかい声。


 「……無事でよかった」


 「……で、でも、とてもだいじなものが……」


 隊長はいったん僕をはなし、驚いたようなかおをつくって、少しわらって、また、抱き寄せた。


 「……ばか。あなたに、かわいいって、言ってもらいたかっただけなのに」


 


 


 




 


 

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