治療院「本屋」

平本りこ

治療院「本屋」

 遥か昔、この世界には「本」というものが存在した。


 太古の人間は、大量の紙を束ねて両面にインクで文字を連ねることで、知識を他者に分け与えて、後世に残そうとしたのである。その紙の塊を「本」と呼ぶ。


 「本」を見たければ、博物データを参照して欲しい。日に焼けて褐色じみている。薄汚く長方形をしたものが多い。しかし元は真っ白な紙で作られていて、人々は嬉々としてそれを収集したという。


 そんな「本」を集めて販売した店舗のことを「本屋」と呼ぶ。紙で作られた「本」の生産が終了した今となれば、それは時代がかった職業であり、無論、本来の意味での「本屋」は現存しない。


 だが奇妙なことに、今日も「本屋」は人で溢れている。無機質な室内に満たされたインクの匂いの中で、老若男女、難しい顔をしてじっと座している。


 今や「本屋」は治療院である。


 電子化の波に呑まれ、紙の「本」が人々の生活から消え去ろうとする時期に、「本屋」を愛していた古風な人々により、「本屋」保存プロジェクトが発足したのである。


 紙の「本」が大量に刷られていた頃、多くの人が口々に噂した。「本屋に行くと便意をもよおす」と。プロジェクトの面々はそこに目をつけたのだ。


 当時の人々にとって、現象の理由は長らく謎だった。インクの匂いのせいだとか、リラックスするからだとか、見当違いな噂がまことしやかに囁かれた。


 その後、四半世紀が過ぎる。壮大な謎に挑んだ科学者らの綿密な研究により、「本屋」と便意の関係性が明らかにされ、「本屋」は無事、体質的に排便困難に悩む人々に対しての治療院として、この時代まで存在し続けたのである。

 

 遥か昔、「本屋」は客に知識をもたらし、物語を提供することで夢と希望を与えていたという。


 世界が変わった今となっても、変わらぬものがある。


 膨満感のある腹を抱え、ここへやってくる人々に、今も「本屋」は夢と希望を与えてくれるのだ。



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治療院「本屋」 平本りこ @hiraruko

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