エピローグ

エピローグ

 交易町リビド──


 商人たちの問屋町に、今日もとむらいの鐘が鳴り響く。

 その鐘の音に、商館の事務机で帳簿付けしていたパルメラは、ふっと顔を上げた。


 いつの間にかこんを詰めて、硬くなった身体をもみほぐしていると、事務室の扉が開いてピエールが顔をのぞかせた。



「パルメラさん、お遣い終わったよー」


「ピエール、おおきに」



 事務室をキョロキョロ見回して、ピエールはパルメラに訊いた。



「──メルは?」


「なんや、また。相変わらずメルちゃんのケツばっか追いかけ回して」


「そうじゃないけど……。ほら、また何かあったら心配だし」



 そう言ったピエールの額には、治りかけでかさぶたになった傷がある。メルが誘拐ゆうかいされたときに負った名誉の負傷で、だから、ピエールの心配もわからないではないのだが……。



「心配せんでも、メルちゃんをさらったバルキーズ子爵はもうおらん。死体がわんさか出てきた廃鉱も、今は土砂に埋もれてもうた。……もう何も起こらんて」



 言って、落ち葉が散って木枯らしの吹く窓の外を見る。



 廃鉱崩落から──二週間が経った。



 地元の人々の救援活動で、廃鉱の奥から乙女たちの遺体が次々、発見された。身元のわからない者たちも多く、連日、葬送の鐘が厳かに鳴り響いている。


 地元の名士だったバルキーズ子爵の凶行は、平和だったリビドの町の人々を少なからず震撼させた。彼が乙女たちの死体を集めていた理由をめぐって、様々な憶測が飛び交った。


 その一方で──



「さすがにノワールとの因縁については、誰も噂しとらんのが不幸中の幸いやな。クロード王子の素性を知っとった連中は限られてるし、バルキーズ子爵との関係も注目されてない。結局みーんな、バルキーズ子爵の陰謀やったってことになってる」



 パルメラの話に、ピエールは眉根を寄せた。



「なんか、ずるいな……それ」


「……? 何がや」


「だって、あんなでっかいことやらかしといてさぁ。何のおとがめもないなんて……巻き添え食らったメルたちがかわいそうだよ」


「……。おとがめ……ねぇ」



 ピエールの少年らしい潔癖さを、パルメラは好ましく思った。


 けれど、クロードの働いた悪事が明るみに出ることを、当のメル本人は望むまい。


 特に、ルリア・エインズワースの真意を知った後は、メルのことを亡者からかばってくれたようだったから……。



「……。オレ、やっぱりメルのこと捜してくる」


「待ちぃや、ピエール」


「……ぐぇっ!」



 襟元をつかまれて首の絞まったピエールは涙目になった。引き留めたパルメラを恨めしそうに見る。



「何だよ、パルメラさん」


「あんたは仕事。ほら、領収書の整理手伝いな?」


「うぇー……」



 ブツブツと不満げなピエールの苦情を、パルメラは無視した。

 窓の外の、胸を洗うように晴れ渡った空を見て、ぽつりとつぶやいた。



「……誰だって、ひとりになりたいときはある……」



 ──特に、大切な誰かを喪ったようなときは……。


 ひとりになりたくて。

 でも、独りでいたくない。


 そんなときに寄り添えるのは、きっと、パルメラではないから……。



(…………)



 胸をよぎったかすかなうずきは見なかったことにして、パルメラはまた書類仕事に戻った。



  ☆☆



 葬送の鐘の音が、海鳥の飛び交う空の蒼に溶けていく。波の音にまぎれるその音色を、アスターは聞くともなしに聞いていた。


 波間に揺れる船がちゃぷちゃぷと音を立てて、さまよいがちな思考を時折、浮かび上がらせる。けれど、それもすぐに沈み込んでいくのだった。

 廃鉱でクロードと別れた、あの瞬間へ。


 なぜ──

 あのとき、追いかけていけなかったのだろう?


 走り去るクロードの背中を追っていけば、追いつけたかもしれなかった。廃鉱から脱出することはできなくても、主君だった青年と果てることはできたかもしれなかったのだ。


 クロードと最後に交わした会話が、今も、胸に木霊している。



『今の君が大事にしたいものは何だ。自分が守るもの、はき違えるな』



 ──あのとき、結局、自分は選んだのだ。

 クロードを選ばないことを。


 何かを選ぶということが、何かを喪うということなら──

 アスターは選んだのだ。過去を置き去りにすることを。

 未来を生きるということを。


 ──それなのに……。



(…………っ)



 我知らず、膝を抱え込んだ。

 どうしようもなく泣きたくて。

 でも、涙なんか一滴も出てこない。

 生きながらにして、死んでしまったみたいに。心が乾ききって……。


 そこへ──陰が差した。



「……アスター、やっぱりここにいた」


「…………メル」



 足枷付きの少女が、そこにいた。

 潮風に揺れるセミロングの髪。外套コートの下、スカートからのぞく脚には、断たれた鎖が巻き付けてある。

 遠慮がちに、にこりと笑った。



「五番街の揚げパン、買ってきたよ──ふたり分」


「…………」



 食欲はなかったけれど、なんでかこの揚げパンは食べられる。メルもひまを見つけては、店の行列に並んで買ってきていた。ふたりで並んで座って、もそもそと食べた。


 廃鉱から、クロードとエマの遺体は発見されなかった。


 ……だからだろうか。

 アスターは相変わらず、クロードの死に実感がもてなくて、受け入れられずにいる。


 クロードの死を、だから、悲しむことすらできなくて。あるのはただ、胸にぽっかりと穴が開いたようなむなしさだけ……。


 口のに、ほのかな自嘲がにじんだ。



「ほんと、女々しいよな……いい加減、前を向かなきゃいけないのに。ノワールはとっくの昔に滅んで、クロードも死んだ。俺が旅を続ける理由はなくなった。なのに……」



 ──いつまでも、ここから、動けなくて。

 心がきしんで、悲鳴をあげている。

 ……立ち上がることも、できずにいる。



「…………未来まえに進むのが、怖いんだ……」



 波の音にまぎれてしまいそうな小さな本音に、聞いていたメルが、かすかに目をみはった。


 アスターからそんなふうに弱音を聞くのは、カルドラの町に向かう途中、アスターが崖から落ちて熱に浮かされていたとき以来で。


 ──自分が生きてるのかどうかわからない、と迷子のように言ったときから、ずっと聞いてなくて……。


 けれど、本当のアスターが、顔を出したようだった。

 亡者と戦っているときの強いアスターも。

 こうして膝を抱えて途方に暮れているアスターも。

 ……どっちも全部、彼なのだった。

 ──何も変わらない……。



「…………」



 メルも、アスターと一緒に海をながめた。


 いだ穏やかな海が、水平線まで広がっている。

 空と海の境界を溶かすような蒼が、陽の光を反射してきらめいて。寄せては返す波音が、悲しみを押し流す子守歌のように響いていた。



「……前なんか、見なくていいですよ」



 メルが言った。ぽつりと。

 膝に顔をうずめていたアスターは、それで、ふっと顔を上げた。


 メルの瞳は、どこか遠くの景色を映していた。

 魂送りで死んでいったリゼルや仲間たち。

 廃鉱で見た、ルリアやクロードの面影。

 忘却レテの河の向こう側に逝った者たち。

 そういったすべてを、胸にいだいて。


 ──万感を込めて、言った。



「忘れなくていいです。悩むことも、迷うこともいっぱいある。過去に戻ってやり直したいことだって。でも、それがあったから私たちは今、ここにいる。過去の全部が、今につながってる。……私たちの明日に、つながってく」



 そう言ったメルの横顔が、灰色だったアスターの世界に、彩りをもたらすようで。

 ……不意に、胸が詰まった。


 ──命の、音がした。

 とくん、とくんと、温かく打つ脈動が。

 ……アスターが選んで守り抜いた──大切なもの。


 ルリアやクロードのことも、いつかアスターの中で色鮮やかな色彩になるのだろうか。

 甘くて苦しい思い出ではなく。今のアスターを確かに形作るかてに。


 ──そうして、アスターの中に、確かに息づいて。

 死してなお、ともに未来を作っていく。


 ……そんな日が、いつか。

 きっと……。



「…………っ」



 目尻をぬぐったアスターの目の前で、メルが笑った。鮮やかに。

 奴隷だった名残の足枷を、ものともせず。

 鎖を巻き付けた脚で、波打ち際へと歩いていく。



 ──歌が響いた。



 魂送りではなく、目的も意味もない。

 ただ旋律を奏でるだけの、メルの歌が。


 ……アスターの胸を、静かに打った。



  おいで

  おいで

  ここにおいで

  魂の迷い子たち


  夢に見た幸せなら

  ここにあるから



  ありふれた優しさが

  胸の糸掻き鳴らす


  君の声

  仕草だけで

  こんなにも涙が出る



  幾千幾万の夜を越え

  めぐり逢えた喜びと

  切なさ抱きしめて

  歌があふれてく



  永い永い旅路の果て

  ついに手にした幸せは

  ずっとそばにいてくれた

  君の顔してた



(『葬送のレクイエム』・完)




(※『葬送のレクイエム(外伝)──褐色かっしょくの天使と無垢むくな悪魔』に続く)

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葬送のレクイエム──亡霊剣士と魂送りの少女 深月(みづき) @yuki-tsubasa

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