最終章11話 大切なもの

 亡者との間に割って入った青年が倒れ込むのを、メルは瞠目して見ていた。


 貴族服の背中が、鮮血で濡れて。

 月の雫を溶かしたようなが、さらさらと流れた。



「……どう、して……」


「…………っ」



 メルをかばって抱いたまま、クロードはそろそろと息を吐いた。安堵あんどしたように。


 ふたりの横をすり抜けて、アスターの剣技が炸裂した。もともと聖性の力で弱っていた亡者どもを、瞬く間に塵へと還した。



「ふたりとも、無事か!?」


「わ、私は平気……。でも、クロードさんが……!」


「……っ。………かすり傷だ」



 荒い息の下から、クロードが答えた。

 地面が揺れて土砂が次々と落ちてくる。

 アスターは舌打ちした。



「ここから出るぞ。クロード、おまえも俺たちと一緒に……」


「──うるさい。この子どもを連れて、さっさと行け」


「……!?」



 クロードが背中の傷に手をやって顔をしかめた。傷の痛みをこらえて、ふらりと立ち上がる。

 アスターは声に焦りをにじませた。



「ここまできて、おまえを置いてけるわけないだろ⁉ 早くおまえも……」


「はぁー……。どこまで甘いんだ、君はっ。僕は君に守られて逃げるのなんて、まっぴらごめんだ」


「なっ……!?」


「今の君が大事にしたいものは何だ。自分が守るもの、はき違えるな」


「……っ!」


 言われて、アスターはカチンときた。

 メルをかばってくれた傷の深さを心配してみたら──



「──っ! おまえにだけは言われたくない。この状況でワガママ言うな、この世紀のド天然バカ男。勘違いで殺される方の身にもなってみろ!」


「もとはといえば、君がむっつりだんまりだから、こんなことになったんだ! どう責任とってくれんだよ。この万年むっつり亡者男っ」


「ちょ……ちょっとふたりとも! 今はそんなことやってないで逃げないと……」



 間にはさまれて、メルは目を白黒させた。

ふたりとも激昂げっこうして性格が変わってる……ような。

 まさか自分より年上の青年たちが、少年時代の感覚に戻っているなんて夢にも思わない。


 差し出されたアスターの手を、クロードは振り払った。



「──行け。僕にはまだやることがある」


「!? 何、を──」



 クロードが去っていく。洞窟の出口とは逆方向だった──崩れ落ち続ける暗がりの方。アスターは叫んだ。



「クロード、待て。行くな!」


「アスター、危ないっ!」


「──っ」



 メルがアスターを止めた、その直後、天井から土砂が降り注いだ。クロードの姿が土煙にのまれて見えなくなる。

 ──その向こうから、声だけが届いた。



「アスター、僕はやっぱり君が嫌いだ。ひとの痛みに鈍感で、突っ走って、置いてきたものに気付きもしない。正義感ばっかり強くて、無自覚に傲慢ごうまんなところが大嫌いだ! ……──でも」



 クロードの声が、ふと、哀切を帯びた。

 昔のように、微笑みさえ浮かべる気配がした。



「……ルリアの光を届けてくれて、ありがとう……」



 それっきり、クロードの影が走り去っていく。アスターたちとは、反対の方に。

 アスターは気が狂わんばかりに叫んだ。



「クロード、行くな!」


「アスター、ダメ! 戻っちゃ……!」



 クロードに追いすがろうとするアスターを、メルは必死に止めた。駆け戻っても死ぬだけだった。



「……クロード……!!」



 アスターの悲痛な叫びを、崩れ落ちる土砂が掻き消していった。



  ☆☆



 土砂に閉ざされた暗闇の道を、クロードは走っていた。


 亡者に引き裂かれた背中の傷が焼けるように痛んだ。一歩進むごとに、自分の命が流れ出しているような気がする。


 ……それでも。

 ルリアのところに逝く前に、すべきことがあった。


 そうして、たどり着いた先──

 降りしきる土砂の中、半ば埋もれるようにして倒れている女を見つけた。



「……エマ! しっかりしろ」


「……う……」



 クロードに抱き上げられて、女はうめいた。


 ルリアの癒やしの光で身体の傷は治っても、尽きてしまった魔力はどうしようもない。逃げたくても、手足に力が入らず逃げ遅れたのだった。

 まつげだけが力なく震えて、瞳にクロードの姿を映した。



「クロード様……? なぜ逃げなかったのです」



 エマがうろたえたように言う。クロードがどうして戻ってきたのか本気でわからない、といったふうに。半ば、逃げなかったクロードを責めるようでさえあった。


 崩壊を続ける洞窟の底で、身動きひとつとれなくて。──たった独りで、果てる気だったのだと知れた。

 そんな最期でも仕方ない、と。

 自分には似合いの終わり方だと、あきらめて……。


 クロードは、苦笑をにじませた。



「……バカ。なぜ僕が置いて逃げると思ったんだ。今、僕のそばにいてくれるのはおまえなのに」


「……っ」



 エマの瞳に、隠しようのない動揺が走った。


 クロードの背中から鮮血がぽたぽた流れているのに、エマは気付いた。その傷をおしてまで、エマのところに来てくれたのだと知って──

 目尻から熱い涙がふきこぼれた。



「……っ。ごめんなさい……ごめんなさい……!」


「……何を謝る」


「私……何も役に立てなかった。あなたの役に立ちたかったのに……」


「おまえのせいじゃない」


「でも……! 私に居場所をくれたのはクロード様だけだったのに! 謡い手の道……踏み外して……聖堂からも追放された私を見捨てないでいてくれて。そのまんまでいいって。私の力が役に立つって言ってくれたから……あなたの役に……立ちたくて……」



 エマは力の入らない手で、クロードにすがりついて泣いた。


 クロードはいつだって、エマに理由をくれた。

 エマがそこにいてもいい理由を。

 だから、エマはここまで歩いてこれた。

 それがどんなに罪深い、血塗られた道であっても……。



「……っ。……ひっく……」


「…………」



 泣きじゃくるエマを見ながら、クロードが思い出していたのは、アスターと一緒にいた少女のことだった。


 足枷付きで奴隷上がりのくせに、逃げずにまっすぐクロードに向かってきた……しんの強さ。


 もし自分と会わなければ──

 エマにも、もっと別の人生があったのだろうか。こんな血まみれの道じゃない、別の道を選んで。自分の足で歩いていただろうか。


 ──ルリアの光を見せてくれたあの少女のように……。



「もういいんだ、エマ」


「でも……っ」


「おまえがいてくれたから、僕は独りじゃなかった。……本当はずっと、独りじゃなかったんだ」



 クロードの言葉に、泣き濡れたエマが、ひとつ瞬いた。


 ……エマだけではない。

 自分を信頼してくれていた──幼なじみたち。


 味方のいない城で身も心もすり減らして、ついには自分のことも信じられなくなっていたクロードのことを、ずっと見ていてくれた。


 独りで戦っていると思い込んでいて。

 でも、本当はずっと、支えられていた。

 対等で……いてくれた。


 距離を作ったのは、クロードの方だった。大切なものを喪う恐怖におびえた、自分自身の弱さ。


 だから、最期ぐらいは……。

 大切なものをつかみたくなったのだ。


 過去の甘い幻想ゆめではなく。

 たとえ血塗られていたとしても、代えがたい「今」を。

 自分の生きた、その証を……。


 クロードは、泣き濡れたエマの顔にかかった土を払った。壊れ物のガラス細工に触れるみたいに、優しく。──微笑んだ。



「……そばにいてくれて、ありがとう……」



 その言葉を聞いて──

 エマは胸を締め付けるようなせつない幸せに包まれた。クロードの手に頬を寄せて、声もなく泣いた。


 やがて──


 洞窟の天井が落ちて、ふたりを土砂の中にのみ込んでいった。



(最終章・了)

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