最終章10話 乙女の贖罪

 ──嬉しかった。秘密を抱えないで話せることが。


 アスターの前で、ルリアは何も隠さずにいられた。生まれて初めて、何もかも打ち明けられる喜びを知った。ずっと求めていた心の安らぎだった。


 そこへ……──



『アスター! ルリア!』



 クロードがやってきて、話していたルリアとアスターは居住まいを正した。



『……どうしたの?』


『な、なんでもないのよ。ねぇ、アスター』


『あぁ……』



 視線を外した幼なじみふたりに、クロードは眉をひそめた。



『……? ふたりで何話してたの?』


『お天気のことよ。ね、アスター』


『…………』



(へ、下手な嘘だなって顔に書いてある……)



 柱の陰になって見えないところで、口裏を合わせてくれない不器用な相棒の背中を小突いた。恨めしく。


 そんな挙動不審な幼なじみたちに、クロードがちょっと変な顔をしたけど、すぐに何事もない話題に移って。ルリアはほっとした。


 ──そんななんでもない日々が続くのだと思っていた。


 亡者に滅ぼされた国をいくつも見てきたのに、それでもルリアは、心のどこかで信じていたのだ──永遠という名の幻想を。

 三人で笑い合う日がいつまでも続くのだと、愚かにも。


 ……そうして気付いたときには、もう、後戻りのできないところまできていた。


 クロードに刺されて事切れたアスターを見て、ルリアは初めて、おのれの過ちの大きさを知った。


 大切なひとの想いに気付かずに、追い詰めたこと。……自分たちが、クロードを独りにしたのだった。


 目の前で、取り返しのつかない罪の大きさにおののいているひと。

 ──それが、ルリア自身の姿みたいに見えた。


 アスターが秘密を隠し通したのはルリアのためだった。


 自分のついた嘘が、クロードを絶望のふちにまで追い詰めた。自分のあやまちが、彼に大切なひとをあやめさせた……。


 ──その償いが、したかった。



『クロード。──あなたに、アスターは殺させない』



 自分の肉体を離れて、魂が彼岸へと飛び立っていく。


 その最期の瞬間まで、ルリアはクロードを見ていた。彼の姿を、目に焼き付けておきたかった……。


 クロードの優しさが好きだった。

 顔も知らない誰かの国が滅ぶたび、窓辺でひとり、泣いていた青年。


 ひとりきりになりたくて、でも、本当は誰かに見つけてほしくて、ひとけのない蔵書室で泣いていた──さみしがりやなひと。


 まるで、泣けない自分の代わりに、泣いてくれているような気がした。


 自分が知らず知らずのうちに落っことしてしまった大事なものを、彼が掻き集めて拾ってくれるようで。


 戦いの中ですり減らしてなくしたルリアの心まで、大切にもってくれているみたいで……。


 もし彼が王になったら、きっと、誰もしいたげられることのない国にしてくれると思った。自分みたいな子どもが、泣かない世界に……。


 生まれたときから玉座を約束された少年と、武門の家柄の正統な後継者──宝石みたいなふたり。自分には、もったいないぐらいの幼なじみたち。


 彼らと一緒にいるだけで幸せだった。

 ……もっと、ずっと、一緒にいたかった。


 だから……。

 どうか、私の分まで……。

 ──…………生き、て…………。

 …………。



  ☆☆



 ──………………嘘だ!!



 クロードは叫んだ。

 その絶叫が、崩れ落ちるばかりの洞窟にむなしく木霊こだましていく。



「……嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ! …………嘘だ…………!」


「…………クロード」



 クロードの身体がふらりとかしいだ。

 押し寄せる絶望に、立っている地面の感覚を失って。

 それでも踏みとどまって、呪詛じゅそを吐くようにアスターをにらみつける。



「デタラメ言うな! 今更、そんな出任せを信じるものか! 今の今まで僕たちのことを忘れていた君に、何がわかる! 僕は今までルリアのために──!」


「…………クロード…………」



 アスターは、痛ましいものを見る目でクロードを見た。彼の感じている絶望が、自分にも押し寄せてくるようだった。



「嘘だ。信じない……っ! 僕は──僕は……!」


「…………『クロードをお願い』」


「──!?」


「……ルリアが今際いまわきわに遺した言葉だ……。『クロードをお願い。あのひと、また──』」



 ──…………私たちの知らないところで、独りで泣くから。



 その言葉を聞いて──

 クロードの碧の瞳が、驚きに見開かれた。


 まるで──

 ずっと泣いていた自分のことを、見つけてくれたみたいに。



「………………嘘、だ……。それが本当なら、僕は何のために君を殺した! 何のためにルリアは死んだんだ! 僕は、いったい、今まで何のために……──」



 クロードの目尻に、こらえきれない涙があふれた。


 城でクロードが泣いていると、いつも捜しにきてくれた、優しいふたり……。


 つなぎとめたかったのは、ふたりのことが大切だったからだ。

 アスターのこともルリアのことも喪いたくなかった。


 離れてしまったら堪えられないぐらいに。自分というモノが壊れて、ぐちゃぐちゃになってしまいそうなほどに。


 ……彼らのことが好きだった。



「うわぁぁぁ…………っ!!」



 クロードの慟哭が洞窟内に反響していく。

 アスターの胸にも、行き場のない悲しみが広がった。


 きっと……。

 クロードはルリアの素性を知ったとしても、変わらずに彼女を愛しただろう。たとえ彼女が後ろ指をさされ、世界を敵に回したとしても、彼女を守ろうとしただろう。


 相手は自分とは違う──その意識が、お互いを引き離した。


 アスターは、次代の国王夫妻と家臣という、盲目的ですらあった忠誠心ゆえに。

 クロードは、実力で勝ち得た地位とそうでないものという、実力への嫉妬ゆえに。

 ルリアは、奴隷出身という出生の秘密を知られたくないという恋心ゆえに。


 ほんの些細なボタンの掛け違いで、すべてを喪った。

 守りたかったのは──たったひとつの、大切なもの



「…………クロード……」



 泣き崩れるクロードの肩に、そっと手を置いた。

 クローとの間に横たわった、見えないみぞを踏み越えて──


 隔たっていた時間を、取り戻すかのように。



「…………──すまなかった」



 ☆☆



 アスターとクロード──ふたりのことを見つけて。立ち尽くして、静かに涙を流していたメルは、はっとした。


 アスターとクロードのそばに、プラチナブロンドの髪をした女が視えた。泣いているクロードの背中を抱きしめるかのように。



 ──ごめんね。私、あなたたちと対等でいたかった。

 ──宝物みたいに、大切なふたり。

 ──ずっと一緒にいたかった……。



 透けている女の姿が、ぼぅっと薄くなって。

 薄緑色の光の球になって、浮かび上がって消えていく。


 本来なら、交わるはずのなかった時間。

 生者と死者の境界に、メルたちはいるのだった。

 それも、もうすぐ終わる……。


 ルリアの魂がのぼっていくのを、メルは見ていた。

 いつまでも、見つめていたかった……。

 ──でも……。



(…………!)



 メルの足元で、ぐらりと地面が揺れた。


 亡者の堕気がやんでも、洞窟の崩壊は止まらない。九十九人の女たちのひつぎも、バルキーズ子爵や護衛たちの死体ものみ込んで、もうじき、崩れ落ちる……。


 もう一刻の猶予ゆうよもなかった。



「アスター! 早く逃げよう。洞窟が崩れ……」



 アスターたちのところに駆け寄ろうとして──

 メルに気付いたアスターが、ギクリと身を硬くした。



「メル! 危ない……!」


「……え……?」



 アスターの声に驚いて、振り向いた背後──


 亡者どもが、いた。

 仕留め損なった──最後の三体。

 その鋭い爪が迫ってくるのが、やけにゆっくり見えて……。


 ──鮮烈すぎるほどの血の色に、視界が染まった。

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