最終章9話 癒えない傷跡
ノワール王国から派遣された葬送部隊が展開し、亡者どもの危機が去った戦場の、その片隅──
丘の上に、即席で作られた葬送部隊の
中には、先の戦闘で負傷しベッドで眠っているルリアと、その治療をしている白衣姿の若い女がいた。
王子の婚約者であるルリアには、専属の女医がついている。そのことをアスターは、今まで疑問に思ったことはなかった。けれど……。
『──彼女の『あれ』を見たのね……』
女医が言うのに、アスターは静かにうなずいた。
昼間、亡者に襲われて傷を負ったルリアを助け起こしたときのことが、まざまざと思い出されていた。
──ルリア、大丈夫か……!?
──見ないでっ……!!
かつて見たことがないほど取り乱したルリアの姿が、目に焼き付いていた。
『先生、あれは……』
『本人に聞いて。私から話していいことじゃないから』
『…………。他に、知ってるのは……?』
『私とほんの数人だけ。クロード王子も知らないことよ』
『……っ』
──クロードも、知らない……。
アスターは唇を噛んだ。
女医が去って、ルリアとふたりきりになった。……アスターの混乱を見てとって、気を遣ってくれたのが知れた。
ルリアは薬が効いているのか、静かに、寝息を立てている。
──……やがて。まつげが震えて、黄玉色の瞳がぽっかりと開いた。
『…………アスター』
『ルリア、大丈夫か? 傷の具合は……』
……言いかけて、その先を言えずに口をつぐむ。
アスターが押し黙ったのを見て、ルリアは包帯の巻かれた左胸の傷に触れた。握りしめた拳が、彼女の服をはだけさせて。
──そこにつけられた家畜のような焼きごてが、彼女の肌を生々しく引きつらせているのが見えた。
『……っ!』
ルリアは泣きそうに顔をゆがめた。
アスターに秘密を知られたことを悟って。……けれど同時に、もう手遅れなのだということも知って。
あきらめたように、力なく目を伏せた。
『……これを見たのね……』
『…………あぁ』
ルリアは苦々しく口元をゆがめた。いつもの彼女らしくない、疲れたような黄昏色の微笑だった。
『…………。どういうことなんだ? その焼きごては、いったい……』
『…………』
それっきりどう話してよいかわからず、アスターは口ごもった。王子の婚約者の胸元におされた焼きごての、その意味──
永遠にも感じられるような沈黙がふたりの間に落ちた。
やがて──
ルリアは観念したように、ぽつりぽつりと語り出した。
…………私ね、昔、奴隷だったの、と。
ひとじゃなくて、モノでしかなかった。
朝から晩まで、ご主人様の罵倒と暴力におびえて。
使いつぶされて、死んでくんだと思ってた……。
『──これは、そのときの焼きごて。私が奴隷だった頃の名残……』
『……なんで、そんなひどいことを……っ』
『…………』
落っこちたそのきれいな言葉を、ルリアは聞いた。亡者と戦うことには慣れていても、ひとの底知れぬ悪意には触れることなく育った……そんな青年の潔癖を見透かして。
アスターは……視線を逸らした。
『エインズワース公爵とは、養子か? なんでまた』
『……お父様は私の聖性の強さに目をつけたようなの。ある日突然、エインズワースのお屋敷に連れて行かれて、謡い手としての教育を受けさせられたわ。私は表向き、エインズワース公爵の『娘』になって、死にもの狂いで勉強して、謡い手になった……』
……そう。文字通りの、死にもの狂い。
謡い手になれなければ未来はないように思えた。やがてクロードと婚約し、葬送部隊に配属されて。アスターの相棒となり、ともに防国の双璧と謳われるまでになった。
そうやって戦場を駆けていると、奴隷だった過去を忘れられた。過去をすべてなかったことにして幸せになれる気がした……でも。
純白の戦乙女、と。防国の双璧と、もてはやされるたび、後ろ指をさされている気がした。奴隷上がりのアバズレと、非難されている気がした。
奴隷が、王子様と結婚できるわけがない。それでも、ルリアは夢見てしまったのだ。クロードと結ばれる日を。本当の自分を、愛してもらう日を。
──けれど。
アスターやクロード……幼なじみのふたりと笑いあっているときでさえ、いつでも後ろめたさが付きまとった。
彼らにさえ見せられない、みにくい本当の自分。
もし、私の正体を知ったら──!
『この焼きごてが、私をいつまでも自由にしてくれない…………!』
泣き崩れたルリアを、アスターは呆然と見ていた。
『…………ルリア……』
『お願い。クロードには言わないで……!』
『……けど。バレるのは時間の問題だろ? 婚約者なんだから』
『わかってる。わかってるの! でも……』
『…………』
くしゃくしゃに顔をゆがめて、感情的に涙を流す。
そこにいたのは、ともに戦場を駆け回る戦乙女……ではなかった。
心細さに肩を震わせているひとりの女だった。
本当の自分を知られるのが怖くて、自分の弱さを誰かに暴かれるのではないかと怖れている──アスターの知らなかった彼女。
『…………。クロードのこと、好きか?』
こくんと、ルリアはうなずいた。儚げに。
普段の彼女とは似つかない、小さな子どもみたいな仕草だった。
『……おかしいでしょ。身分違いにもほどがあるわよね。奴隷と王子様なんて』
『そんなことない、と、思う……』
アスターは言った。自信なく。
実際、ルリアの言うとおりだった。王族の結婚なんて、早い話が政略結婚だ。手を組んで損のない王侯貴族の子女とか、他国の王女とかと結婚するのがならいだ。奴隷と王子の結婚だなんて、聞いたこともない。
しかも、当のクロード本人は、ルリアが奴隷だったという事実を知らないのだ……。
アスターは、深々とため息をついた。
昔、いつだったか、クロードと結婚
『……言わないよ。俺もルリアとクロードに幸せになってほしい。──でも、ひとつだけ約束してくれないか』
アスターが交換条件を出すのに、泣いていたルリアはびくりと身を硬くした。まるっきり子どもの頃に戻ったみたいに。
……そういう幼い仕草も、もしかしたら、本来の彼女なのかもしれなくて。
『秘密は守る。──だから、もう独りで泣くな』
アスターの言葉を聞いたルリアが、信じられないというふうに目を瞬いて。戸惑ったように視線を泳がせた。
初めて自分のためだけに差し出された言葉を、どう受け止めていいかわからずに。
でも、やがて泣き濡れた目元をなごませて、花開くように微笑んだ。
『…………ありがとう』
その笑顔を見て、アスターもほっとした。
初めて、飾ることのない本当のルリアと向き合っている気がした。
ずっと秘密を抱えてきた戦乙女は、この日初めて、独りではなくなったのだ……。
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