最終章8話 言えなかった言の葉

「これで…………終わりだっ!」



 目の前にいた亡者の最後の一体を塵に還して、アスターは辺りを見渡した。



(まだあと二、三体いたはず……。どこに行った?)



 そこかしこで土砂が降っていて視界が利かない。



(……っ! まずい。もう限界だ。早く逃げないとこの洞窟自体が……)



「メル、どこだ。俺たちも逃げ……。──っ!?」



 そのとき、土埃つちぼこりにまぎれて、死角から攻撃がきた。

 とっさに剣で受け止めてから、相手も同じように剣をもっていることに気付く──クロード。



「よせ、クロード。戦ってる場合じゃ……!」


「そうやってまた逃げるのか。ノワールが滅んだあの日のことを『なかったこと』にしたみたいに」


「……っ。違う!」


「いいや、何も違わない。君はあの日、僕らの間で起きたことも簡単に忘れた。僕に殺されたことも、ルリアの最期もなかったことにして、自分の心だけ守った。……この二年間、僕がどんなに苦しんだかも知らないで!」



 ──瞠目した。

 友をその手にかけた痛みも。

 恋人を目の前で亡くした悲しみも。

 クロードを苦しめなかったはずなかったのに……。


 クロードの剣が激しさを増した。その音がやけにむなしく響いた。

 当初のような、行き場のないマグマのような怒りや憤りではなかった。


 底知れない絶望と悲しみ。

 心が砕けてバラバラになったかのような、痛みの音色……。



「そうやって君はまた、僕のことを置いていくんだ! 君が忠誠を誓ってくれたのも、ルリアが婚約者でいてくれたのも、全部、僕が『王子』だったからだ。『僕』じゃなくてもよかったんだ! ルリアとふたりして、僕のことを──」


「…………っ!」



 ──カン! と乾いた音がして、クロードの手から弾き飛ばされた剣が宙を舞った。



「ぐっ……!?」



 そのクロードとの距離を一足飛びに飛び越えて、アスターはクロードの胸ぐらをつかんだ。



「なんでそんなになるまで独りで抱え込んだ……っ! 俺たちがいたのに。──ずっとそばにいたのに!」


「──!?」



 ──二年前のあの日、事切れる間際にあってなお伝えたかったことが、ほとばしるようにあふれ出して。

 そのすべてをぶつけるように、叫んだ。



「俺とルリアが戦ってたのは、おまえならいい王になると信じていたからだ! おまえが創るみらいを見たいと思ったからだ! だから、どんなに絶望的な戦場でも命がけで戦ってきたのに──それをおまえが否定するのか!」



 アスターの激情に、クロードが目を見開いた。


 かつてアスターが夢見ていた──ノワールの未来。

 クロードが王となって治める国を、見たかった。

 亡者の猛威におびえずに、誰もが安心して暮らせる国。


 たどり着きたい場所があるから、ひた駆けた。

 どんなに苦しい戦いの中でも生き延びてきた。

 死ねない理由が……あったから。

 何を犠牲にしても、守りたいものが、あった。


 それなのに……──



「俺が忠誠を誓ったのは、おまえだけだ! 俺が自分の意志でそう決めたんだ! 他のどんなヤツでもない。おまえだったから……! なのに、それをおまえに否定されたら、俺たちは何を信じて戦えばいい!」



 クロードの怒りと絶望を秘めた底なしの瞳に、かすかなさざなみが浮かんだ。


 ──……勝ち目のない、無謀な戦い。

 それが城の中でも同じだったことを、アスターは知っている。


 自分たちの利害しか考えない諸侯。たったひとりの王子を傀儡かいらいにすることしか望まない円卓。奸計と謀略の巣窟で、クロードがそれでも必死に理想をつかもうとしていたのを見ていた。


 戦場で戦う自分たちを守ろうとしてくれていたことも……!



「おまえはずっと城で戦ってくれてただろ。俺たちが戦えない戦場で、ひとりで戦ってくれたのに! なんでそのおまえが、自分のこと信じてないんだよ! 俺たちに置いてかれるなんて思うんだよ! ──自分から独りになって、勝手にどっか行くなよっ!」


「…………っ!」



 万感の想いをこめて叫んだアスターを、しかし、クロードは振り払った。



「今更、どの口がそう言うんだ! 僕を独りにしたのは──離れてったのは、君たちの方じゃないか……っ」


「それは──」


「アスターに、僕の気持ちがわかるもんかっ。剣の腕も人望も、なんでももってた君には。僕にはルリアしかいなかったんだ。彼女がいればそれでよかったのに……ルリアが最後の最後に選ぶのは、いつも君だった!」



 クロードは激昂しながら、血を吐くように叫んだ。


 ──ノワールが滅んだ日も。今日、この日も。彼女が力を貸したのは、アスターの方だった。


 自らを犠牲にしてアスターを助け、魂だけの存在となっても亡者どもを葬送った。……クロードが喚んでしまった亡者どもを。まるで当てつけのように。



「なんでだよ……っ。なんで『ルリア』がおまえらの味方をする! なんで…………僕じゃないんだよ!」


「…………っ!」



 アスターは絶句した。

 そのみどりの瞳を見ながら──

 アスターは初めて、クロードとまっすぐ向き合っている気がした。

 怒りの向こう側に潜んでいた深い悲しみ。

 その嘆きの深さを知って……。



「……ルリアが助けたかったのはおまえだ」


「──嘘だ」


「本当だ。ルリアはただ、おまえを止めたかっただけだ。おまえに罪を負わせたくなかったんだ。ルリアが好きだったのはおまえなんだよ」


「今更、デタラメでごまかそうとしたって……! 君に彼女の何がわかるっ!」


「違う。……俺はただ、あいつの秘密を知ってただけだ」


「……? 何の、ことだ……!」



 クロードが、ここにきて初めて、眉をひそめた。



「ルリアは……おまえにだけは知られたくなかったんだ。あいつは……──」



 言いさして、アスターは言いよどんだ。

 ……本当なら、話すつもりなどなかった。

 だけど……──

 今ならわかる。

 ──それが、すべての間違いの始まりだった。


 純白の戦乙女と謳われて。防国の双璧の一翼を担った、稀代きだいの謡い手。

 でも、彼女自身は。ずっと、そのことに苦しんでいた。誰も、本当の彼女の気持ちに、気付かずにいた。


 誰も知らなかった秘密。


 ルリアは……──



「………………──グリモア出身の、奴隷だった」

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