最終章7話 風前の灯火

 爆発的な聖性が、洞窟内の闇を祓っていった。


 百体の亡者どもが、メルのもつ十字架から放たれる光に怖れおののき、動きを止めている。その背後にある戦乙女の聖性に圧倒され、前に進むことができずにいる……だが。


 ──


 自身の聖性が遠からず尽きることを、メルは本能で感じていた。


 十字架を通して、死んだルリアのサポートが入っているとはいえ、決して本人が生き返ったわけではない。いわば聖性の増幅装置となっているのはメル自身で、いつまでもこんな驚異的な力が出せるわけはなかった。


 できるのは、せいぜい、亡者どもの足止め。それでなくても、謡い手ひとりで亡者どもを葬送ることなんてできない。



(…………っ!! このままじゃ……)



 メルの力が尽きた瞬間、亡者どもがまた動き出す。メルを殺して、背後のアスターを襲い、その先の町にあふれ出す。

 ただの時間稼ぎにしか、ならない……。



「……よくやった、メル」



 ──いつの間にか。

 アスターがかたわらに立っていた。剣をもって。

 亡者どもをにらみすえる横顔を、メルは信じられない想いで見た。



「ア、アスター!? どうして……き、傷は?」


「……問題ない。癒やしの力が働いてる」



 アスターが生きていて、メルはまた泣きたくなった。服は血濡れたままだったけど、クロードに斬られたはずの傷はふさがって、頬に血の気が戻っている。


 ルリアの聖性か……と、アスターは目を細めた。なつかしそうに。

 白いドレスを着た幻の女が、そんなアスターを見て感極まったように微笑むのが、メルには視えた。


 アスターは、むしろ戦いの烈気れっきをみなぎらせて剣をかまえた。



「メル、そのまま亡者どもを抑えてろ。あとは俺がやる」 


「……っ! うん!」



 メルの返事を聞いて、アスターがちらりと笑った……気がした。

 その横顔が厳しく引き締まり、駆けた。亡者どもに向かって。


 立ち往生している亡者どもが、次々と斬り伏せられていった。

 これまでアスターの戦いを見てきたメルでも息をのむほど、迷いのないきれいな剣撃。

 斬られた亡者どもが、メルの放つ聖性のもと、瞬く間に輪郭を失ってちりとなって消えていく。


 アスターは止まらない。

 次から次へと亡者どもを斬り、薄緑色の光の球にし、数を減らしていった。……それが、かえって亡者どもの怒りを呼んだ。


 アスターの剣とメルの聖性に反発するかのように、亡者どもが顎関節をカタカタとがたつかせて嘆きの声をあげた。



「……っ! 何……!?」



 目も開けていられない突風に、メルはうめいた。


 洞窟内に再び、すべてをなぎ倒すような堕気の奔流が起こった。

 渦巻く邪悪な気に堪えかねて天井から崩れ落ちた土砂が、ひつぎも死者たちも容赦なくつぶしていく。



「くっ……!」



 メルは、必死に目を開けた。

 十字架から放たれる光が、どんどん弱まっていった。

 メルのかたわらで、幻の女も苦しげにあえいでいる。その横顔に脂汗が浮かんで、頬が蒼白になっていた……メルと同じように。


 メルは、ガクリと膝をついた。

 肩で息をしながら、それでも、十字架を掲げることはやめない。



「お願い……もう少しだけで、いいからっ……!」



 ──それは、はかなすぎる願い。

 ろうそくの小さな炎が、嵐になすすべもなく翻弄されるのにも似て。

 遠からず、吹き消される……。



  ☆☆



 亡者どもの動きが、息を吹き返したように活気づくのを見てとって、戦っていたアスターは舌打ちした。


 吹き荒れる堕気にされて、メルの放つ聖性が弱まっている。……もう限界のはずだった。



(くっ……! 魂送りがなきゃ次から次へと復活する。とても逃げ切れる数じゃ……!)



 亡者どもは、まだ半数以上も残っている。

 それに──


 もし仮にアスターたちが運良く逃げ切ったとしても、町はあっという間に、亡者どもに蹂躙じゅうりんされるだろう。まるでノワールの二の舞のように……。



(…………っ!)



 剣で亡者どもを斬りながら、背後にいるメルのもとに駆け戻りたい衝動をこらえた。

 自分が行って、できることなど何もない。……信じることしか、できない。


 ──けれど、不意に……。

 、と思った。


 それは、ひどく自然な感情だった。


 もしもメルが力尽きて果てるなら、そのときは、自分もともに運命を受け入れる。一方的に守るのではなく、ともに戦う者として。


 ──それが、相棒としての、自分の役目なら……。


 蒼氷の瞳で、襲ってくる亡者どもをにらみつけた。



「……ここから先は行かせない。おまえらの相手は俺だ。あいつに手出しはさせない!」



 斬り付けた亡者どもが塵となって、アスターの目の前で散っていった。



  ☆☆



「くぅ……っ。うあぁぁぁ……!」



 全身にのしかかる負荷に、メルは悲鳴をあげた。


 亡者どもの断末魔のように、聖性の弱まったところに堕気が吹き荒れてメルの身体をむしばんでいった。わずかに残った聖性を吹き消そうと、もはや憎悪ともいえる逆襲の嵐を吹き荒れさせる。


 それはメルの苦しみであり、ルリアの苦しみだった。


 自身の無力さをのろった。もっと力があれば救えたはずだった。自分の力が及ばないばかりに、誰かが死んでいく……。

 その悲しみと痛みを、メルも共有した。


 純白の戦乙女と、防国の双璧とうたわれて──


 それでも守れなかったものの大きさと、底なしの絶望。

 生前の彼女が感じていた苦しみと痛み。

 守れなかったものを想い陰で泣いていた、ひとりの女としての嘆き……。



「──もう、終わらせよう……」



 メルが言った、その言葉に、幻の女は目をみはった。意味をとりかねるように、苦しそうな表情の中で、そっと眉をひそめる。


 メルは、そんな彼女に小さく笑ってみせた。



「もう十分、苦しんだし、悲しんだから。あなたがもう背負わないように、終わらせるの……──、癒やしの力で」



 ……嵐にかき消されようとしている灯火が。

 それでも最後の力で、力いっぱい輝こうとするのにも似て。

 最期の時まで、自分自身でいられるように。


 ──命の炎を燃やして、言った。



「忘れないよ。あなたの優しい想いも、死んでったリゼルや仲間たちの願いも、全部、私の中にある! みんな、私の中で生きてるっ。みんなの想いをもって、私はこの世界にいるんだ! 私はまだ、生きていたい……!」



 吹き荒れる堕気に堪えながら、メルは十字架に向かってなけなしの聖性をこめた。

 もはや祈りにも似た、決死の叫び。


 ……それにこたえたのか、どうか。


 メルとルリアがともに掲げた十字架に、背後から、小さな手が添えられた。



「…………え……?」



 振り返ると、粗末なワンピースを着た赤毛の少女の姿が透けて見えた──リゼル。


 メルが見ているそばから──

 十字架を支える小さな手が、どんどん増えていった。メルと同じように魂送りをしていた奴隷の仲間たち。



「リゼル……みんな……!」



 胸が熱くなった。

 身体にかかっていた負荷がどんどん軽くなっていく。メルの中に力強くて温かな力が流れ込んできて、吹き荒れていた悪意の風を、少しずつ相殺そうさいしていった。


 十字架を支える手は、ますます増えていく。


 村娘ふうの少女が見えた。

 革の胸当てをつけた青年が見えた。

 夫婦のような男女が笑い合っていた。

 子どももいれば、老人もいた。


 気付けば、無数の死者たちに囲まれていた。

 ──忘却の河の向こうに渡った者たち……。


 メルの目から涙があふれた。


 死してなお、生ける者たちの中に脈々と受け継がれる想い──幸せになってほしいという切なる願い。その温かな波動が満ちるのを感じながら。


 想いのすべてを、手にした十字架にこめて──

 メルは叫んだ。



「導きの光よ! 私たちの生きる未来あすを照らし出せ──聖なる浄化の光フェアリー・シャイン!」

 


 光の奔流が亡者どもに押し寄せてのみ込んでいく。

 かつてないほどまばゆい輝きが、洞窟内にはびこった亡者どもをいていった。

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