最終章6話 声なきささやき

 どうして戦うの?

 あなたにはもう守るものも、何もないのに……。


 果てしなく続く暗闇の中、絶え間なく襲ってくる亡者どもを斬り伏せながら、夢の中でルリアが言ったあの言葉が、幾度となく響いていた。


 それは、自分への問いだった。なぜ……。

 クロードに殺されるほど憎まれ。ルリアを死に追いやって……。どうしてまだみっともなく剣にすがりついているのか。


 戦って。戦って。戦って。戦ッテ。亡者ヲ斬って。殺シテ。なぶっテ。壊シテ。あやメて。なんのためナノか。理由モ擦り切レテ。亡者どモニ囲まれte自分が生キテルのか死んderuのかモわかラなくなって……。



「…………っ!」



 気付けば、亡者が拳を振り上げていた。目の前で。

 その虚ろな眼窩と目が合った、刹那。

 アスターは横殴りに吹っ飛ばされていた。



「ぐっ……!?」



 衝撃で、手放した剣が宙を舞った。

 慌ててその剣に手を伸ばして──


 ──柄に施されたに、手が止まった。



「……あ…………」



 迷ったのは一瞬だった。

 そのすきを、けれど、亡者どもは見逃さない。獲物の動きが鈍ったのを見て、一斉にとりついた。



「ぐっ! くそ……っ!」



 亡者どもの爪牙に外套マントが裂け、身体が剛力で締め上げられる。その中で、剣に向かって必死に手を伸ばした。

 何もつかめず守れなかった自分を、亡者があざ笑った。



 ──……なぜ戦う?

 ──守るべき者はもう死んだのに。

 ──おまえはそいつに殺されたのに──!



(…………っ)



 クロードの傷も痛みも何も知らず、守っているつもりになっていた。

 大切な友の不安にも怖れにも気付けずに見過ごした。

 喪ってから嘆いたところで遅い……でも。


 ──それでも……。



「……俺はまだあいつと話さなきゃいけないんだ……っ」



 剣をつかみざま、亡者どもを斬り飛ばし、ゆらりと立ち上がった。


 身体は、もうなまりのように重くて。戦い続けて疲れた膝がガクガクと震えている。疲労と血と汗に目はかすんで、目の前の亡者がよく見えなかった。もうとっくに限界を超えていた。


 手足を復活させた亡者どもが、ドロドロに腐った顔で笑みを深めて、がく関節をカタカタと震わせ──嗤った。



 ──話したところで、何になる。

 ──今更どんな弁解をしたところで、ヤツは聞く耳をもたない。見ただろう? あの怒りと絶望の剣技を。

 ──あいつをあそこまで追い詰めたのはおまえだ。なら、その命でつぐなえ……。



「──……嫌だ」



 アスターは言った。疲れにかすれた声だったけど、はっきりと。


 本当はもう、気付いていた。クロードとまともに話をしていなかったことに……。

 一緒にいてさえ、心はどこか遠くて。

 傷付くことを怖れて、きちんと向き合わなかった。

 過去の痛みから目を逸らして、なかったことにした。


 ……それは、アスター自身の弱さだ。



「俺は、まだ死ねない。俺がここで死んだら、またあいつから逃げることになる。あいつをまた独りにすることになる……!」



 蒼氷の瞳に、まっすぐ射抜かれて。亡者どもが、かすかにたじろいだ。



「……俺には、あいつの苦しみも悲しみも理解できないかもしれない。話したって、わかりあうことなんか、ないかもしれない! それでも、戻らないといけないんだ。俺はもう、過去から目を背けない……っ!」



 ──それがどんなに苦しくても。

 痛みと後悔に彩られていたとしても。

 ……どんなに深く傷付け、傷付いたとしても。


 それは、もう、アスターの一部だった。

 斬り捨てることのできない、自分自身の、影。


 最後の力を振り絞って、再び亡者どもに挑もうとした──その暗闇の中に、光が射し込んだ。



「──!?」



 息をのむほどまばゆい聖性の光が、闇を温かく祓っていく。

 辺りを取り囲んでいた亡者どもが、動きを止めておののいた。



「……まさか……」



 二度と感じるはずはないと思っていた、ルリアの聖性。そこに、慣れ親しんだもうひとつの気配があった。ふたつの聖性が混じり合い、溶け合って、優しい輝きで辺りを包んでいく。



「…………ルリア……!」



 涙で視界がにじんで、目の前の亡者どもが見えなくなっていく。慌ててぬぐった。

 ──そこで、亡者どもの攻撃がやんでいることに気付いた。



(…………?)



 アスターはふと、視線を上げた。

 亡者どもの嘆きの声に混じって、あるかなきかのささやきが耳に届いた。



 ──怖イ……怖イ……。



 耳を澄まさなければ掻き消えてしまうほどの、か細い声だった。戦いの中では、聞こえるはずもないささやき。 



(……? 怖い……?)



 どこから聞こえるのだろう、と思った。

 ここには自分と──亡者どもしかいない。



「……。まさか…………」



 目の前の亡者は、虚ろな眼窩をアスターに向けたまま立ち尽くしている。肉がぐずぐずに溶けて腐った顔貌がんぼうが、なぜだか、泣いているみたいに見えた。


 亡者は、なおも、声なき声でささやいている。



 ──怖イ……怖イ……。……怖イ……。



 この世界に、放り出されるようにして生み出されて。

 どうしていいかもわからず戸惑っている。

 ただただ傷付くまいと必死で怖がっている、途方に暮れたような声。


 ──その声を聞いているうちに。

 いつかの自分の声が、耳を打った。

 熱に浮かされた、迷子のような声音。



『自分が生きてるのか死んでるのか、わからない。……──もうずっと前から、わからないんだ……』



 ──なぜ戦うのか。メルに問われて、自分で口にしたその答え。


 自分が生きてるのか、死んでるのかもわからなくて。この世界に生きていることを確かめたくて。そうすることでしか生きていることを実感できなくて。ひたすらに亡者を斬っていた自分の、声が……。


 ──鮮やかなまでに、胸によみがえった。



「…………まさか。……おまえたちも、同じなのか?」



 愕然がくぜんとつぶやいた。

 その声に呼応するかのように、ささやきが大きくなる。



 ──怖イ……怖イ…………怖イィ……。



「…………。……何が、そんなに怖いんだ……?」



 アスターの問いかけに──

 目の前にいた亡者の姿が陽炎のように揺らいで溶けた。


 現れたのは、小さな男の子だった。

 冴え渡るような金色の髪。蒼氷の瞳をうるませて、びくびくしながら縮こまっている──幼い頃の自分。



 ──怖イ……。本当ハ、戦イタクナンカ、ナイ……。



「……おまえ……」



 ──怖イ……怖イヨォ……!

 ──傷付ケルノモ、傷付クノモ、嫌ダ……!



 自分が今まで、何と戦っていたのか、悟って。


 ──アスターは剣を置いた。


 亡者どもが立ち並ぶ中、子どもに向かって歩いていく。……剣をもったままでは、できないことが、あった。


 アスターが近付くと──

 金髪の子どもは、びくりと身体を縮こまらせた。

 傷付くのを怖れているような仕草……。身の周りにあるもの、すべてが恐ろしくて。

 必死に身を守ろうとしている、幼い自分。


 ──抱きしめた。



「…………大丈夫だ。もう怖くない。…………怖がらなくて、いい」



 子どもは腕の中で、心配そうにおずおずとアスターを見た。その言葉を信じていいか、わからないというふうに。


 信じたい。

 信じるのが怖い。

 信じて、また裏切られるのが……怖い。


 その子どもを、アスターは抱きしめた。

 ムリして信じる必要はない……でも。



「……ずっと一緒にいる。おまえのことは俺が守る。……だから、もう独りで泣くな」



 アスターの腕の中で──

 泣き疲れた子どもは、ほっと力を抜いた。安心したようにもぞもぞと身じろぎして、すぅっと眠りにつく。



「…………」



 アスターと子どもを見守っていた亡者どもの姿が、光の中に溶けていく。


 腕の中の子どもの重みとぬくもりを抱きしめながら、アスターはそれをいつまでも見つめていた。

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