最終章5話 愚かな蛮勇

 エマの魔術に翻弄ほんろうされながら、メルは必死に抵抗した。

 アスターの相棒だったルリアの魂を喚び戻すための反魂の術。そのはずだった……なのに。



(違う──! ルリアさんじゃない!?)



 さまよえる魂たちの嘆きと慟哭どうこくが、メルの思考をぐちゃぐちゃに掻き乱した。脳の中に手を突っ込まれて引っかき回されるような──苦しみ。



「あ、あ、あ、ぁ……!」



 無数の魂たちが巻き起こす渦の中に、メルはいた。


 水面に落ちたちっぽけな木の葉のように、なすすべもなく濁流だくりゅうに押し流されていく。巨大なうねりの中にのみ込まれて、個としての意識が粉々に砕かれて消滅する。

 ……その刹那せつな



 ……かしゃん、という音がした。



「……また落っことしてる。相変わらず、おっちょこちょいなんだから」



 そう言った誰かがため息をついて、足元のそれを手に取った。



(…………? 誰……?)



「大事なものなんでしょ。そんなに簡単に手放しちゃダメ」



 拾ったそれをメルの手に握らせてくれる。

 ……金属のひんやりとした感触。

 少しずつ意識が浮かび上がってくる。


 視線を転じた。


 メルよりも少し小さな──少女の手。

 逆光の中で赤毛のお下げが揺れていた。

 メルは信じられない想いで、その姿を見た。



「リ、ゼ……ル……?」



 名前を呼ばれて──

 にっと笑った少女の、その口元が見えた。

 逆境にも負けない勝ち気な微笑みで。


 まるで──

 メルがまだこの世界にいることを教えてくれるように。


 メルも手を伸ばした──少女に向かって。

 もっと一緒にいたかった。

 この友達と一緒に……。

 ……なのに。

 少女はかぶりを振って、メルに向かって微笑んだ。



「忘れないで──あんたの中で、私たちも生きてる」



 ──そう言って。

 少女の姿は、清浄な光の中に溶けて消えていった。



 ☆☆



「──っ!? なんだ!?」



 目も開けていられないほどの鮮烈な光に、クロードはとっさに少女を投げ出して身をかばった。


 反魂の術にもだえていたはずの少女の身体が、にわかに光に包まれた。少女が腰にさげていた魂送りの杖がとてつもない光を放ったのだ。



「なっ……!? 反魂の術が打ち消されてる。あんな子ども、に──! きゃぁぁぁっ!」



 みなまで言う前に、エマの口から絶叫がほとばしった。少女のもつ魂送りの杖から放たれた清浄な光が、足元に展開された魔方陣の燐光を完全に打ち消していく。


 ……その地面に。


 宙に浮かんでいたメルは、ふわりと降り立った。術の苦しみの名残で、肩で息をしている。額には玉の汗が浮いていた。


 それでも、クロードと対峙たいじして、きっとにらみつけた。



「こんなことしても……ルリアさんは還ってこない! こんなこと、ルリアさんは望んでない!」


「……っ! まだ言うか! おまえに何が──」


「だって、ルリアさんは亡者と戦ってたんでしょ⁉ みんなを守るために戦ってたのに……!」



 メルは叫んだ。悲鳴のように。

 手の中の魂送りの杖を握りしめる。まだ光の残ったそれをクロードに向けて、悲しげにくしゃりと顔をゆがめた。



「それをなんであなたがぶち壊すの! なんでルリアさんを生き返らせるために亡者なんかび寄せるんだよぉ! そんなこと、望んでるわけないじゃない!」


「──っ!」



 メルはしゃくり上げた。



「アスターのことだって、ルリアさんは守ろうとしたはずなのに……それをあなたが刺したんだ! ルリアさんの気持ち、全部台無しにして! ……ルリアさんは、あなたのことだって守ろうとしたはずなのにっ!」


「……っ! 僕はどうなったっていいんだよっ!」



 クロードが吠えた。血を吐くような叫びで。



「ルリアさえいてくれればよかったんだ! 彼女が笑っていてくれるだけで……。なのに、なんでこんなことになったんだよ!? ルリアのいない世界なんかいらないんだ。全部、亡者どもに滅ぼされればいい! ルリアの命と引き換えにながらえた、この世界なんか……!」


「──クロード様、危ない!」


「……!?」



 クロードの背後から襲いかかった亡者から、エマがかばった。魔術の展開が間に合わずに弾き飛ばされる。もんどり打って地面に転がった。



「……エマ!?」


「クロード様…………逃げて……」



 エマが言った。起き上がることもできずに。

 そのまま意識を失って動かなくなる。


 今や洞窟内の亡者どもが、人間たちを取り囲んでいた。九十九人の乙女の死体に引き寄せられた非業の魂たちが実体化したもの。それと同じ数の亡者が、そこにいた。


 メルは──

 倒れたままのアスターを背後に、魂送りの杖をかまえた。



「……気でも違ったか。謡い手がひとりで魂送りできるわけない。それも、こんな数の亡者相手に──」


「わかってる。でも、アスターならこうする。勝ち目がなくたって向かってく! 私たちを守ってくれる……!」



 目に涙をためてガタガタ震えながら、メルは迫りくる亡者どもの群れをにらんだ。


 悪夢のような光景だった。

 百体近い亡者たちがメルたちに向かって──そして、背後の出入り口に向かってうごめき迫ってくる。この数の亡者が町に出たら……誰も助からない。


 パルメラやピエールの、商人ギルドの気のいい職員たちの顔が浮かんだ。なんとしてでも、ここで食い止めなければならなかった。……それがどんなに絶望的なことでも。


 そんなメルを見て──

 クロードがわらった。かなうわけがない、と。生きることをあきらめた、乾いた哄笑こうしょうで。



「それを蛮勇というんだ。無謀というんだ! おまえひとりで何ができる。僕たちはここで死ぬんだ。みんな、ノワールのように滅んでしまえばいい……!」


「そんなことさせないっ!」



 メルは叫んだ。魂送りの杖に、ありったけの聖性を集めながら。



「だって、私、まだ生きてる! 死んでったリゼルたちの分も生きるんだ! ──そのために、私はここにいるんだから!」



 ──生きたくて、生きたくて。

 それでも、死んでいったひとたちがいる。

 一分、一秒でも、長く息をしていたくて。

 大切なひとたちのそばにいたいと願いながら。

 そのちっぽけな祈りさえ届かず、空に還っていった魂たち。


 ……その想いも、全部、背負って。



「私はまだ、この世界にいるんだからっ……!」



 ありったけの聖性おもいを、杖にこめた。

 そうして魂送りの杖をかざしたメルを──


 亡者が、なぎ飛ばした。



「きゃああぁぁ……!」



 亡者の爪にかすった痛みと衝撃で、手にしていた魂送りの杖が宙を飛んだ。

 もし娘が亡者になっていたら葬送ってくれと、心優しい職人が作ってくれた木彫りの短杖ステッキ

 乾いた音で地面に転がったそれを──


 亡者があっけなく、



「……っ! そんな……!」



 杖が砕け折れるバキリという音が、メルの耳を打った。メルの目の前で、杖に集中させていた聖性が霧散していく……。


 あっという間に亡者どもに囲まれた。



(…………っ!)



 メルは、血だまりの中に倒れ伏したままの青年にすがりついた。


 腕の中にいる青年の顔は青ざめて、呼吸は浅くか細い。鼓動はやみそうで、目を開く気配はなかった。その今にも死にそうな青年に、メルはすがりついたのだった──愚かにも。



「う……ぁ……っ」



 涙がぽとぽと落ちて、アスターの頬を濡らしていった。



「…………嫌だ……」



 ──泣くな。

 泣くのは嫌い。心がもろくなるから。

 涙なんかじゃ、何も変わらない。


 ……なのに、メルはいつだって泣き虫で。

 強くなんか、全然なれなくて。

 たったひとつ、守りたいものさえ守れない……。


 亡者どもが迫ってくる。

 メルたちを殺して、その先へ──

 リビドの町へ。たくさんのひとが死ぬ。

 パルメラも。ピエールも。町のひともみんな。

 なのに……──



「…………アスター、ごめん……。私、何もできなかった……っ」



 亡者どもが、メルの頭に、肩に、脚に、その爪牙そうがを伸ばしてくる。新鮮でやわらかな肉。心臓の甘やかな鼓動。生きている命のぬくもり。そのすべてを我が物にしようとして。


 かつエ、渇エ、渇え、モット、モット、モット、もット──狂おしいほどの衝動で少女の血肉を引き裂こうとした、そのとき。



 ──歌が、響いた。



「──……っ!?」



 突然巻き起こった鮮烈な光に、亡者どもがおののいた。

 洞窟内にわだかまった闇をはらうかのように、清浄な輝きが辺りを照らしていく。


 何が起きたのかわからずに、メルは瞠目した。

 どこからか、優しい女の歌声が聞こえてくる。


 亡者どもを退かせたまばゆい光が、アスターの胸元から漏れているのを見てとって、メルは手を伸ばした──女物の十字架。メルの手の中に収まると、一層強く輝き出した。



「……きゃっ!?」



 あまりのまぶしさに目を覆った。

 そして──


 再び目を開けると、白いドレスを着た女がそこにいた。

 ゆるく流れるプラチナブロンドの髪に、毅然きぜんとしてなお慈愛と優しさを失わない黄玉の瞳。その姿の向こうの景色が透けて見えた。



(……!? 誰……?)



 女はメルに微笑みかけた。

 アスターの方も見て、痛ましそうに眉をひそめる。まるで自分が傷付けてしまったみたいに、悄然しょうぜんとした。


 不意に、メルは悟った。

 アスターのしていた十字架が、誰のものだったのか。



「あなた、は……!」



 女がにこっと笑って、メルと手を重ねた。

 刹那──

 メルの中に、すさまじいほどの聖性が流れ込んできた。



「──!?」



 十字架の輝きが強くなるにつれて、亡者どもの堕気が祓われていく……。



 ──大丈夫。あなたの中の光は、まだ失われてない。



 女が声なき声で言って、微笑んだ。メルをもう一度、立ち上がらせるために。


 かつて戦場で百体の亡者を一度に葬送ったという、純白の戦乙女──その力を再び、現世によみがえらせて。


 メルは、泣き濡れていた目尻をぬぐった。

 女の聖性と、自分自身のそれを重ね合わせて。光り輝く十字架を頭上にかざして、怖れおののく亡者どもに向かって叫んだ。



「導きの光よ。私の中の希望ひかりを呼び覚ませ──聖なる浄化の光フェアリー・シャイン!」



 すさまじいほどの光の奔流ほんりゅうが、洞窟の隅々を照らしていって、亡者どもが光にのまれた。

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