最終章4話 決着の時

 吹き荒れていた堕気だきが……──嘘のように、やんだ。


 もはやひとも亡者の気配もなく、静まりかえった城の中に、クロードはいた。

 血だまりの中、息を吹き返したアスターの頬に赤みが戻るのを、信じられない想いで見つめた。


 倒れたままのアスターの上に、事切れたルリアが折り重なっている──まるで眠っているようだった。待っていれば、そのうち起きるんじゃないかと思うほど。けれど、その唇が吐息を漏らすことは、もうない。


 激情が、クロードの胸を吹き荒れた。


 ──なぜ。

 どうして、こんなことに……!


 床に転がった剣を見た。アスターの血で汚れたままの、剥き出しの刃を。



『はぁっ……はぁっ……。……っ!!』



 剣を逆手にもって、アスターに振りかぶった。……今なら、造作もなかった。


 ルリアを殺した男を、再びあの世に送り返すのだ。

 一度は死んだ者を、あるべき場所に還すだけだ。

 亡者の魂を葬送るのと、何も変わらない。


 ──なのに、手が無様に震えた。


 もう一度、剣を振り下ろすのを、心が拒んだ。

 …………殺せない。

 どうしても、剣を振り下ろすことができない。



『うああぁぁぁぁ……っ!!』



 獣のように泣き叫んだ。

 ルリアがもう、どこにもいないことを悟って。

 三人で過ごしたかけがえのない日々が永遠に、戻らないと知って。


 ルリアのことが好きだった。

 アスターのことを……大事に想っていた。

 だからこそ、ゆるせなかった。……憎んだ。


 剣を投げ出して、ふらりと立ち上がった。

 倒れたまま目覚めないアスターを、背後に残して。



『…………さよならだ、アスター。永遠に』



 そうして──

 もう二度と、会うことはないと思っていた。


 ──……それなのに…………。



  ☆☆



 なぜ、アスターは自分の前に現れたのだろう。

 ……二年ものときを、亡者のようにさまよって。あの日あったこともすべて忘れ去って。


 それとも、これが運命だったとでもいうのだろうか?

 何度でも、ノワールが滅んだあの日に戻って、やり直すしかないとでもいうのか?

 そのために、僕の前に現れたとでもいうのだろうか。


 ──もし、そうなのだとしたら……。



「……あの日の決着を、つけないといけないね……」



 交易町リビドにある廃鉱奥の洞窟の中──


 血だまりの中に倒れ伏したアスターのもとに、クロードは静かに歩み寄った。血に濡れた剣をもって。背後には、エマに魔術で操らせた亡者が三体、控えている。


 アスターにすがりついて泣いていた少女がびくりと振り返って、クロードの前に立ちふさがった。アスターをかばうように。



「……何の真似だ」


「これ以上、アスターに近付かないで……!」


「……バカなことを。放っておいても、その傷じゃ助からない。時間の問題だよ」


「なんで……。なんでそんなことが言えるんですか! アスターは、ずっとあなたのこと捜してた! あなたに会いたがってたよ! ……なのに!」


「知ったような口を利くなっ!」



 怒りに任せて、クロードは少女の胸ぐらをつかんだ。



「おまえに何がわかる! おまえなんか、ルリアの代わりのくせに!」


「違う! アスターはルリアさんの代わりはいらないって言ってた。……何もわかってないのはあなたの方だよ!」


「なっ……!」



 ガタガタと恐怖に震えながら、それでも、少女の瞳に燃えていたのは怒りだった。



「変わったのはあなただけじゃない。アスターだって変わってきてるんだよ! それなのに、今のアスターのこと、何も知ろうとしなかったでしょ。お互いのこと知ろうともしないで、昔のアスターの面影を重ねて、勝手に幻滅して……また同じあやまちを繰り返そうとしてる!」


「魂送りの奴隷ごときが、調子にのるな。おまえなんか、ルリアの魂を宿すだけの、ただの肉体うつわのくせに……!」



 クロードの頭にカッと血がのぼった。


 こんな子どもが。

 アスターの隣に平気な顔して居座って。

 まるでルリアの代わりみたいに……!



「聖性に満たされた身体。ルリアの魂を宿してもらえば、おまえなんか用済みだ──エマ」


「……っ! 嫌!」



 少女が拘束から逃れようと、必死に身をよじる。その足元に、燐光を放つ魔方陣が現れた。


 魔術によって編み出された反魂はんこんの術──その詠唱が洞窟内に響くにつれて、異様な堕気が嵐のように吹き荒れた。


 空間のゆがみに堪えきれず、洞窟の天井が崩れ始め、あちこちで土砂となって降り注いでくる。


 術の反動で、九十九人の乙女たちの死体に引き寄せられ、闇雲に招き寄せられたさまよえる魂たちが、そこかしこで。亡者となって、腐った肉体で、おぞましい叫び声をあげていく。まるで生まれ落ちたことを嘆くかのように。


 そのすべてを、クロードは無視した。



「……っ! クロード様、亡者どもの統制がとれません」


 苦しげに肩で息をしながら、エマが言う。

 クロードは冷ややかに返した。



「続けろ。ルリアの魂さえ宿らせられれば、それでいい」


「……っ。…………はい」



 少女の足元で強まっていく魔方陣の燐光に照らされながら、クロードは怪しく笑った。


 ……やっとだ。

 もうすぐルリアに会える。

 そのためだけに、僕は……──



「待たせてごめんね……ルリア。すぐに君を迎えにいくから」


「嫌だっ! やめて……! あああぁぁっ!」



 クロードに宙づりにされたまま暴れる少女が、びくびくと身体を痙攣けいれんさせた。



「……や、め……て……!」



 見えない何かからのがれようと、めちゃくちゃに胸を掻きむしる。

 苦痛に身をよじる少女の喉から、絶叫がほとばしった。



「私の中に……入ってこないでぇぇぇ……!」



  ☆☆



(……っ!?)



 ぞくりと胸騒ぎがして、アスターははっと振り返った。

 けれど、相変わらず、何も見えない。


 どこだかもわからない真っ暗な空間が茫漠ぼうばくと広がっているだけだった。そのアスターの四方から、亡者どもが手当たり次第に襲ってきた。



「……っ! くそ!」



 亡者どもの中を駆ける──ひとりで。

 自分が何のために戦っているのか、その理由さえ、忘れ果てて。


 戦って。戦って。戦って。戦ッテ。亡者ヲ斬って。殺シテ。なぶっテ。壊シテ。あやメて。なんのためナノか。理由モ擦り切レテ。亡者どモニ囲まれte自分が生キテルのか死んderuのかモわかラなくなって……。


 胸によぎった不吉な予感のことも、すぐに忘れた。


 アスターは再び、戦いの狂騒にのまれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る