五の扉 ラベルナの決意

 悪い予感はしたのだ。

 その男が地下牢までやってきて面会を求めてきたときに。

 婚約者アルフォンスの父親。本来であれば自分自身の未来の義父となっていた男。フィールナル王国国王アルフレッド。

 仮にも国王ともあろうものが地下牢まで出向いて直々に囚人に会うなど、普通ではまず考えられない。その考えられないことが起きているだけでも充分、悪い予感を抱く理由になる。まして、その国王がニタニタと勝ち誇ったいやらしい笑みを浮かべているとあっては。

 「久しいな、ラベルナ」

 国王アルフレッドはいやらしい笑みを浮かべたまま、自分自身が鉄格子の向こうの小部屋に閉じ込めた義理の娘となるはずだった『囚人』に話しかけた。相手が鉄格子の向こうにいて、もはや、何ひとつ出来ない身であることを確信しているのだろう。裁判の席でラベルナに逆に弾劾され、うろたえていたときの様子はまったくない。ニタニタといやらしい笑みを浮かべたまま、勝ち誇った様子でラベルナを見下している。

 「お久しぶりです。ご機嫌きげんうるわしそうでなによりです、義父上」

 せいぜいの皮肉を込めてラベルナはそう言い放った。

 アルフレッドはその皮肉を聞いても気分を害した風はなかった。それどころか、ますますいやらしい笑みを浮かべた。

 剛胆なのではない。

 弱いものをいたぶる快感に酔っているのだ。

 相手は武器ももたず、着の身着のまま地下牢に幽閉され、自分には決して手出しできない。せいぜい皮肉を吐いて嫌がらせをするのが精一杯。そんな無力でみじめな相手を見下し、優越感に浸る。それ以上の悦楽えつらくが何かあるだろうか?

 勝利を確信したもの特有の余裕をもって、アルフレッドはニタニタと笑いながら答えた。

 「ご機嫌麗しく? おお、まさにその通り。余はご機嫌じゃ。何しろ、先ほど民衆の代表と会談してきたところでな」

 「会談?」

 「さよう。すべてはそなたたちカーディナル家の陰謀と説明したらこころよく納得してくれたわ」

 「嘘⁉」

 ラベルナは思わず叫んでいた。

 常に自分を律し、カーディナル家当主としてふさわしい人間でいようと務めているかの人にして、まるで幼い女の子のように反射的に叫んでしまったのだ。それほどに、ラベルナの受けた心理的な衝撃は大きなものだった。

 「あり得ない、そんなこと! カーディナル家は代々、王家のみならず市井しせいの人々の身命を守ることにも尽力してきた。わたしの父も、母も、自ら人々のもとにおもむき、治療してきた。ときには治療費を払えない貧しい人々のために自腹を切ってまで……。人々はそのことを知っている。カーディナル家がいかに薬師くすしとしての役目に忠実であったかを知っている。その人々がカーディナル家が陰謀を巡らしてきたと信じるなんてあり得ない!」

 「ふむふむ。大した自信じゃのう。カーディナルの魔女よ。たしかに、最初のうちはそなたの言うとおり、何を言っても信じようとせんかった。しかし……」

 ニタッ、と、アルフレッドは邪悪と呼ぶには低俗すぎる笑みを浮かべた。

 「カーディナル家が代々、溜め込んできた毒物に関する膨大な書類。それらを公開したら簡単に納得してくれたわ」

 「! カーディナル家の書類、代々の薬師たちが編纂へんさんしてきたあの貴重な資料に手を付けたと言うのですか⁉」

 「都合のいいことにあれらの書類には動物たちのもだえ、苦しむ様子などもずいぶんと描かれておったからのう。カーディナル家がいかに邪悪の徒か、納得させるにはぴったりだったぞ」

 「あれらの資料はすべて、医学の発展のためのものです! 動物たちがもだえ、苦しむ図が数多く描かれているのはまちがった処方をしたらどうなるか、その実験結果を記しているからです! わからないのですか、あれらの書類はカーディナル家のみならず人類全体の宝、人類の医学発展のためになくてはならない資料なのですよ。あれらの資料が失われたら医学の発展がどれほど遅れることか……。あなたはご自分の失政を隠すために、人類全体の損失を招くおつもりなのですか⁉」

 「ん? なんとな。あれらの紙切れはそれほど貴重なものであったのか? いやあ、すまん、すまん。それほどのものとはつゆ知らず、カーディナル家の邪悪を浄化するために神官に命じて焼き払わせてしまったわ」

 「なっ……!」

 アルフレッドは『カッカッカッ』と笑い飛ばした。

 その笑声しょうせいを聞いたときのラベルナの衝撃はなんと表現すれば伝わるだろう。

 カーディナル家の薬師たちが寝る間も惜しんでいそしんだ実験の数々。そのために犠牲となったあまたの動物たちの生命。それらの犠牲の上に得られた医学上の知見。それらは未来の人類医学の礎となり、その発展に大いに貢献するはずだった。その資料が焼き払われた。永遠に失われた。その損失は……。

 目がくらむ思い。

 その程度の表現ではとうてい足りない。あまりの衝撃に目の前の男を憎むことさえ出来ない有り様だった。

 「……カーディナル家の屋敷にはまだ大勢の人間がいるはずです。かのたちはどうしたのですか?」

 「ん? おお、例の使用人どもか。なんでも、ずいぶんと生意気だったそうだぞ。あるじとして、使用人の教育がなっておらんな」

 「かの人たちをどうしたのです⁉」

 「どうあっても資料を渡そうとしないのでさんざんにぶちのめし、屋敷中を家捜しして、見つけ出してきたそうだ」

 「! かの人たちは私兵でも何でもありません! 武器をもたない民間人です。あなたは丸腰の民間人相手に暴行を振るうよう、兵に指示したのですか⁉」

 「余が命令したのは『何がなんでもカーディナル家の資料をもってくること』、ただそれのみだ。そのために兵たちが何をしようと余のあずかり知らぬことだ」

 「な、なんと言う……」

 今度こそ――。

 ラベルナは目のくらむ思いに駆られた。

 アルフレッドが国王としての自覚にも見識にも欠ける遊興の徒であることはもちろん、承知していた。しかし、まさかここまでの卑怯者だったとは。

 ――本当に毒殺しておけばよかった。

 薬師の家系に生まれ、人々の生命を守ることに限りない誇りを抱いてきたラベルナにしてそう思うほど、アルフレッドの品性は嫌悪に値するものだった。

 ふう、と、ラベルナは大きく息をついた。

 「そう……ですか。つまり、陛下はご自分が小娘ひとりにあっさり操られてしまうほど意志の弱い、愚かな人間であることを民衆の前で白状したわけですね。民衆が哀れんで矛先を納める気持ちもわかります」

 今度の皮肉はさすがにアルフレッドの心に届いたらしい。露骨ろこつに顔をしかめ、傷ついた表情をして見せた。

 ラベルナはその表情を見て一瞬、勝利感に浸ったものの、そんなものは文字通りごく一瞬。次の瞬間にはこんな無意味な皮肉を言うしかない自分の無力さに対する怒りがわき上がるばかりだった。

 「……それでな。ラベルナよ。そなたに提案があるのだ」

 「提案?」

 「うむ。民衆の前に出て、自らの罪を認めて欲しいのだ。

 「何ですって⁉」

 「民衆たちの前で自分の罪状を自白し、詫びてもらいたい。そう言っておるのだ」

 「お断りです! わたしは何の罪も犯してはおりません。日々、王家の方々、あなた方の健康のために薬を処方してきたのです。そのわたしがなぜ、犯してもいない罪を自白してなくてはならないのです?」

 「おぬしが罪をかぶってくれれば我が王家は大助かりなのだ。知っての通り、いまは民衆どもが何かと騒がしくてな。なに、あんな下賤げせんやから、余が本気をだせばすぐにでも思い知らせてやれる。だが、余のために働く人間どもは必要だ。片っ端から殺して回るわけにもいかん。そこで、そなたに罪をかぶって欲しいのだ。そうすれば、民衆の怒りはカーディナル家に向く。カーディナル家を共通の敵とすることで王家と民衆はふたたびひとつとなれる。国はまとまり、安定する。そなたひとりが悪役になるだけで、他の誰もが救われるのだ。いい話ではないか。

 もちろん、承知してくれるな、ラベルナよ。王家に仕え、王家を守ることこそ、カーディナル家の使命。そのために、平民出身のそなたの家系を公爵家にまで高めてやったのだ。おぬしを我が息子の婚約者にもしてやった。いまこそ、その恩に報いるとき。民衆の前に立ち、すべての罪を告白するのだ。そうすれば生命まではとらん。カーディナル家を取りつぶしの上、国外追放と言うことにする。そう説得してやった」

 そう説得してやった。

 あまりにも恩着せがましいその言い方に、ラベルナの頭のなかで怒りがはじけた。どうやら、この国王は本気でラベルナに恩恵を与えたつもりでいるらしかった。

 「どうだ? やってくれるな、ラベルナよ?」

 「お断りします。我がカーディナル家は代々、薬物を取り扱い、人の生命を救ってきた身。その誇りがございます。そのような茶番を受け入れ、家名を汚すわけにはいきません」

 「断ると? ならば、承知するまでこの牢に幽閉することになるぞ?」

 「ご随意に。ですが、覚悟なさいませ。わたしはわたしの誇りを、カーディナル家の矜持を守り抜きます。決して、そのような茶番劇に屈することはございません」

 「頑固な娘だ」

 アルフレッドは嘲るようにそう言い放った。

 「だが、その威勢の良さがいつまでつづくか見物するのも一興だな。何しろ、ここは日の光ひとつ差すことのない地下牢。貴族の娘として贅沢三昧に暮らしてきたそなたが耐えられるはずもない。すぐに『なんでもするから出してください!』と懇願こんがんするようになる。そのときはたっぷりと自分の生意気さを後悔させてやるぞ」

 「わたしはカーディナル家の当主。そのような恥知らずの懇願をすることなどあり得ません」

 ふん、と、アルフレッドは小馬鹿にしたように鼻を鳴らして身をひるがえした。

 その背に向かってラベルナは問いかけた。

 「アルフォンス殿下はどうされておいでなのですか?」

 わざわざそんなことを尋ねたのは、心のどこかに婚約者に対する期待と信頼があったからかも知れない。アルフォンスが意志の弱い、アルフレッドとはちがう意味で国王としての見識にも使命感にも欠ける人物であることはわかっている。でも、それでも、未来の妻たる女が無実の罪で投獄されているのだ。地下牢に幽閉されているのだ。生涯唯一の意地を発揮して助け出そうとしてくれるのでは……。

 しかし、そんな淡い期待は国王の言葉によって木っ端微塵こ ぱみじんに打ち砕かれた。

 「そうそう。アルフォンスから伝言を頼まれておったのだ」

 「伝言?」

 「そなたとの婚約を破棄する、とのことだ」

 「婚約を破棄⁉」

 「恐ろしい魔女から解放されて真実の愛を見つけた、とか言っておってな。いまではすっかりティオル公爵家の令嬢ピルアと昵懇じっこんになっておるわ」

 「ピルア⁉ あの見た目ばかりのクリーム令嬢と⁉」

 クリーム令嬢。

 それは、宮廷の誰もがティオル公爵家令嬢ピルアに対し、陰で呼ぶ名前。

 ピルアは天真てんしん爛漫らんまんを絵に描いたような性格で、国でも一、二を争うほどに愛らしく、可愛らしい。しかし、頭のなかはケーキやクッキーといったお菓子のことばかりで貴族の娘として最低限必要な礼儀や教養すら身に付けていない。とくに好きなのはクリームのたっぷり乗ったケーキであり、毎日のようにむさぼり食べている。そこから呼ばれるようになったのだ。

 クリーム令嬢と。

 「あのお菓子のことしか頭にない、貴族としての教養ひとつ身に付けようとしないクリーム令嬢を、未来の王妃にしようと言うのですか?」

 「ピルアが菓子のことしか頭にない間抜けであることは余も知っておる。だが、少なくとも、誰かのように薬をもって人を操るような恐ろしい真似はしないからなあ」

 カッカッカッ、と、笑いながら、国王アルフレッドは地下牢から去って行った。

 ひとり残されたラベルナは『ギュッ!』と両拳を握りしめた。

 「負けるものか」

 渾身こんしんの決意を込めてそう呟く。

 「わたしはカーディナル家当主ラベルナ。その矜持に懸けてこんな理不尽な仕打ちに負けたりはしない」

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