二五の扉 新しき王

 「カーディナル家だ、カーディナル家が戻ってきたぞ!」

 「大いなるやしの一族がフィールナルの地に戻ってきたぞおっ!」

 北の地より大地を埋め尽くす軍勢がやってくる。

 先頭に立つは若き女王クイルナーン。はためくはカーディナルの旌旗せいき。一つ目の仮面を被った巨人族の群れが、柱のように巨大な槍を構えてやってくる。

 その姿を見たフィールナルの人々があげたのは恐怖の叫びではなく、歓喜の声。拒絶ではなく歓迎。敵対ではなく恭順きょうじゅん。一〇〇年に及ぶ混迷こんめいと戦乱に疲れはてた人々は、秩序と安定をもたらしてくれる異民族の侵攻を歓迎したのだ。

 もとより、巨人族とフィールナル人では個々の戦闘能力に雲泥うんでいの差がある。

 その巨人族が単一の意思のもと、大挙たいきょして押し寄せたのだ。それも、フィールナルの技によって鍛えられた武器をもち、フィールナルの技によって作られた鎧をまとい、フィールナル流の洗練された戦術をもって。

 さらに、その上に民衆の熱烈な支持がある。

 これだけの条件がそろってはもはや、戦闘になどなるはずがなかった。

 巨人族の軍勢はカーディナルの旗のもと、出会う敵をことごとく文字通りに粉砕した。ザクセンスク辺境伯の死後、争いがやむことなくつづいていた辺境領はあっけなく巨人族の手に落ちた。

 これを皮切りに北方全域への巨人族の侵攻がはじまった。

 メリッサ率いるユニオンの人員たちが行く先々で先行し、『カーディナルの帰還』を語りかけた。

 「カーディナル家が戻ってきた! フィールナルの地に安寧をもたらすために!」


  いつか、カーディナル家が帰還し、フィールナルに安寧あんねいをもたらす。


 まことしやかに語られてきたその伝説を思い出し、人々ははためくカーディナルの旌旗に歓呼の声をあげた。

 フィールナルの北方領はまたたく間に巨人族に制圧された。領主とその一族はことごとく殺され、その軍は吸収された。北方領全域でそれまでの領主の旗にかわり、カーディナルの旌旗がはためいた。

 巨人族の掟は死刑に値する罪が二〇〇以上もあると言う過酷かこくなものだったが、その厳しさこそ、いまのフィールナル人が望むものだった。

 しょせん、一度、たがの外れた国を建て直すためには力と恐怖によって締め付けるしかない。自由とか、権利とか、そんなものは『町中で武装勢力に殺される』心配がなくなってから問題にすればいい。まずは秩序と安定。それがもたらされなければなにもはじまらない。

 クイルナーンは、常に部族同士が相争ってきた歴史をもつ巨人族の女王としてそのことを知っていた。秩序に従うものに害を与えることはなかったが、領主とその一族、領主に与するもの、秩序に歯向かうものには容赦ようしゃしなかった。殺し尽くし、震えあがらせ、秩序に反抗する気力を根こそぎ奪った。

 さらに、増税に次ぐ増税を行い、民の血税けつぜいしぼり取ってきた官吏かんり賄賂わいろを受け取り、法をねじ曲げてきた役人、法の名のもとに民衆を弾圧してきた将軍など、民衆が憎み、呪いながらも手を下す術のなかった悪因たちの罪状を調べあげ、そのことごとくを公開処刑とした。

 それこそはまさに民衆の渇望かつぼうしてきたことであり、かの人たちは大いに溜飲りゅういんをさげ、歓呼の声を大きなものとした。

 巨人族が持ち込んだ膨大ぼうだいな数のトナカイ、毛織物けおりもの、薬品類。それらもまた、歓迎の意を大きなものとした。行く先々でトナカイの乳がしぼられ、肉としてさばかれ、無償むしょうで振る舞われた。人々は思う存分、乳を飲み、肉を食い、飢えを満たした。

 怪我や病に苦しむ人々にはカーディナル家秘伝の治療がほどこされた。

 一〇〇年に及ぶ戦乱のなかで慢性まんせいてき飢饉ききんに苦しみ、怪我や病気になっても治療するだけの金も技術もなく、ただただ苦しんで死んでいくしかなかった人々だ。その人々にとってこれ以上の贈り物はなかった。

 「女王陛下のご恩を忘れるなよ! おれたちを助けてくださったのはカーディナルのすえたるクイルナーン陛下だぞ! 権力欲しさに争うばかりの連中など地獄にたたき落としてしまえ!」

 ユニオンの人員たちが行く先々で声を限りにそう喧伝けんでんする。そのたびごとに人々の歓喜の声はいや増し、合流するフィールナル人は増えていった。

 それは、とりもなおさず、フィールナルという国家がいかに壊滅かいめつてきな状態にあったかを告げる出来事だった。フィールナルはすでに事実上の滅亡状態であり、巨人族の侵攻がなくとも早晩そうばん崩壊ほうかいしていたことは確実だった。

 「これがフィールナル。始祖しそラベルナが愛した祖国だと言うのか」

 さげすみを込めて女王クイルナーンは言った。

 うなずいたのは常にその側にあるメリッサである。

 「……はい。悔しいですが、これこそが現在のフィールナルの姿。王家にもはや力はなく、領主たちは私利私欲のために相争うばかり。誰も、民のことなど気にもかけず、広がるものは飢えと病。それが、いまのフィールナルなのです」

 「ふん。よくも我が始祖の故郷をこうまで荒らしてくれたものだな。民の安寧を守ることも出来ぬ王に、王たる資格なぞない。フィールナルの王とその血族、ことごとく斬り捨て、打ち倒し、無能無策の報いをくれてやろう」

 「ぜひとも。我々ユニオンも全力で支援させていただきます」

 北方領を制圧したクイルナーンは一気に王都を攻め落とすことを決めた。本拠のことは宰相さいしょうである弟ユリアスに任せておいて不安はない。自分は前だけを見て突き進めばいい。

 そして、王都に攻め込む前にひとつの儀式を行った。北方の民を集め、フィールナル王国国王就任を宣言したのである。

 その頭には代々、王位継承に用いられてきた黄金の王冠がかぶせられた。フィールナル王家は目先の食糧を得るために伝統の王冠さえ売り払っていたのである。

 「民よ、聞けいっ! 我はカーディナルの末、クイルナーン・ヴァン・カーディナルである! カーディナルの血はフィールナルの大地へと戻ってきた。フィールナルに秩序と安定をもたらし、人々の暮らしに安寧を与えるために。

 フィールナルの民よ!

 そなたたちの身命を守るだけの意思と能力をもち、実行するものは、王家でもなければ他のどの領主でもない。それはただひとつ、カーディナル家である。カーディナルの旗のもとに集え、フィールナルの民よ! いまこそ、一〇〇年の混迷をもたらした元凶げんきょうどもに報いを与えるのだ!」

 その宣言はフィールナルの民から地鳴りのようなとどろきをもって迎えられた。

 そして、新しき王の軍勢は動き出した。

 王都を目指して。

 その途上にある領土すべてを呑み込んで。

 領主とその一族をことごとく斬り倒し、その軍を吸収した。相次ぐ戦闘によって数を減らすどころか、戦うたびにふくれあがり、精強になっていった。

 こうなるともはや、そもそも戦おうなどと言うものがいなくなる。

 軍に所属しているとは言え、領主に対して忠誠心などをもっているわけではない。長い戦乱のなかで食い詰め、食うために、他人の食を奪い、自分と自分の家族の食にあてるために、そのためだけに軍に入った。そんな人間たちだ。自分の生命を捨ててまで勝ち目のない戦いに身を投げ出すものなどいるはずがなかった。

 「なぜ、クイルナーン陛下と戦う必要がある? クイルナーン陛下は戦乱を終わらせ、秩序と安定をもたらしてくださる。クイルナーン陛下に歯向かうことは戦乱をさらにつづかせ、自分と自分の家族の生命を投げ出すと言うことだぞ。クイルナーン陛下にお仕えしろ。そうすれば食い放題、飲み放題だ。家族にだって思う存分、食わせてやれる。もう『お腹が空いた』と泣き叫ぶ子供の姿を見なくてすむぞ」

 先行するユニオンの人員たちがトナカイの肉とトナカイの乳、その乳から作った酒とを両手にもってそう語ると、拒むものはいなかった。兵士たちはこぞってほこさかしまにして昨日までの主であった領主に襲いかかった。もはや、新たなる王の軍勢は戦う必要さえなかった。行く先々で、領主はすでに自らの軍によってあるいは殺され、あるいは追放され、残るものは無人の館。クイルナーンとその軍勢は文字通り無人の野を突き進んだのだ。

 そして、カーディナルの旗はついに、王都を囲む位置にまで突き進んだ。


 フィールナル王都。

 そこはいまなお、堅牢けんろうなる守りを誇る城塞じょうさい都市としだった。

 二重の防壁と堀とに囲まれ、市内の水源も豊富。食糧の備蓄びちくさえあれば例え一〇倍の敵に囲まれたところで長期にわたって持ちこたえ、ついには撃退することが出来る。

 それだけの力をもった都市だった。

 フィールナル王家が見る影もないほどに弱体化しながらなお、王を名乗っていられたのは王都の守りがあればこそ。しかし、その力もなんとしても守り抜こうとする人々の気概きがいがあってこそ。王家のために身命しんめいして戦おう、などという殊勝しゅしょうな心持ちの人間などどこにもおらず、命をけて守ろうとする人間もいなかった。

 ただ単に逃げ出すならまだ良い方。多くの下級兵士や民衆が怒りを爆発させ、武器を手に軍の幹部たちに襲いかかり、新しき王を招き入れるために門を開けた。こうなってはいかに堅牢な防壁も、深い堀も、何の意味ももたない。

 そして、クイルナーンは王都への入城を果たした。

 憎むべき侵略者として血にまみれ、防壁を打ち破って侵入したのではない。秩序と安定をもたらす新たなる王として人々に迎えられ、堂々と入城を果たしたのだ。

 新しき王の軍勢がもたらした膨大な量のトナカイの肉と乳、医薬品に、王都の住人たちが涙を流して群がるなか、クイルナーンは古き王の居城へと向かった。

 古き王は、王の間にいた。その奥にある玉座に座ったままだった。

 震えながら、ではあったが、この状況下で逃げ出していなかったのは立派と言えたかも知れない。もっとも、この王の場合『逃げ出す才覚もなかった』というのが正解なのだろうけど。

 王の間において新しき王と古き王は相対した。

 新しき王は若く、剽悍ひょうかんであり、自信に満ち、剣をたずさえていた。

 古き王はぶよぶよの体を震わせ、怯えながら玉座にしがみついていた。

 誰が見ても次なる時代がどちらのものか、一目でわかる光景だった。

 「きさまがフィールナルの王。我が始祖ラベルナを追放した仇敵きゅうてき、アルフレッドのすえか」

 その言葉が自分自身に対する死刑宣告であることを古き王は知った。他の誰であっても悟らずにはいられなかっただろう。その言葉を放つクイルナーンの眼光の強さ、鋭さを見せつけられては。

 「なんだ、きさまのそのゆるみきった体は。剣の稽古けいこをしたこともないのか。馬に乗ったことは。国の危機に自ら剣をもって戦場に出ることもせず、玉座に座って震えているだけとはなんと情けない。自ら省みて恥ずかしいとは思わんのか?」

 「な、なんだ、きさまは。なにを言っている。よ、余をどうするつもりだ?」

 「殺す」

 「こ、殺す? 殺すだと? フィールナル王たる余をか? 不敬ふけいだぞ、叛逆はんぎゃくではないか、なぜ、余を殺す? なんの権利があってフィールナル王たる余を殺すと言うのだ?」

 「きさまは我が始祖ラベルナの仇敵、アルフレッドの末だ」

 「だ、だからか、だから殺すと言うのか? 理不尽りふじんではないか、不条理ふじょうりではないか。余はアルフレッドなどとはなんの関係もない。ラベルナなど見たこともない。先祖の罪を余にぶつけるなど許されんぞ」

 「ふがいない」

 「な、なに……?」

 「王としての矜持きょうじ欠片かけらもないか。なるほど。きさまはたしかに話に聞いたアルフレッドの末裔まつえいだな」

 クイルナーンは剣を手にした腕を振るった。

 「我が始祖ラベルナが愛した祖国フィールナル。そのフィールナルをここまで荒れるに任せたその罪、生命いのちをもってつぐなえ!」

 新しき王の剣が、古き王の首をはね飛ばした。

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