一〇の扉 卑怯者の証明
その日も地下牢では
すべては、ラベルナの心を折り、
そうして、悪役に仕立て、王家の、と言うより、現国王アルフレッドの失政をごまかすため。
ただ、その目的のためだけにひとりの女性を苦しませつづける。
常人であればとうてい神経のもたないその作業を嬉々として行う。それが、地下牢を守る
その人間たちの手によってラベルナはいま、地下牢の天井から吊されていた。頭上に掲げられた両手首に縄をかけられ、天井から吊されている。もちろん、足は床に届いていない。完全に空中に吊りさげられている。
全体重が縄のかかる手首にかかっている。
自分自身の重みによって縄が手首に食い込んでいく。
痛い。
手首がちぎれそうだ。
血管が締め付けられ、手首から先はすでに青黒くなっている。
このまま吊されていれはいずれ完全に血の流れが止まり、手首から先は腐り果て、体の重みで千切れてしまうだろう。
それだけでも充分に苦しい。
しかし、もちろん、『責め苦』であるからにはそれだけてはない。
ラベルナは一糸まとわぬ姿にされていた。
身を守る薄物一枚なく、婚約者であるアルフォンスにさえ見せたことのない裸体をさらされている。
目を背けたくなる姿ではあった。
『大理石のよう』と讃えられた肌は荒れ果て、カサカサになっている。
女性らしい適度な肉付きをもっていた体はやせ衰え、肋骨が浮き出ている。
もはや、皮と骨だけ。
そう言ってもいい体付きになっている。
すべては劣悪な環境と連日の責め苦によるもの。かつてのラベルナ、強靱な意志と知性を示し、光り輝くように魅力的だった貴族令嬢としての姿を知るものが見れば、涙を流さずにはいられなかっただろう。それでも――。
かつての美しさの面影は残っていた。
そして、何より。その強靱な意志と知性の輝きはまったく衰えていなかったのだ。
「……女ひとりによってたかってこんな扱いをして、しかも、それを楽しむとは。あなたたちには人の心というものがないのですか?」
全裸で吊されながらなお、ラベルナはまわりに立つ獄吏たちに向かってそう言い放った。獄吏たちはいずれも体格だけは立派だ。体重にしてラベルナの倍以上は優にある男たちばかり。そんな男たちを相手に、しかも、全裸で吊された状態でありながら、それだけのことを言ってのける。
その気丈さには敬意を感じずにはいられなかっただろう。
まともな人間ならば。
あいにく、この場にいる男たちはそうではなかった。だからこそ、この場で、この役割を与えられているのだ。
獄吏のひとりがニタニタ笑いながら答えた。
「あいにく、おれたちゃあ、そういう人間だから獄吏として雇われてるのさ。いい子ぶって意見なんざしても無駄だぜ」
「そうですか。よくわかりました。あなたたちを人間と思うのがまちがい。そういうことですね」
ゲラゲラゲラゲラ。
ラベルナの言葉に――。
獄吏たちが一斉に下品な笑い声を立てた。
ラベルナの言葉など、この堕ちるところまで堕ちた人間たちにとっては笑い話でしかない。獄吏たちはニタニタと笑いながらラベルナの裸体をねめ回す。幾つもの視線がむき出しの肌を刺す。ラベルナは家門の矜持に懸けて平静を保とうとしていたが、幾つもの視線で裸体を見つめられては怒りと恥辱のあまり頬が赤くなるのはどうしようもなかった。
「傷ひとつ付けるでないぞ」
国王アルフレッドからはそう厳命されている。
例え、自白させることができたとしても、その体に傷など付いていては拷問によって自白を引き出したと疑われてしまう。そうなっては意味がない。一切の傷を付けることなく心を折り、自白を引き出さなくてはならない。
傷つけてはならないなどむずかしい……かと言うと、そんなことは全然なかった。人類の長い残虐の歴史のなかで生み出されてきた拷問術の数々。そのなかには傷つけることなく苦しめつづける方法はいくらでもあったし、獄吏たちはその術を知り尽くしていた。
こうして、集団でねめつけるのもそのひとつ。
ひたすらに
水攻めもした。
眠らせないようにもした。
耳元で不快な音をたてつづけもした。
無意味で単調な作業に延々と従事させもした。
そのすべてが、その身に傷ひとつ付けることなく精神を弱らせ、心を折るための拷問術。
そして、いま、新しい拷問が行われていた。
貴族令嬢の玉の肌を
何人もの獄吏たちが交代でくすぐり、日がな一日かゆみを与えつづけているのだ。
この羽箒には特殊な薬品が塗られており、かゆみを増幅させるようにできている。
『くすぐる』という語感から勘違いしてはならない。これは、そんなかわいいものではない。恐ろしい拷問なのだ。
人間は痛みには耐えられるが、かゆみには耐えられない。そう言う風にできている。皮膚病にかかり、ひどいかゆみに襲われた人間は、そのかゆみに耐えきれずに全身をかきむしり、皮膚がボロボロにむしられ、血だるまになるまでかきむしりつづける。
皮膚がこそげ、血の吹き出る痛みよりもなお、かゆみは苦しいものなのだ。
そのかゆみを与えつづける拷問は体を傷つけることなく苦しみを与え、心を折るためのきわめて効果的な方法だった。
そして、この日。
その『担当』に新たにひとりの人間が加わった。
国王アルフレッドその人である。
アルフレッドは地下牢には似つかわしくないファー付きの王者のマントをまとってやってくると、獄吏の手から羽箒を受け取り、自らラベルナの体をなで回しはじめた。
ラベルナは
――苦痛を見せて楽しませてなどやるものか。
そう思っているのだが刺激に体が反応してしまうのはどうしようもない。
アルフレッドはニタニタと獄吏たちに劣らずいやらしい笑いを浮かべながら、そんなラベルナをねめ回していた。もちろん、その間も手にした羽箒でラベルナの体を責めつづけることは忘れない。
アルフレッドはすっかりやせ衰えたラベルナの姿を見てわざとらしく溜め息をついた。
「はああ。なんとも無残な姿だのう、ラベルナよ。かつての輝くような令嬢であったそなたの面影はどこにもない」
「……誰がそうしたのですか」
ようやくのことで呼吸を整えてラベルナはそう言い返した。
目には涙が溜まっていたが、強靱な意志と知性の光はくもってはいない。
「おお、そうそう。余が命じたのだったな。忘れておったわ」
と、アルフレッドが愉快そうに笑った。
その態度には卑怯者特有の、自分の絶対的な優位と安全を確信したときのいやらしい
「さて、ラベルナよ。いまだに己の罪を自白する気にはならんのか?」
「わたしは何の罪も犯してはおりません。何を自白する必要があると言うのです」
「自白さえすれば解放されるのだぞ? 追放とはなるが、その先での暮らしに不自由はさせん。こっそり、援助はしてやる。なのになぜ、そこまで拒む?」
「カーディナル家の
「ほうほう、カーディナル家の矜持か」
ニタリ、と、アルフレッドはその肩書きにはあまりにも似つかわしくない
「カーディナル家の矜持とはこのような無残な姿をさらすことか? 仮にも貴族の娘がこのような姿をさらして恥ずかしくはないのか? そなたの自慢の祖先たちとやらもさぞかし、恥じておろうに」
「なぜ、わたしが恥など感じなくてはならないのです」
「なんだと?」
「わたしはいま、家門の矜持を守るために戦っているのです。そのためのこの姿。ならば、この姿はわたしにとって誇りでこそあれ、恥などではありません。我が祖霊たちもわたしの姿を見て誇りに思いこそすれ、恥じたりするはずがありません。あなたのように、名誉も矜持ももたぬ恥知らずにはわからないでしょうが」
「な、なんだと……?」
「恥知らずのあなたに教えてあげましょう。『恥』とはあなたのことを言うのです。『恥ずかしい』とはあなたの振る舞いを言うのです。『祖霊たちが恥じる』とは、あなたのような人間のことを言うのです! 国王の身でありながら国民の幸福などはいささかも考えずに遊興にふけり、無謀な戦を仕掛ける。それに敗北するとすべての責任を女ひとりに押しつけ、責任逃れしようとする。それこそまさに恥ずかしい振る舞い、恥そのもの。そのことをお知りなさい!」
「な、ななななな……」
心当たりのあることを言われて耳が痛い……わけではまったくない。そんな、まともな人間らしい心など持ち合わせてはいない。ただ単に自分の絶対優位を確信していたというのに無力なはずの相手から苛烈な反撃を受けてうろたえただけのことである。
「こ、こここここの生意気な小娘めが! 国王に向かって何と言う
「『国王』を名乗るのは国王らしく振る舞ってからになさい! 『侮辱』とは事実に
「こ、この小娘えっ!」
アルフレッドが頬を真っ赤にして怒鳴った。
それが恥ずかしさのためであればまだ救いもあったかも知れない。しかし、それは恥ずかしさのためではなく、怒りのためだった。発作的に
それを見た獄吏たちがあわてて止めに入った。アルフレッドの腕を押さえつけ、取り押さえる。このまま鞭を振るえばラベルナの体に傷が付いてしまう。そうなれば、罪を着せるための役に立たなくなる。
そんなことになれば責められるのは自分たちだ。自身が傷つけたことなど忘れて自分たちのせいにして罪を問うに決まっているのだ、この国王は。
それを知るだけに獄吏たちは必死になって止めに入った。
獄吏たちに止められてアルフレッドもようやくのことで落ち着きを取り戻した。ラベルナの身を傷つけるわけには行かないことを思い出した。
「ふううううう……。し、仕方がない。そなたの体は大切だからな。今日のところは勘弁しておいてやろう。だが! 忘れるな。余は国王だ。きさまなどいつでも、どうにでもできる立場なのだと言うことをな!」
アルフレッドはそう捨て台詞を残すとドカドカと足音高く去って行った。
獄吏たちは
アルフレッドは怒りのあまり、必要以上に高く足音を立てて地上への階段をのぼっていく。この地下世界よりもかの
「ううう、あの生意気な娘め。頑固な娘め。自白すれば悪いようにはせんと言ってやっているものを。王家の恩を忘れおって」
自分勝手な怒りに我を忘れていたが、しばらくすると冷静さを取り戻した。
ニヤリ、と、一際、邪悪な笑みが浮かんだ。
「きさまがそうならこちらにも考えがある。奥の手を使ってやるわ」
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