六の扉 カーディナル家は死なず
カーディナル家の屋敷は
門はひしゃげ、庭は掘り返され、柱は折られている。
壁は崩されているし、床は引っぺがされている。天井にさえ穴が空いている。
もはや、家と言うより家の
そう言った方が近いありさまだった。無傷の部分が大貴族の屋敷らしく
空き家を荒らす強盗に襲われた家だってここまでひどいことになりはしない。
どう考えても任務外の行いだったが。
屋敷の一角には黒く焼け焦げた場所まであった。
兵士たちの一部が帰り際『汚れた毒を浄化する』などと称して火を付けていったのだ。使用人の一団があわてて消し止めたのでボヤですんだが、使用人たちの受けた心理的な衝撃は計り知れないものだった。
初老の執事グルック。
厳格なハウスキーパー、シュレッサ。
大柄なコック、サマンサ。
次期執事と目される若きフットマン、サーブ。
いつも陽気な
偏屈だが腕の良い
まだ一二歳になったばかりのボーイの少年、ルークス。
無傷のものはひとりもいない。皆、どこかしら怪我を負っていた。兵士たちの
サーブにいたっては折れた腕を間に合わせの布で吊っている。まだ若く、体力のあるかの人はとくに
「……カーディナル家もこれで終わりか」
執事のグルックが呟いた。
一〇歳のときに見習いのボーイとして
その他の使用人たちもグルックの言葉にうなずくかのようにうなだれている。
いつも陽気で、口さえ開けばジョークばかり。グルックやシュレッサからは『カーディナル家の使用人なのだから
単に兵士に荒らされたという、それだけのことならここまで落ち込むこともなかっただろう。カーディナル家の使用人たちを絶望させたのは、それよりもむしろ町の人々の態度だった。
兵士たちによって屋敷を荒らされ、殴り飛ばされる。
その姿を目撃しても町の人々は怒りの表情ひとつ見せようとはしなかった。それどころか、関わり合いになりたくないとばかりに屋敷の前を足早に通り過ぎ、なかには唾を吐きかけていくものまでいる始末。
人は理不尽を嫌う。
善人が幸福になり、悪人が報いを受ける世界を望む。
善人が不幸になり、悪人がのうのうと生き続ける。
そんな世界は望まない。
ひどいことをした人間はひどい目に遭って欲しい。
そう望む。
その望みの行く就くところ『ひどい目に遭うのは、ひどいことをしてきたからだ』という発想の逆転が起こる。何も悪いことをしていない人間が理不尽なひどい目に遭うことが耐えられないために。
その心理の行き着くところ、町の人々は、
『兵士たちがあそこまでやるなんて、相当に悪いことをしていたにちがいない』
そう信じた。
そう信じることで世の理不尽さから目をそらした。
そして、もちろん、兵士たちはその効果を狙ってカーディナル家を手ひどく痛めつけたのだ。国王アルフレッドの指示によって。
町の人々、これまで親しく交流をもち、薬師として心身を守るなかで感謝し、敬愛してくれた町の人々。その人々でさえいまやカーディナル家が毒物を用いて王家を操った極悪非道の一族だと信じている。
その現実が、忠実な執事をして言わしめたのだ。
『カーディナル家もこれで終わりか』と。
その言葉に言い返すものは誰もいなかった。いないと思われた。だが――。
「何を言ってるんですか!」
甲高い声が響いた。
集中した視線の先にいたのは私服姿のまだ一〇代の少女だった。
制服を着込んでいない使用人。それは、女主人に付き従う侍女の立場にあることを示していた。
侍女メリッサ。
三年前、ラベルナの両親が死亡し、ラベルナが当主の地位を継いだ。その際、大貴族とのつながりを望んだ下級貴族の父の計らいで、ラベルナ付きの侍女として屋敷に仕えることになった。幸い、ラベルナにも気に入られ、以来、女主人の側を離れることなく付き従ってきた。
ラベルナが地下牢に幽閉されたと聞いたときには単身、王宮の飛び込み、
「自分はラベルナさま付きの侍女です! ラベルナさまが地下牢に幽閉されるというならわたしもお供します!」と主張した。
その後、
「わたしはラベルナさまの侍女です!」と、断固として拒否した。
そのメリッサはいま、最愛の伴侶を亡くしたばかりのようにうなだれる他の使用人相手に
「わたしたちがあきらめてどうするんですか⁉ ラベルナさまはいま、王宮の地下牢でただおひとりで戦っていらっしゃるんですよ! ラベルナさまがご不在の間、わたしたちがカーディナル家を守らなければならないんじゃないですか!」
いまこの場にいる使用人のなかでメリッサより年下と言えば、まだ一二歳のボーイのルークスただひとりなのだが、メリッサはそんなことはお構いなしに年長の使用人たちを
「何があろうとラベルナさまは必ずお戻りになります! そのとき、お屋敷がこんなありさまだったらどんな顔でお迎えするんですか⁉ それでも、誇り高きカーディナル家の使用人ですか!」
「しかし……」
煮え切らない態度の年長者たちにメリッサは――。
キレた。
頭から湯気を噴き出し、叫んだ。
「もういいです! あなたたちはどこへなりと行ってください! カーディナル家の誇りをもたない人たちになんて用はありません。わたしはひとりでラベルナさまをお迎えします!」
メリッサはそう言うなり、あちこちに散らばる
本気でひとりで屋敷の
しかし、散らばった残骸はあまりにも多く、どれも人の背丈ほども大きい。何しろ、
それでも、メリッサは歯を食いしばって片付けをつづけた。
やがて、見ていられなくなったのだろう。フットマンのサーブが片腕を吊ったまま前に進み出た。
「貸せ。主人のためならどんな仕事でもこなすのがフットマンだ」
ボーイのルークスが飛び出した。
「そんな雑用はボーイであるおいらの仕事だ!」
いつも陽気だったコーチマンのハザブがのっそりと身を動かした。
「女子供ばかりに働かせてるわけにはいかんわな」
コックのサマンサが歩み寄った。
「やれやれ。いまどきの若い娘は腰が入ってないねえ。あたしらの若い頃はその程度の荷物、軽々と運んだもんだけどねえ」
ガーデナーのカントがいつもの農業用具を取り出し、荒らされた庭を直しはじめた。
「こんなざまじゃあ、わしの大事な温室も使い物にならなくなっちまうしな」
残るふたり、男性使用人の頂点に立つ執事のグルックと女性使用人を監督する立場にあるハウスキーパーのシュレッサは、若い同僚たちの働きをじっと眺めていた。
「……たしかに、あの娘の言うとおりだな。わしらはあくまでも使用人にすきん。しかし、カーディナル家の一員であることにちがいはない。カーディナル家の誇りは我々ももっている」
「ええ、その通りですわ。ラベルナさまを笑顔でお迎え出来ないようでは使用人の
「ふむ。どれ、久し振りに肉体労働に励むとするか」
「ご無理はなさらないでくださいよ。もうお歳なんですからね」
「何を言う。歳はとってもこのグルック、ボーイからの叩きあげ。肉体労働は手慣れたもんじゃ。お前さんこそ大丈夫なのか? 日頃、若いメイドたちに指図するばかりで自分の手を動かすことはないじゃろう」
「何を
カーディナル家は――。
いまだ死なず。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます