一八の扉 巨人族の流儀

 ラベルナとユーマはウルグズに連れられて巨人族の集落にやってきた。

 集落と言ってもフィールナルのように石造りの堅牢けんろうな建物が並んでいるわけではない。トナカイの皮革ひかくと骨とで作られた天幕てんまくが並ぶ、移動式の集落だ。

 巨人族はトナカイの遊牧ゆうぼく生業なりわいとする遊牧の民だ。トナカイの食糧となる草を求めて季節ごとに移動を繰り返す。季節を越えて同じ場所にとどまると言うことはない。

 それでも、何千という数の巨人族が一堂に会する集落の光景は圧倒的だった。

 見渡す限り平坦な草原に突然、大小様々な天幕の群れが姿を現わす。そもそも、一口に『天幕』と言ってもフィールナル人の想像するような天幕とはわけがちがう。巨人族の体型に合わせて作られたその天幕はフィールナル人から見れば文字通り『巨人の家』と言いたくなるぐらいに大きい。小柄なユーマなどひとつの天幕を前にしただけでその大きさに圧倒されてしまう。

 そんな天幕が何千と並び、さらに、その一〇倍、二〇倍、いや、それ以上の数のトナカイがあたりにはなされ、草原を埋め尽くしているのだ。どこまでもトナカイの群れが連なる光景はまさに圧巻であり、フィールナル人から見れば異界の風景と呼ぶしかないものだった。

 ウルグズはふたりを集落の中央、ひときわ大きい天幕へと連れて行った。

 それは他の天幕と比べても群を抜いて大きく、ぜいらした意匠いしょうかざりもほどこされていた。とても移動式の住居とは思えないほどの豪華さ。使われているトナカイの皮の分厚さといい、フィールナル人から見れば固定式の立派な住居としか思えない。

 そこが、言ってみれば巨人族ボルフゥクランの宮殿、族長カンデズの天幕だった。

 ウルグズは幕を開けて天幕のなかに入った。

 そこは天幕とは思えないほどに広く、高く、分厚い絨毯じゅうたんかれていた。そしてやはり、天幕のなかとは思えないほどの多くの巨人たちがいた。

 ウルグズはそのなかで堂々と胸をそびやかすと、吠えるように言った。

 「いま、戻った!」

 あまりの大声にさしもの巨大な天幕もビリビリ揺れる。

 その吠え声は巨人族の言葉で発せられたのでラベルナとユーマには理解出来ない。とは言え、この状況で語る言葉となればさっしは付く。

 「……帰ったか」

 天幕の奥に座る老人がウルグズを出迎えた。

 背は高く、堂々としており、若い頃はウルグズにも劣らない威丈夫だったと思わせる。しかし、さすがに年老いたいまでは筋肉も衰え、見上げるばかりの巨体を枯れ木のように見せていた。

 それが、巨人族ボルフゥクランの族長、ウルグズの父であるカンデズだった。

 「……あの方がウルグズどのの父親? まるで、祖父君のような年齢ですね」

 ユーマが小声で姉にささやいた。

 ユーマがそう言うのもわかる。カンデズとウルグズはフィールナル人の常識では親子とは考えられないほど歳が離れて見える。

 ラベルナは弟の疑問に答えた。

 「巨人族の族長は歳をとってもどんどん若い妻を娶り、多くの子供を成す。あとの方の子供とは孫と祖父ほど歳が離れているのは普通のことよ」

 「そう言うものですか」

 ユーマは感心したようにそう言ったが、もちろん、ラベルナも実体験として知っているわけではない。旅行者から話を聞いたり、書物を読んだりして得た知識である。

 ユーマがそのことを知らなかったのはさすがにまだ一〇歳と言うことで、その手の知識を教えるのを周囲がはばかったためだろう。フィールナルは『文化国家』を自認するだけあって性的な事柄に対する禁忌きんき意識いしきが強い。

 ジロリ、と、カンデズはラベルナとユーマをにらみ付けた。

 ラベルナはその目に、ある種の曇りがあることをはっきりと見て取った。

 「なんだ、そいつらは?」

 父の問いに息子は胸を張って答えた。

 「おれの妻だ」

 「妻だと?」

 おおっ、と、周囲からざわめきがもれた。

 ――試練の旅に出ていた若長は、妻まで見つけて帰ってきたのか。

 そう感嘆する声だった。

 「フィールナル人の女ではないか」

 カンデズは興味なさそうに言った。

 「フィールナル人の女がなんの役に立つ? ろくに子供も産めずにくたばるだけではないか」

 巨人族にとってフィールナル人の嫁は実はめずらしくはない。毎冬の襲撃の際、食糧や織物などだけではなく女も略奪して連れ帰り、妻にすることが少なくないからだ。とは言え、そんな女たちはほとんどの場合、極北の過酷な環境と巨人族との激しい行為に耐えられず、ほどなくして命を落とすのだが。

 カンデズの言葉はそのことを知り尽くしているからだった。

 ウルグズは胸をそびやかしたまま言った。

 「この女は役に立つ」

 「役に立つだと?」

 「この女は薬師くすしだ。どんな傷でも治療できる」

 どんな傷でも、というのはさすがに大げさだったが、ウルグズの受けた心証しんしょうからすればそう言い切るのも無理はない。

 「族長さま」

 「ん?」

 ラベルナが声をかけながら前に進み出た。巨人族の言葉など知らないのでフィールナル語での呼びかけである。

 カンデズがフィールナル語を解するかどうかも知らない。しかし、族長の立場にあるからには例え片言であっても通じるだろう。そう推測すおそくしての声がけである。曲がりなりにも反応したところを見るとやはり、フィールナル語を解するらしい。

 「ご無礼を承知で申しあげます。そのお目。ものが見えづらくはございませぬか?」

 「うむ……」

 「わたしにお任せくだされば治療してご覧に入れます」

 「てもらえ、親父」

 ウルグズが言った。

 「おれの妻の価値を知る良い機会だ」

 そして、ラベルナは族長の目の治療をすることになった。

 必要とする薬草を集め、せんじ、煮出した汁を煮沸しゃふつ消毒しょうどくした布に染み込ませる。その布でカンデズの目をおおう。さらに、何種類かの薬草をもんで粉にしたものを混ぜ、もぐさを作った。経絡にそっていくつかのもぐさを置き、火を付ける。ブスブスとくぐもった音を立てて煙が立ちのぼった。

 カーディナル家は薬師の家系である。とは言え、その知識は薬を処方するだけにとどまらない。はりきゅうと言った技術にも通じている。それらすべての技術を駆使し、王家と人々の身命を守ってきたのだ。

 しばらくして、もぐさが燃え尽きた。その間、何度か目を覆う布を取り替えておん湿布しっぷもつづけている。

 「まだしばらく、目をお開けになりませぬよう」

 ラベルナはそう言って閉じたまぶたの上からそっと眼球がんきゅうをもみほぐした。布に染み込ませた薬湯やくとうがまんべんなく行き渡るようにするためである。

 「さあ、どうぞ。目をお開けください」

 「……おおっ」

 カンデズは思わず声をあげていた。

 見える。

 はっきり見える。

 これほどはっきりとものが見えるのは一体、何年ぶりのことだろう。

 「族長さまのお目はご高齢から来るご病気によって視力を失いつつあります。放置しておけば間もなく、なにも見ることが出来なくなるでしょう。ですが、我がカーディナル家の秘伝をもってすれば治療することは可能です」

 そう言われてカンデズはよほど嬉しかったのだろう。ラベルナの薬師としての腕を褒め称ほ たたえると共に、その身をわずらう多くの臣下を呼び集めた。

 たちまちその場はラベルナにとって薬師としての腕を披露ひろうする晴れ舞台となった。

 もちろん、望むところである。ここで薬師としての腕を見せつけ、自分の価値を証明すれば、巨人族の集落でも受け入れられる。自分の居場所を作れる。カーディナルの血を残し、いつかフィールナルの大地に戻る。そのいしずえきずくことが出来るのだ。

 ラベルナは表面ばかりは静かに、内面には激しい炎を燃え立たせながら治療に当たった。

 「古傷にはこの薬草がよく効きます。毎日、お湯に溶かして飲んでください」

 「節々ふしぶしの体の痛みにはこの薬湯を。布にひたして痛む箇所においてください」

 「お母さまの血行不良により、お子に与える乳から生気が失われ、お子をやしなう力がなくなっているのです。そのためにお子はいくら乳を飲んでもよくならず、衰弱すいじゃくしていくのです。こちらの薬湯をお飲みください。血行が良くなればお子さまもすぐに回復します」

 「慢性まんせいの疲労にはこの経絡けいらくを刺激することです。鍼と灸を用いて治療いたしましょう」

 「内臓が腐るやまいです。この薬湯をお飲みください。眠りに落ちている間に治療いたします」

 薬を用いるだけではない。鍼に灸、ときには切開手術まで行って居並ぶ人々を次々と治療していく。

 さすがに巨人族相手と言うことでフィールナル人相手とは勝手がちがう。それでも、同じ人間。基本的な用法がかわるわけではない。ユーマもラベルナの助手として奮闘ふんとうした。『カーディナル家の一員として、薬師となるべく学んでいた』と言うだけのことはあった。もちろん、カーディナル家からははなれた身。代々、伝わる秘伝までは身に付けていない。それでも、一般的な薬師としては充分なだけの知識と技術をもっていた。一〇歳という年齢を考えれば驚異的きょういてきと言っていい。

 それだけの知識と技術をほとんど独学で身に付けた弟をラベルナは心から誇りに思った。

 ――この気概きがい。この気概こそカーディナル家の矜持きょうじ。この気概と矜持がある限り、カーディナル家は滅びない。必ず、フィールナルの地の戻り、名誉を回復する。

 ラベルナはそう確信した。

 やがて、居並ぶ全員の治療が終わった。さすがに疲労ひろう困憊こんぱいしていた。それでも、自分の技量を証明した心地よさがあった。

 ウルグズは改めて父に言った。

 「この女の価値は証明された。この女をおれの妻にすること、異論ないな?」

 「ならぬ」

 それが、カンデズの答えだった。

 ピクリ、と、ウルグズの太い眉が吊りあがった。居並ぶものたちの間からざわめきが起こった。カンデズはつづけて言った。

 「その女はわしの妻とする」

 「なに?」

 「わしの新しい妻として迎え、わしの子を産ませる。その子をわしの跡継ぎとする」

 カンデズはそう言うが早いか居並ぶ衛兵に指令を下そうとした。いまや邪魔者となったウルグズを殺させようというのだ。だが――。

 ウルグズの方が早かった。

 見上げるばかりの巨体が、まるで体重のないもののように移動する。一瞬で父の前に詰め寄った。樫の木のような太くてたくましい腕が伸び、父の首をつかんだ。そのまま、小枝でもへし折るように父の首をへし折った。奇妙な角度に首の曲がった死体を玉座から放り出す。

 「これで、おれが族長だ」

 ウルグズは言った。

 居並ぶものたちに視線を向けた。

 「異議があるものはいるか? いるなら実力をもって異議を唱えよ」

 バッ、と、音を立ててその場にいる全員がひざまづいた。

 もとより、試練の旅から帰った以上、次の族長となることは決まっていた。歳老いて力を失ったカンデズよりも、若くて強いウルグズの方が族長としてふさわしいのも道理。ウルグズが前族長を殺し、自らの力で族長の地位を手に入れた以上、異議を唱える理由など誰にもなかった。

 ウルグズはラベルナの前に立った。

 うむを言わさぬ声で宣言した。

 「お前をおれの妻とする。お前のことは決してはなさん」

 ラベルナは見上げるばかりの巨人の前でひざまづいた。

 「つつしんでお受けいたします」

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