一七の扉 内戦への道

 「お大事になさってください」

 受付を務めるメリッサはにこやかな笑みをたたえて患者を送り出した。

 王都の外れにある住宅地。貧民街と言うほどではないが、上流階級の集まるほどの場所でもない。そんな場所。

 そこにあるこじんまりとした小さな家。かつてのカーディナル家の屋敷と比べれば猫の額ほどの小さな家。しかし、もとカーディナル家の使用人たちはそこに集まり、私設しせつ医療院いりょういんを開いて活動をつづけていた。

 もと使用人、というのは適切ではないだろう。この家に集まった人々は皆、いまでも自分のことを『カーディナル家の使用人』と任じ、カーディナル家の誇りを守るために医療活動に従事じゅうじしているのだから。

 仮にも国王直々にお取りつぶしになった家ということでさすがに、そう大っぴらに活動するわけにもいかないが、地下にこもっているわけでもない。門には小さいなりにカーディナル家の旗が隠すことなくはためいている。

 お目こぼしと言うよりも、単に忘れられていると言うべきだろう。国王アルフレッドはカーディナル家を取りつぶし、財産を没収しただけで満足し、使用人たちがその後、どう暮らしているかなどと言うことにはまるで関心がなかった。おかげでメリッサたちカーディナル家の使用人はいまもカーディナル家の旗をかかげ、活動をつづけていられるのである。

 扉にかけられた来客を告げるためのベルが鳴った。

 扉が開き、大荷物を抱えた長身ちょうしん痩躯そうくの若者が入ってきた。

 フットマンのサーブが買い出しから帰ってきたのだ。

 大量の荷物を両手に抱え、前が見えているかどうかもわからない様子で入ってくる。

 「サーブ! なにもそんなにまとめて買ってこなくても……」

 メリッサがあわてて駆けつけ、荷物のいくつかを引き受ける。ようやく、まともに前が見えるようになったサーブが一息ついた。

 「そんなことを言っていられる場合じゃない。王都はどんどん品薄になっているんだ。買えるときに買っておかないと、なにも手に入らなくなる」

 「それはそうかも知れないけど……」

 メリッサはちょっとふくれっ面をして見せた。

 せっかく心配してあげているのに、感謝ひとつして見せないなんて可愛くない。

 そう思う。

 「まあまあ、メリッサ。せっかく買ってきてくれたんだ。いいじゃないか」

 元コック、いまでは入院患者のための食事を担当しているサマンサがいかにも『お袋さん』と言った感じの陽気な声をあげた。ニコニコとサーブを出迎えた。

 「ご苦労さん、サーブ。まずはお茶でも飲んで一息、入れな。ほら、メリッサも」

 「……はい」

 『お袋さん』にそう言われては逆らえるはずもない。メリッサも受け付けの仕事を元ボーイのルークスに任せ、一時、休憩することにした。

 部屋の一部をついたてで仕切っただけの簡単な休憩室でメリッサとサーブは芳香を放つお茶を飲みはじめた。

 王都は品が少なくなっているだけではない。質もどんどん悪くなっている。このお茶にしても、かつてカーディナル家の屋敷で飲んでいた茶葉に比べればずいぶんと落ちる。

 混ぜ物がしていないだけまし。

 そう言う茶葉だ。

 それでも、サマンサが熟練じゅくれんの腕でれてくれただけあってやはり、おいしい。芳香ほうこうを放つお茶を飲みながらしかし、話題となるのはやはり、いまのこの国の状況だった。

 「……国王は王太子を処刑されたそうね」

 「ああ。ラベルナさまを生け贄い にえの羊に仕立てあげ、急場しのぎをしたと思ったら、今度は息子まで。ラベルナさまを裏切って国王に従ったあの卑怯者に同情してやる気などないが、国王のやり口には腹が立つ。なにより、気に入らないのは、こんな手が二度も通じると思っているところだ」

 「サーブ……」

 語るほどに激しさをまし、敵意をむき出しにするサーブの態度にメリッサは不安げな表情を見せた。

 サーブはフットマン。従僕じゅうぼくである。女性使用人のメイドに対応する役職なのだが、メイドが専門分野ごとに細かく区別されているのとちがい、フットマンは主人のためにありとあらゆる仕事をこなす。

 『フットマンの仕事を説明しようとしても無駄。その場その場でやることがちがうのだから』

 そう言われるほどだ。

 基本的には主人の外出に同行し、道中の安全を確保し、主人の身を守るのが役目である。そのために常に、『カトラス』という湾曲わんきょくした剣を身に付けている。

 しかし、それ以外にも、情報の伝達や荷物の配送と言った役目もある。そのために『ランニング・フットマン』という呼び方もある。その役目上、若くて体力の優れた男子がその任につく。また、執事直属の使用人であり、執事見習いとも言うべき立場でもある。ボーイからはじまり、フットマンとして経験と実績を積み、ようやく執事への道が開かれるのである。

 サーブもごく少年の頃からボーイとしてカーディナル家に仕えてきた。長じてフットマンへと昇格し、現在の執事であるグルックが引退したあとはその跡を継いで執事となる……はずだった。国王の奸計によってカーディナル家が取りつぶしになったりさえしなければ。

 サーブがどれほど自分の立場に誇りを抱いていたか。

 どれほど、執事となる日を楽しみにしていたか。

 メリッサはそのことを知っている。知っているだけにいまのサーブの態度には不安を禁じ得なかった。

 サーブはメリッサのそんな思いを知ってか知らずか、言葉をつづけた。

 「民衆だって馬鹿ではない。二度も同じ手で騙されるものか。実際、王太子の処刑以後、他人を犠牲にしてごまかそうとする国王の手法に怒りの声が高まっている。臨界点りんかいてんに達するのももうじきだ。今度こそ、民衆は立ちあがるんだ。その時が迫ってきている」

 「……サーブ」

 低く、その奥底にマグマが脈動みゃくどうしているようなしゃべり方をするサーブを前にメリッサは不安げな声をあげた。

 「サーブ。最近のあなたを見ているととても怖い気がすることがあるわ。いまにも、剣を手に王宮に乗り込んでいきそうな……」

 「メリッサ」

 サーブは真剣な目で元侍女の少女を見つめた。

 「わかっているだろう。国王アルフレッドはラベルナさまとユーマさまを追放し、カーディナル家を取りつぶした。おれたちからすべてを奪い、名誉までも傷つけた怨敵おんてきだ。カーディナルの名にかけてやつをそのままにしておくわけにはいかない」

 「サーブ。お願い、無茶はしないで。あたしたちのすべきことは戦うことではないわ。このフィールナルの地に根を張って生き抜き、カーディナルの誇りを守り、いつか帰ってくるカーディナルの血を迎えることよ」

 「わかっているさ、メリッサ」

 サーブはそっと立ちあがると少女の頬にやさしく手を置き、そのなめらかな額に口づけした。

 「無茶はしないさ。君のためにもね」


 王宮は連日の大騒ぎだった。

 国王アルフレッドは息子である王太子アルフォンスにすべての責任を押しつけ、処刑することで人心は自分のもとに戻ってくるものだと思っていた。国王としてうやまわれ、従われるものだと。

 しかし、サーブの言ったとおり、国民も二度も同じ手にだまされるほど愚かではなかった。国王を敬うどころか、他人を犠牲にして自分の責任をごまかそうとするそのやり方に対する怒りは深まるばかり。毎日まいにち王国のどこかで民衆が抗議を行い、暴動を起こし、軍との小競り合こぜ あいが勃発ぼっぱつする。

 王宮にたむろする貴族の家が襲撃されることさえあった。

 高まる緊張と国が崩壊していく予感に廷臣たちは震えあがっていた。連日、国王アルフレッドのもとを訪れ、対策を乞うた。アルフレッドの答えはいつも同じ。

 「ええい、やかましい! じっくり賭け事を楽しむこともできんではないか」

 この期に及んでもアルフレッドの遊興ゆうきょうへきは一向に治ることはなかった。

 国王として政務をろうとする振りすら見せず、相変わらずいかがわしい仲間たちと付き合い、いかがわしい店に出入りしている。

 この状況でもぶれることなく自分をつらぬいているのはいっそ、あっぱれだったかも知れない。しかし、側近である廷臣たちにとってはたまったものではない。

 アルフレッドに忠誠を誓っているつもりなどさらさらない。もし、アルフレッドの首を差し出して、それで助かるというなら喜んでそうする。しかし、何しろ、廷臣として長らく務め、民衆を押さえつけてきた側の人間たちだ。いまさら、民衆の側に付こうとしても許してもらえるとは思えなかった。民衆の怒りが増せばますほど生き残るために国王に付き従い、何とかしてもらうしかないのだ。

 ――自分が生き残るためには、国王にしっかりしてもらわなければならないと言うのに。あの遊び人めが!

 自分の身を守りたいなら、自分自身で何らかの手を打てばいいものを、それができるだけの気概も能力もない、位が高いだけの廷臣たちは利己的な怒りにかられ、連日、アルフレッドのもとへと詰めかけた。とうとうアルフレッドは堪忍かんにんぶくろが切れた。

 「ええい、やかましい! そんなに気になるならさっさと軍隊を動かして鎮圧ちんあつせんか。なんのために軍隊だ」

 実はそれこそ廷臣たちの求めていた言葉だった。

 国王の許しが出たと言うことでさっそく軍を派遣し、力ずくで民衆を押さえ込む挙に出た。鎧をまとい、剣や槍を手にした軍隊が町中を練り歩き、家々に押し入り、家捜しし、人を捕え、ときには殺しさえする。

 そんな風景が当たり前になっていった。

 そして、ある日、カーディナル家の使用人たちが私設医療院を開いている地域にも軍隊がやってきた。

 鎧姿の男たちは明らかに酒に酔っていた。

 この『食うために軍に入った』ゴロツキ同然の兵士たちにとってこの任務は、仕事にかこつけて好きなだけ民衆にたかり、乱暴らんぼう狼藉ろうぜきを働くことの出来る格好の楽しみだった。

 この日も男たちがある家に押し入り、一〇代の娘ふたりを引っ張り出した。娘を守ろうとして抵抗した両親はその場で斬り殺された。泣き叫ぶ娘たちを前に兵士たちは下卑げびた笑みを浮かべていた。

 「へっへっ、見たか、おい。こいつら、王国の兵士さまであるおれっちたちに歯向かったぜ」

 「ああ、立派な反逆者だ。殺されて当然。となれば、反逆者の娘も反逆者ってことだよなあ」

 「おお、その疑いは当然あるな。こいつあ、たっぷりと調べなけりゃあならねえよなあ」

 兵士たちは泣き叫ぶ少女たちを無理やり連れて行こうとする。

 少女たちが連れて行かれた先でどんな目に遭うか。

 それは誰の目にも明らかだった。

 そのとき――。

 白銀の閃光が走った。

 カトラスが一閃し、ひとりの兵士の喉元を貫いた。

 何が起きたかのかわからずうろたえる兵士たちの前。

 そこにひとりの男が立っていた。

 端整な顔立ち。

 均整の取れた長身。

 上品な立ち居振る舞い。

 右手には一振りのカトラス。

 その刃にはたったいま手にかけたばかりの兵士の血が付いている。

 サーブ。

 カーディナル家のフットマン、サーブがそこにいた。

 「て、てめえ……!」

 ようやく事態を悟った兵士たちがサーブに殺到する。しかし――。

 サーブの剣技は一流だった。いついかなるときも主人を守れる執事となれるよう、幼少の頃から徹底して鍛えあげてきたのだ。

 以前、王国兵によって負傷させられたのは、王国兵を傷つけて反逆者と呼ばれるわけには行かなかったため。そんなかせを外し、覚悟を決めてしまえば、訓練もろくにこなさず酒ばかり飲んでいるゴロツキ同然の兵士たちなど敵になるはずもなかった。

 たちまちのうちにカトラスの一撃で兵士たちを斬り倒し、少女たちを救い出した。

 サーブはカトラスを手に叫んだ。

 「立ちあがれ、民衆よ! 国王の軍が我々を殺しに来る! 我々の大切な妻を、娘を、恋人を! さらい、犯しにやってくる! かかる非道を許すな、我々の大切な人は我々自身の手で守るのだ!」

 その言葉に対して返ってきたのは沈黙だった。しかし――。

 それは、無視でも、怯懦きょうだでもなかった。

 魂の奥深くから沸き起こる灼熱しゃくねつのマグマ。

 そのマグマが吹きあがり、暴れ出す、その寸前の静けさだった。

 おおおっー!

 爆発した。

 民衆の怒りが。

 すでに臨界点に達しており、いつ爆発してもおかしくなかった怒り。それが、兵士たちの狼藉ろうぜきを目の当たりにし、さらに、サーブの檄を受けたことでついに爆発したのだ。

 男たちは手にてに武器を取り、自分たちの町に侵入してきた兵士たちに襲いかかった。

 ここについに民衆と軍隊の本格的な衝突が起こったのだ。


 そして、その同じ頃。

 遙か北の地で決定的な出来事が起こった。

 カウロン領に接する広大な領地をもつザクセンスク辺境伯。

 その場所柄、北方の巨人族の襲撃からフィールナルを守る立場にいるこの北方の雄が、自分たちの被害を顧みない中央の態度にごうやし、フィールナル王国から離反。

 巨人族と同盟を組み、フィールナル王家打倒の軍をあげたのである。

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