第3話 お迎えに上がりました

突然、背後から掛けられた声に、俺は驚いて振り返った。自分の演技に熱中するあまり、足音に気が付かなかったのだ。


「いつまでもぐずぐず泣いてんじゃねえ!」


 振り向いた瞬間、腹部に強烈な衝撃を感じ、おれは十字架の台座まで吹き飛んだ。


「ぐぼあっ!」

 

 おれは痛むお腹を押さえて、顔を上げた。そこには、右足を上げた、メイド服を着た小柄な少女が立っている。どうやら、彼女の放った蹴りにより、俺は吹き飛ばれたらしい。


「おら、迎えにきてやったんだから、さっさと帰るぞ」

 そう言うと、彼女はおれに近寄り、衣服を引っ張って強引に立たせた。


(なんだ、この子……)

 思った瞬間、今度は彼女の手が、俺の顔を目がけて振り上げられた。


(殴られる!)

 そう思った俺は、とっさに歯を食いしばり、顔を出来るだけ後ろに反らした。

 

 しかし、訪れたのは痛みではなく、ふわりと優しい感触であった。

 どうやら、彼女はおれの目を拭ってくれいてるらしい。カラカラに乾いた、おれの目を。

 

 俺の顔に手を伸ばす彼女との距離は、非常に近かった。潤んだ大きな瞳が俺を見上げ、美しい黒髪から甘い匂いがし、首筋に暖かい吐息がかかる。そして、小柄な割に豊かな胸が、おれの胸と腹の間に、柔らかにふれる。

 

 先ほど受けた腹部への蹴り以上の衝撃が、おれの股間を襲った。


「あ、あの……」

「チッ!嘘泣きかよ」

 そう言って、彼女は俺の脛を蹴り飛ばした。


「いってえ!」

 あまりの痛さに、俺はその場で再びうずくまる。


「寒いから、さっさと帰えんぞ」

 彼女は振り返り、丘から街へ続く林の中へと歩き出した。


(暴力的すぎるだろ!でも、家を探す手間は省けたか……)

 俺はそう思い、痛む足を引きずって、彼女の後に従った。

 

 棺を運んだときはまだ日が高く、人が大勢いたため、森の中を歩くことに不安はなかった。しかし、夜の森は、星明かりも届かず、目が慣れなければ五メートル先も見えないほど暗い。

 

 そんな中、彼女はまったく躊躇することなく、暗闇の中を進んでいく。

 はぐれないように、俺は必死に彼女の後ろに続いた。


  彼女のメイド服は透けてはいなかったが、服の後ろが大きくひらき、背中が丸見えであった。


 今まで、俺は男子高校生らしく、女性の胸やお尻ばかりに興味をひかれていた。

しかし、暗闇に浮かび上がるような、彼女の白くて細い首や、薄い背中の中心に浮きでるスジ、そして小さな肩甲骨に、急激に女性らしさを感じはじめ、彼女との距離を、ぎりぎりまで詰めていった。


(夢ではないにしろ、ここは明らかに現実の世界じゃないんだ。こんな暗い森で美女と二人きり、何もしなくていいのか?俺のやる気スイッチは、どこにある?)

 次第に暗闇に対する緊張がとけてくると、脳がこの状況を、男らしく解釈しはじめた。

 

 彼女は、暴力的ではあるが、どうやらメイドらしい。

 ここで、もし彼女を後ろから抱きしめても、なにか問題があるだろうか?


 俺が読んだ漫画や小説では、メイドは百パーセント、全身でご主人さまにご奉仕をしていた。


(そうだ、これはきっと、神が与えてくれたチャンスだ)

 

 どうして俺は、まったく知らない世界で目覚めたのか、その理由がわかった。

 

 後ろから俺に抱きしめられた彼女は、

(ご奉仕いたします、ご主人様……)

 そう言って、先程のように、潤んだ瞳で俺をみつめるはず。


 そう想像すると、下半身に違和感を感じる。俺のやる気スイッチが入った。


 もしかしたら、現実の世界に突然、引き戻されてしまうかも知れない。今しかない。チャンスの神様には、前髪しかないという。後になって掴むことはできない。

 

 俺は意を決し、背筋を伸ばすと、両腕を開いた。

 そして、目の前の華奢な肩に、手を伸ばそうとする。

 

 しかし、動かない。俺の両腕は、緊張のあまりブルブルと震え、左右に開いたまま動かなかった。


(くそ!このチキン野郎が!)

 

 俺は自分を罵る。林を抜ける前に、なんとかこの手で、彼女を抱きしめなくてはならないのに、あと一歩の勇気が、振り絞れない。


(動け、動け、動け、いま動かなかった、何にもならないんだ!だから、動いてよ!)


 俺が心の中で叫び続けていると、奇跡が起こった。


 突然、彼女が振り返り、俺の胸に飛び込んできたのだ。

(奇跡か!?チェリーの神様、ありがとう!)

 

 予想外の展開に、俺の両手の震えは止まった。あとは、彼女を抱きしめるだけだ。

 

 自由になった両腕を振り下ろしたとき、強烈な衝撃によって、俺は弾き飛ばされた。

 

 体は地面を3,4回転し、逆さまになった視界で、彼女の方を見る。


「下がってろ」

 そう言うと、彼女は前方の闇に眼を向けた。

 

 どうやら俺は彼女に突き飛ばされたらしい。俺のスイッチは切れ、チェリーの神は死んだ。


「グルウウウウウ」

 彼女が視線を向ける闇から、低く唸る声がする。


「な、なんだ?もしかして狼?」

 俺は逆さまになった自分の体を戻すと、緊張で正座した。


「おそらく、カプカプだな」

「な、なんだよ、カプカプって?すごい唸り声だぞ?」

 彼女の答えを聞く前に、カプカプは暗闇から姿を現した。


「カプカプって、ライオンのことかよ……」

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