第8話 声

  なんとか現実世界に戻らなくてはならないのだろうが、全く方法が思い浮かばない。

 

 そして、慣れないことに疲れ果てた体は、すぐに思考をやめ、眠りについてしまった。


「やべ!」

 

 突然の尿意に、俺はベットの上で跳ね起きた。もしかしたら、本当に漏らしてしまったのではと、ベットを確かめる。


「よかった、漏れてない……」

 

 目が覚めたら、現実の世界に戻っているのでは、と思っていたが、そんなことはなく、俺はさきほど眠りに就いた、天蓋付きのベットのうえで目を覚ました。


 俺はトイレに行こうと、部屋から出た。

 

 廊下に灯りはなく、暗く静まり返った長い廊下が、果てしなく続いているように見える。

 

 たしか、キアーラにお風呂に入れてもらったとき、トレイらしき部屋を見た気がする。

 

 これだけ大きな屋敷であれば、他にもトイレがあるであろうが、探している余裕もないので、俺は一階に降り、さきほど見掛けたトイレへ向かった。

 

 一階もやはり灯りはなく、暗い廊下にいくつもの部屋が並んでいる。

 歴史を感じる建物は、ただ暗いというだけで、人の恐怖心を煽ってくる。


恐る恐る廊下を進むと、一つだけドアの下から灯りが漏れている部屋を発見した。

その部屋に近ずくと、少しだけドアがあいており、中から声が聞こえる。いけないことだと思いつつも、おれは聞き耳をたててしまった。


「ああ、アウローラさま・・もう、もう」

「まだです、カエデ。ほら、腰を上げなさい」

「もう、おゆるしお……ああ、ああ!」


 中から聞こえてくる、悩ましい二人の声に、俺も孫も直立になった。


「そう。いいわよ、もっとお尻を突き出しなさい」

「ん、うん、ああああ!」

 

 カエデのひと際大きい声を聞いたとき、俺は我慢できずに、扉の隙間から中を覗こうとした。


「あ、ご主人様、また覗いている」

 

 突然背後から聞こえたあどけない声に、俺は慌てて振り向いた。


「ご主人さまなら、部屋に入っても怒られないのに、どうしていつもそこから覗いているの?」

 

 アリーチェが不思議そうに顔を傾け、こちらを見ていた。


「え?入っていいの?というか、しょっちゅう覗いてるの?」

 

 俺はドアから離れ、アリーチェに近づくと、声をひそめて話しかけた。


「うん、カエデちゃんがアウローラさまにお仕置きされていると、いつも主人様はここで覗いていたじゃない」

 

 そうか、この体の持ち主は呆けてもなお、思春期の俺と同じ行動をしていたのかと、少し感動した。


「ところで、アリーチェちゃんは、どうしてここにいるの?」

 

 窓から外を見る限り、もう時刻は深夜のはずだ。十歳ていどに見える彼女は、とっくに眠っているはずの時間だろう。


「プカプカがいなくなっちゃったの」

「プカプカ?ああ、あの空飛ぶアライブマか。でも、もう遅いから、今日は寝たほう

がいいよ。明日一緒に探してあげるから」

「ほんとう!?」

 

 アリーチェが嬉しそうにこちらを見た。


「約束だよ?ご主人様、なんでも忘れちゃうんだから」

 

 それはそうであろうと、俺は苦笑した。


「じゃあ、ご主人様、アリーチェと一緒に寝る?」

「え?」

「だって、今日はプカプカを抱っこして寝ようと思ってたのに、いなくなっちゃったんだもん。ご主人様、プカプカの代わりになって?」

 

 アリーチェは俺の服を掴み、大きな瞳で俺を見上げて、お願いしてくる。


(いやいや、いくらなんでも不味いだろ。小学校低学年くらいならまだしも、この子はそこまで幼くないし。いや、でも、老人がひ孫と一緒に寝るのと考えれば、問題ないのでは?)

 

 俺は頭の中で色々と考え、改めてアリーチェを見た。

 

 パジャマを着た彼女の胸の部分が、少しだけ膨らんでいる。


「いや、今日は色々あって疲れたから、一人で寝かせてくれ」

「えーご主人様のケチ」

 

 まさかこんな少女に自分がなにかするわけはないのだが、異世界でもあるし、万一に備えて俺は断った。

 

 じゃあ、お休みと、アリーチェの小さな頭を一度撫でて、おれは後ろ髪をひかれる思いで、説教部屋を後にした。部屋からは、カエデの悩ましい声と、カエデを責めたてるアウローラの声が続いていた。

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