第4話 一閃
闇から現れたのは、体長が5メートルはあろうかという、大型の獣だった。
暗がりでもわかる、立派なたてがみ。しかし、記憶の中のライオンより、ずいぶんと牙が大きい、巨大な頭部の半分以上が、口になっている。
カプカプは、決して獲物を逃すまいと、ジリジリと間合いを詰めてくる。
俺は震える足で立ち上がると、前に立つ彼女へと向かって、足を踏み出した。
(いくら主人に尽くすのがメイドの仕事とはいえ、女の子を自分に盾にすることはできない)
心のなかで、呟いた。
あんな大型の猛獣にカプカプされたら、ひとたまりもないだろう。それでも、彼女を逃がすことができるなら、本望だ。
俺は逃げることなく、自分を盾にして、彼女を救う決心をした。
カプカプが少しずつ間合いを詰めるのより、少し遅いくらいの速さで、俺は彼女に近寄る。
そうだ、彼女にかけるセリフは何にしようか?
(ここは俺に任せて、逃げろ)
地味過ぎるか。
(君の中で、俺は生き続ける)
ちょっと気持ち悪いか?
(俺は伝説の戦士、長友明弘!愛より産まれ、修羅を生き、義によって死す!さあ、参れ!)
まあまあかな。
少しずつ、少しずつ近づていったのに、気がつけばもう、彼女の背中は目の前であった。
ストレートで美しい黒髪。
先程は、いやらしいことを考えて、彼女の後ろに立ったが、今は違う。
彼女を救えるのは、俺だけだ。
もう、十数えたら、彼女の肩を掴み、逃げろと伝えよう。
別にビビッているわけではないが、人生最後の十秒間だ、なるべく、ゆっくり数えよう。
(十、九、八、七、六、五、……シックス、セブン……なに?途中からカウントアップしただと?俺の知らない、この世界の法則なのか?)
不思議な現象に首をかしげ、もう一度、始めから数えなおそうとしたとき、一瞬、彼女の髪が俺の鼻さきにふれた。
鼻をくすぐる感触に、ビクっとした俺が顔を上げると、闇夜に一筋の閃光が走るのが見え、ドスン!という音と共に、俺の目の前に何かが転がった。
『黒い噴水』俺は目にしたものを、そう思った。
さきほどまで、カプカプがいた場所には彼女がおり、彼女がいた場所には、首から血を噴出させたカプカプがいる。
俺はその噴水を浴びながら、茫然と彼女を見つめていると、彼女はゆっくり片手でスカートを持ち上げた。
闇の中に、白いストッキングが浮き上がる。
彼女はいつの間に手にしていた小太刀の血振りをすると、太ももにベルトで固定していた鞘に収めた。
(四、三、二、一、よし、ちゃんと数えられた)
いまさら意味のない数字を数え終わると、俺はその場に崩れ落ちた。
「おい、離れてろっていったろ。あーあ、ビシャビシャじゃねえか」
俺の側に戻って来た彼女は、俺の顔にかかった血をハンカチで拭ってくれる。
「あーあ、ローブも、ズボンまでビシャビシャに、しょうがねえな」
彼女が俺の服の汚れまで拭おうとするのを、慌てて止めた。
ズボンがビシャビシャなのは、カプカプの血によるものではなかったからだ。
その後、俺は更に集中して彼女の背中とお尻を見つめながら、森を歩いた。そうでなくては、恐怖で足が動かなかったのだ。
幸い、その後は猛獣が姿を現すことはなく、無事に街へと帰り着いた。
街は大きな壁で四方を囲まれており、門には歴史の教科書で見たような鎧を着た守衛まで立っていた。やはり女性である。
街の後方には、さきほど皆が祈りを捧げた教会の、大きな十字架が見える。
守衛は俺達を一瞥しただけで、何も言わなかった。
「あの、強いんですね。あんな猛獣を一瞬で仕留めちゃうなんて」
街の明かりを見て安心した俺は、彼女の隣に並んで話し掛けた。
「大したことねえよ、この辺の森や林は、魔王が現れる前から、夜は猛獣だらけだからな」
彼女は立ち止まると、俺の顔を見上げた。
灯りの中でみると、その顔立ちの愛らしさが、より鮮明にわかる。
「お前、なんか変じゃねえか?」
彼女が目を細め、俺を怪訝にみつめる。
「あ、いや、そうかな。親父が死んで、動揺しているのかも」
「そっか、当主の自覚ってえのが芽生えたのかな。ちゃんと話もつうじて、別人みたいだ」
そう言えば、女王も、教会にいた人々も、俺のことを笑っていた。一体、この体の持ち主は、どんな人物であったのであろうか。
「え、そんなに違うかな?」
「ああ、普段は服も着ないで出掛けて行くし、馬や牛のうんこを集めたり、盗んだ馬に引きずられて、奇声を上げながらお城まで行ったり」
彼女の話に、俺は凍り付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます