【悲報】両親によって妹のメイドにされた令嬢、それなら俺のメイドになれと竜に攫われる【朗報?】

ふゆ

第1話メイドになりなさい

「あなた、その不満そうな目は何? それが令嬢の顔ですか? 明日からメイドになりなさいと言っただけでしょう!」


 呆れたように義母は言った。レインが雑巾を絞っている時のことだ。

 指の間から水を滴らせながら、レインはおそるおそる義母を見上げる。


「あの、お義母さま、私はすでにメイドと共に働いておりますが……?」


「ええ、これからはお給金がでるようになるのよ。良かったわね」


「……」


 地方領主の娘でありながら家仕事をする理由、実はレイン自身にもよく分かっていない。

 厳しい勉強をこなした後に庭の草刈りをする。そんな日常が当たり前だった。妹が産まれてからはずっとそうだ。


(でも、メイドになれというのは身分を落とせということ? どうして急に)


「ねえ、また奥様が何か始めたわよ。こっち来て」


 ひそひそ声とともに、一人、また一人と増えていく使用人たち。

 すぐに大勢になった彼らを横目でちらりと見て、義母は大仰に首をふった。


「行き遅れのあなたを、バウマン家が温情で雇ってくださるということなのよ。感謝なさい」

「バウマン家で、ですか?」

 うつむいて長い黒髪の中に隠れていたレインは、思わず顔を上げた。


「そうよ。あなたはエルマハルト・バウマン様のお付きのメイドになるの」


 それはかつてのレインの婚約者の名前。

 レインの妹に心変わりした彼の。

 つまり義母は、妹とエルマハルト夫妻のメイドになれと言っているのだ。


「どうして」

「アルシェビエタがね。向こうの家で苦労してるみたい。使えるメイドが全然いないらしいのよ。ほら、あの子。昔から目立つでしょう? どうも下女だちに嫌がらせされてるらしいのよね」


 妹のアルシェビエタは、華やかで、人の輪の中心にいて、嫌がらせされるような性格ではない。

 おそらく、使い慣れた姉を手元におきたくなったのだろう。

 

 あまりのことに意識が遠のきそうになる。

 二人が付き合っていたことすら、未だに信じられないのに。


 色ごとには事欠かない妹は、彼を全く相手にしていなかった。それどころか恐らく視界にも入っていなかった。

 エルマハルトは、いつも人の輪から外れていた少年だったから。


 十歳の時、開かれた夜会の隅っこで、黙々とチキンを食べている少年がいた。子どもたちの輪に入りもせず、鋭い目でかぶりついている。

 同じく隅っこでケーキを食べていたレインがぼんやり横目で見ていると、急に彼は振り向いた。馬鹿にしたように鼻で笑って一言、『根暗女』。


 後日、レインは思い切って彼に手紙を送ってみた。『自分だって』と一言。誰かに強い言葉を放ったのは初めてで、心臓が大変な音を立てていたのを覚えている。


 次に顔を合わせたらどんなに罵られるだろうと恐々行くと、彼は自分の顔を見ていきなり噴きだした。

 手紙を読んで、確かにそうだと納得したらしい。


 その変な少年は、夏の間にだけ別荘で過ごす公爵家の息子エルマハルト・バウマンだと名乗った。


 堅苦しいことが嫌いで、夜会ではいつも不貞腐れた顔をしている。

 夜会が嫌いという点ではレインも一致していたので、華やかな妹を中心とした輪に加わらず、二人で森に抜け出して遊んでいた。


 十四歳の時、知り合いの結婚式に参加したことがあった。いつものように隅っこで料理を食べ、主役の二人を見つめていた。皆の中心で笑う彼女は、幸せで光り輝いているかのようだった。


 自分もあんな風に笑顔で祝ってもらえる日がくるのだろうか?

 妹なら簡単に想像できるけれど。


 そんなことを考えていたら、俺と婚約してくれないか? と出し抜けにエルマハルトが言ったので、ケーキを吹き出しそうになる。


 曰く、両親が彼に見合いをさせようとしているらしい。そんな面倒なことは嫌なので、とりあえず恋人がいることにしたいのだそうだ。


「別にいいけど……」


 きっとすぐに話が流れるだろうと思っていたらそんなことはなく。正式に婚約したのは十八歳の頃。


 正直、彼が約束を守るとは思っていなかった。

 エルマハルトは次期当主として凛々しく成長していた。王宮の騎士隊に入隊し、その際立った容姿は誰もの目を引く。

 どう考えても黒髪黒瞳の田舎領主の娘とはつりあっていない。


 正直にそう言って断ると、エルマハルトは憮然として眉をひそめた。

 俺に約束を破る男にする気か。君を一生守ると子供の時から決めていたのだ、と。


 幸せな気持ちで父に報告して、もちろん義母と妹にも。

 あらゆる男性から求婚を受けてきた妹が、久しぶりに間近で見たエルマハルトに声を失っていた。妹に少しだけ勝った気がしたのはその時だ。


 『未来のお義兄さまともっと仲良くなりたいの。ねえ、いいでしょ。お姉さま?』

 夜会は近隣の領主や別荘地の貴族が集まるもの。

 中にはエルマハルトよりも身分が高い男性も多い。派手な男性が好みの妹は、いつも夜会の隅にいるエルマハルトには歯牙にもかけていなかった。


 約束は守る、とエルマハルトが断言してくれたことを胸に刻んで、レインは二人の外出を黙って見送った。

 腕にしがみつかれて、少し顔を赤くしていたけれど見なかったことにした。

 あからさまに口数が少なくなり、レインといると不機嫌そうな顔をするようになったけれども、気づかなかったことにした。


 結婚式を挙げれば、さすがに妹も二人で会いたいと言わなくなる。

 そうすれば、エルマハルトだって妹のことを忘れるはず。

 そう信じて、指折り数えていたある日のこと。


 開かれた春の夜会で、誘われたのは、アルシェビエタの方だった。

 レインは迎えの馬車に嬉々として乗る妹を呆然と見送った。

 今日こそ会えると準備していたドレスは、ハンガーにかける気力もなく椅子に投げたまま。帰ってきた妹の弾んだ声を聞きたくなくてベッドに潜りこんだ。


 その日を境に、彼の婚約相手は妹に代わっていた。まるで解禁になったばかりに、皆の会話はアルシェビエタの嫁ぐ日のことばかり。

 父も義母も、エルマハルトの心変わりを知っていたのだ。

 エルマハルト自身の本心はどうなのだろう。

 確かめたいことは山のようにあるのに、いつものように手紙の文字にできない。何枚も何枚も書き損じて、そうしてレインは全てを諦めた。



 そんな二人のメイドになる。

 父の命令は絶対である。

「分かりました。準備します。サティ、悪いけれど後はお願い」

「あらあら? 掃除が終わってからではどうしてできないの? 学校の成績だけはいい子って本当に要領が悪いわね」

「……終えてから準備します」

「そうしてちょうだい。あなたの荷物なんて大してないんだから。本当に小狡いわね」


 笑いを堪えているメイドたちの傍で、レインは素早くモップを動かし始めた。

 端から端まで廊下の床を磨いてドアを次々開け放ち、各部屋への清掃へと取りかかる。


「サティ、三階も私がやるわね」

「はい、レインさま……、え、えぇ? もう二階終わったんですか!?」

 野次馬だったメイドたちは、慌てたように日常の仕事へと戻っていく。

 家の恥部をつぶさに観察できる使用人たち。ある意味主人よりもアプソロン家の内情に詳しいに違いない。


(そうだわ)

(どうして私が婚約破棄されたのか)

(二人のメイドになれば、きっと分かるわ)

(そうしたら、きっと、エルマを嫌いになれる)

(嫌いになればもう心はざわめかない。メイドでいても平気)

(私は、あの人の嫌いなところを見つけに行くんだわ)


 半ば強引に自分を納得させた言葉だけれども、意外にも奮い立つ気がした。

 レインはまだ彼のことが好きだったから。

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