第12話 行方不明のエルマハルト

「それで? お姉さまは、その変な男に攫われたというのね?」


 憔悴しきって、ほうほうの体のマレクは背中を丸めている。軽蔑しきった目で見下ろしているのはアルシェビエタ。


 ロッキングチェアに肘をおき、心底うんざりしたように息をつくと、その場にいる者全てが震え上がった。この女王様の機嫌一つで彼らの運命は決まるのだ。


「精霊石を使わずに人一人を吹き飛ばす男なんて……化け物じゃないですか。レインさまもレインさまです。そんな男と逃げるなんて。しかもあの人はまだエルマハルトさまが好きなんじゃなかったんですか? 真面目そうな顔をして、隠れてこそこそ他の男を作っていたんですね」

「サティ。お姉さまの悪口は言わないで。エルマハルトさまのことがよほどショックだったのよ」

「そう、そうですよね。そうでなければアルシェビエタさまを置いて逃げるなんてするはずありませんものね」


 アルシェビエタの一言で、サティは綺麗に話を転換してみせる。バウマン家メイドのカミラは内心舌を巻いていた。


 このアプソロン家から来たサティというメイドは、アルシェビエタの恐ろしさを骨身にしみているのか、態度を二転三転させることに一切迷いがない。


 明日は我が身、自分たちも絶対服従で行こう、と仲間のエラと同時にうなずき合った。


「それは、精霊王源竜ですね」

「精霊王? ……あら」


 不意の闖入者に、全員の視線が一斉に集まる。

 応えるように、闖入者は黒いハットをとり恭しく腰を折った。


 黒いスーツに身を包み、片方は明らかに義眼と分かる艶の琥珀色。

 まつ毛が異様に長く、しかも奇妙なことに波型にカットされている。瞬きをすると蝶々が羽ばたいているようだった。


 誰もが怪しいと思う風体だが、蝶々紳士と呼ばれる高名な錬金術師である。


「お久しぶりです。錬金術師アダムズさま。音も立てずに入ってくるだなんて。さすが錬金術師さま、と言いたいところですけれど。単純にこの家の警備が甘いという可能性もあるわね」


 動物に精霊石を埋めこみ、精霊動物を作ったのは彼である。

 バウマン家は古くからの彼のパトロンである。最新の精霊動物をいち早く提供されていた。


「ご無礼をお詫びします。お美しい方。エルマハルトくんはご在宅ですかな」

「いいえ。彼は首都の警護の任務についておりますよ。ご存知ではないのですか?」


 王家もパトロンにもつ彼は王宮には頻繁に出入りしているはずである。エルマハルトと顔を合わせていないはずがない。


「ああ、まあ、そうなんだがね。はははっ、まあ、君は何も知らないだろうとは思っていて一応聞いたんだが。やはり徒労だったか」


 燃えるような苛立ちをアルシェビエタは覚えた。彼女には思い通りにならないことのない。ましてこのような口を聞く者など。

 水攻めにしてから切り刻んで燃やしてしまいましょう、と精霊石を手にすると、


「エルマハルトくんのことは置いといて。君のお姉さんと逃げた男は、人の姿をとった源竜の可能性がある」

「ゲンリュウ? ってあの、空を飛んでいる源竜さまのこと?」

「そう、その源竜。先日、何者かが馬車を浮かせて、源竜に近づいたのは確認している。あ、源竜は常に国によって観測されていることは知っていたかね?」


 探るように、面白そうに錬金術師はアルシェビエタを見る。明らかに犯人が誰だかわかっているような口振りだ。


「それがどうかしまして? 何か法や王の怒りに触れるような行為でしたか?」

「おお、誤解しないでくれたまえ。美しい方よ。もちろん、僕は咎めに来たわけではないんだ。馬車には君のお姉さんも乗っていたのか確認しておきたくてね」


 一瞬の表情の変化をアダムズは見逃さなかった。恭しくお辞儀をすると、要はすんだとばかりにくるりと身を翻す。


「待……待ちなさい! 源竜は、私よりお姉さまを選んだの? 精霊王に近づいたのは私よ! どうして私を迎えにこないの?」


 肩越しに振り返ったアダムズは、おや、と片眉を上げて見せる。


「もしかしてご存知ない? 類い稀なる黒髪黒瞳の者は精霊王源竜のお気に入りなんでね。黒髪に召喚の力をもたせるほどに」

「は?」

「そんなに髪をギラギラさせておいて黒髪の者に勝とうとなどと、ぷっ……おっと失礼。では用があるので、これにて」

「あなた、何をしているの。さっさと出発なさい」


 アルシェビエタはマレクをギリっと睨みつける。


「愚図にも程があるわ。さっさとお行きなさいな。姉と一緒にいる精霊王も連れてきなさい」


 突如いきいきとし始めたアルシェビエタに、アダムズは少し驚いた顔をする。

 アルシェビエタは誇るように胸に手を当てる。


「私の夢はね。公爵夫人になるだけじゃ治まりそうにないの。何を願っているのか、自分でもわからないのだけれど。とにかく全部。ぜんぶ手に入れたいのよ」

「ほうこれはこれは、ただの我儘お嬢さんかと思いきや」


 アダムズは振り返った。


「なかなか面白い資質をお持ちのようですね。エルマハルトに捨てられそうになって荒ぶってるだけの牝馬かと思いましたが」

「ふん。下手な嫌味ね。婚姻届はすでに出してあるのよ? たとえ彼の署名が代筆だと判明しても、何年も裁判しなくちゃいけないの。それほど強力な我が国の法律を彼が覆せるかしら。後で彼が真実を知って今さら私を捨てようと血迷ったとしても何も問題ないの」


 この国では離婚は認められていない。

 だからこそ、庭師の男と姉の結婚のことも急いだのだ。借金のことで怒り狂っているバウマン家の夫妻を説得したら承諾はすぐにもらえた。あとは書類を提出するだけだったのである。


「いやいや、なんと酷い制度か。化け物とつがいになったとしても離れるすべを持てないとは」


「それで、あなたはどちらの味方なのかしら?」

「それはもちろん」

 打って変わってにこやかになったアダムズは恭しく首を垂れる。


「より面白い方を、あなたさまを、アルシェビエタさま。手始めにお姉さまと源竜を連れてきてみせましょう。そこの男よりはよほど役に立つかと」

「そう? じゃあお願いするわね。ふふ、源竜さま。楽しみね。さすがお姉さま。私のために源竜を留めておいてくれてるってわけね?」


 感極まったように自らを抱き締めるアルシェビエタ。


「早く、早くエルマハルトさまに会いたい」

 レインが他の男に心変わりしたと嘘をついたこと。すでに婚約させたと両親にも嘘をついてもらったこと。加えて、エルマハルトの贈り物をレインから奪ってきたのも功を奏した。


 姉が本当はエルマハルトを嫌がって贈り物を自分に渡したという話に信憑性を持たせられたのだから。 


「源竜の力があれば、彼の心はきっと元に戻るわ。早くあのドレスを着て結婚式を挙げたいのよ」

「なるほど。夫を王にしてご自身も何者かになりたいと。結構な心意気です。ところで、もう一つの方もお任せしてもらってもよろしいですかな?」

「そちら? なんの話」

「何者かになりたいというあなた様の願望です。深く感銘を受けました。何かを努力していらっしゃるのですか?」

「今のところは別に。大体そんなの、時がくれば自然と成るものよ」


 アルシェビエタが強く願って叶わなかったことは一度もない。


「私は無理をするのが嫌いなの。頑張っていればいつか誰かが迎えにきて救ってくれるなんて期待してる心根も嫌い。そんなことだから最後はメイドの身分に落とされちゃうのよ」

「ははは。同感です。無駄な努力なんて僕も大嫌いです。では私に任せていただけますかな? あなたの力を増幅するぴったりの錬金術がございます」

「へぇ、錬金術で? いいわね」

「ええ、あなたの魅力も潜在的能力も。全て引き出します」

「興味がでてきたわ。ではそちらもお願い、よろしくね」


 アルシェビエタに礼をしながら、アダムズはますます笑みを深める。

 アダムズがなぜエルマハルトを訪ねに来たのか。


 そしてアダムズがアルシェビエタを何者にしようとしているのか。

 理由を考えもしない、その驚嘆すべき明るさと豪胆さに。

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