第11話 お前の心の悲鳴が止まったことだ
「なるほど」
青年は眉間を押さえながら木製テーブルに肘をつく。
「これが、満腹、というものか」
鳥のローストやハーブいりのスープ、焼きたてのパンなどなど。ふんだんに盛られていた皿はとっくに空になっていた。
「心地よさと、哀れみの気持ちではち切れそうだ」
慎重にパン屑の一つをつまみ、指の腹で崩すと、粉となったパンは美しい木の目模様に吸い込まれるように落ちた。弾かれて屑となって散らばっていく。
青年は落ちたそれをじっと見つめている。一分、二分。堪えきれずにレインは声をかけた。
「あ、あの、お口に合いませんでしたか?」
「いや」
青年は少し微笑むと、パン屑から視線を外し、この世の果てに馳せるような遠い目でふうっと息をついた。
「俺が口にしなければ、彼らは未だにこの青空の下で慈風に吹かれていただろうにと思ってな」
「彼ら……パン屑のことですか?」
「小麦の実だけではない。これらの動植物も。その身を捧げたのが精霊王であったという事実は、少しは彼らの悲しみを和らげただろうか」
思わず微笑んでしまった。こんな風に食べ物のことを思ったことがレインはなかった。
「そんなに思っていただけただけでも、ずいぶん違うと思いますよ」
「そうか? まあ、世の円環の一つに加わっているのだから、この残酷な運命も納得してのことであろう。うむ、うまい」
そう言って、最後の一欠片を口に押し込み、感極まった顔をする。
青年が精霊石で目を覚まして一時間ほど。
レインの用意した食事を一つ一つ食すたびに、深く感動を覚えるような言動をする。
珍しい人にも程があるが不思議と悪い印象はない。
「ところでレイン。いい報せと悪い報せがある。どちらを先に聞きたい?」
「え、では悪い報せから」
「うむ。そう構えるでない。なに、大したことではない」
「あ、ソースが」
レインに口元を拭かれながら、源竜は神妙に目を伏せる。
「一晩眠ったら、どうも調子がおかしくなったようでな。先ほどから試しているのだが、力が使えなくなっている」
「まあ」
「ああ、だが案ずるな。俺が使えなくても。配下の精霊がいれば従わせることはできる。つまり」
「つまり?」
「ああ、困った事態になれば、精霊石を俺に渡すがいい。強力な力を引き出してやろうぞ」
一瞬の間が空いた。
「……おい、何を変な顔をしている」
「いえ、その」
もしも青年がただ精霊の長だと思い込んでいるだけの人間だとして、そう演伎をしているだけだとすると。
「まさか、笑いを堪えているわけではあるまいな?」
「い、いえ、まさか、そんな源竜さまに向かって」
「フウジン、でいい。極東の民は俺をそう読んでいた。俺は別に風だけを支配しているわけではないのだがな。信心深くて勤勉で、まったく、おかしな奴らだった」
口振りとは裏腹に、青年の目は懐かしそうに笑っていた。極東の黒髪の民は、彼の中で悪い思い出ではないようだ。
「ええと、それではフウジンさま。良い報せとはなんですか?」
「うむ、手を我が額に」
少々むすっとした顔で、青年はレインの手首を握る。そのまま自分の方に引き寄せ、頭の上に手をのせた。
「は、はい?」
「横に動かせ」
「何度もだ。往復するように」
わけが分からずいうがままにしていると、青年はふっと笑った。
「気持ちいい」
「え……っ、え」
驚くレインの手をとり今度は自らの頬に当てる。じっと強い目で見詰められて、レインは頬が熱くなる。
「ああ、肉体がなければ、味わえない。僥倖だ」
「それは、あの、とても良い報せですね」
「いや、良い報せは」
レインの手を押しつけたまま、優しく微笑んだ。
「お前の心の悲鳴が止まったことだ」
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