第9話 源竜との再会
「もしかして、私が飛び込むと思ってますか?」
青年はふっと笑みを浮かべ、見透かしたようにじっとレインを見つめている。
淡く発光した体に、腰まで垂れた白い髪。瞳まで白い。境目が薄いので、点のような瞳孔だけが目立ってる。そして尋常ではないほど整った顔だち。
身につけているのは白い長衣だけという、浮浪者にも高貴な身分の者にも見える奇妙な出で立ちだった。
「あの、もしかして、止めてくださってようとしているのでしょうか……?」
青年は黙ったままでいる。レインが意図をはかりかねていると、彼は一歩引き、半身になって後ろに向けて指をさした。
「来るぞ」
「え?」
「レイン! 見つけたぞ! くそ、旦那に手をあげるたあなんて女だ!」
森の暗闇からやってきて月光にライトアップされていく男はマレク。握りしめた拳が振り上げられる。反射的に身を翻すがうしろは湖。
後頭部に衝撃が走る。倒れ込むとを思い切り腹を蹴られた。
ごほっと喉からこみ上げてくる。吐き出した血が地面を濡らす。胸ぐらを掴まれて無理やり立たせられた。
「帰るぞ。よく躾けてやる」
「いやです」
ほとんど反射的に首を振っていた。襟を掴んでいるマレクの手首を掴み、更に大きく振る。
「帰りません」
「なんだあ? 今さらかよ。妹に男をとられても平気でへらへらしてたくせによお」
「平気じゃない」
大好きだったのに。
「本当は、本当はすごく嫌だった!」
「そ、そこまで俺との結婚話が嫌なのかお前はぁ!!」
叫んだ瞬間、再び拳が固められるのを見た。ぎゅっとつぶるが飛んでこない。
「誰だお前」
手首を掴まれてから青年の存在に気が付いたのか、マレクの声に驚きが混じる。
掴まれたまま、マレクの巨体はふわりと浮いた。
「う、おっ、おおお?」
「行っておいで」
優しく鳥を放つように、青年はマレクを手離す。宙に浮いたままのマレクの体は更に上昇した。
背中を丸めてくるくると木の葉のように。あっという間に上空へと舞い上がる。
(え、どうやって飛ばしたの?)
見落としたのだろうか。精霊石を使った様子がない。青年が自力で自在に精霊を扱っているように見える。
そんなことはあり得ないのに。
「どうする」
突如話しかけられて我に帰る。戸惑っていると、青年は多少苛立ったようにくいっと指を上に向ける。そこには月をバックに宙に舞うマレクの姿が。木の葉のように風に弄ばれながら手足をバタつかせている。
「落とすか?」
「お、落とす……? あの、遠くへ行って頂きたいのですが。静かにおろすことはお願いできますか?」
「無論」
青年が答えると、マレクの体は突風で飛ばされたようにすぐに見えなくなった。『静かに』という言葉はちゃんと届いただろうか。
「体は馬鹿にでかいが童のような男だったな。飛び方までもが子供のようであった」
マレクが消えた先に鼻で笑うと、青年はじろりと座り込んでいるレインを睥睨する。
恐ろしさで身がすくんだ。
「あなたは、……人間ですか?」
高位の精霊が人の姿をとると本を読んだことがある。ただその目的は人間に友達になりたいとか友好的なエピソードはあまりない。
好奇心、精霊を蔑ろに扱ったことへの怒り、そして普段からの使役に対する反動、憎しみ。
百年前の戦争で、触れてはいけない森を破壊されたことに激怒した精霊が、都を中心に半径百キロ以内を焦土にしたこともあると聞いたことがある。
青年は一歩ずつ近づいてくる。逃げようとしても足が動かない。
すぐ傍にそびえるように立ち、レインが悲鳴をあげそうになったその時、
「怪我……?」
暗くて分からなかったが、間近で見ると青年の腹部が赤黒く染まっている。
言われて初めて気がついたのか、青年は自らの腹に手をあて驚いた顔をしている。
「ちょ、ちょっと待ってください」
この水精を呼ぶ精霊石なら治すことはできるはず。
「どうしてこんな傷を?」
「分からん。地上に降りた時にかもしれん」
「地上に、ですか? どこからか落ちたのですか?」
「ん? 何を言っている」
呆れたように言うと、深々とため息をついた。
「空で願ったではないか。『お騒がせしてすみません』と。そう謝るくらいならわざわざ空にまで来るんじゃない!」
かつて精霊に最も近い人間と評された民族がいた。
極東の島国に住んでいたその民族の髪と瞳は一様に黒かったと言われている。
「お前ら黒髪は、自分の声が大きいという自覚はあるのか?」
「……いえ。むしろ小さい、聞こえない、大きな声をだせ、とよく言われますが」
そもそもアルシェビエタより大きな声を出した覚えがない。
「そっちじゃない。心の声の大きさだ」
「? どういう意味です?」
「稀に生まれる黒髪黒瞳の者は、心の声が大きく俺に響く。願いをかけられた時の声は特に。うるさくて叶わん」
初めて聞く話だった。
「あの、教会では黒髪の方が生贄に選ばれます。その理由は源竜さまが黒髪黒瞳を好むからと」
「一人でも少なくなれば面倒ごとになる確率が少なくなる」
「ええ」
「まったく、こっちは黒髪に会わぬよう、ずっと空を飛んでいたのだぞ」
「すみません……」
気持ちよさそうに飛んでいる理由が、まさか自分のような黒髪の者に会わないようにするためだったなんて。
さだめし馬車で飛んできた時は驚いたことだろう。逃げている相手が空にまで追いかけてきたのだ。
まさか自分の方が源竜に怖がられていたなんて。
「肝心の願いときたら、これがまた」
苛立たしげに長い髪をかきあげ、
「『仕立て屋に払うお金を用意できますように』と訳の分からんことを」
「……っ!」
アルシェビエタと源竜に願った、心の裡だけで願った思い。声にはしていないから誰も知らないはず。
「お前の事情を知らないと訳が分からない」
「すみません……」
「悪いと思うなら、伝わるように文章を整理してから願え。おかげで一から調べなければならんかったじゃないか」
「はい。そうします……え?」
調べた、と言ったのだろうか。精霊王源竜が、自分の願いを理解するために調べた?
「さあ、立つがいい。お前を泣かせている根本の原因を潰してやる」
「え」
「え、とは? まさか、まだ分からぬのか」
傲然と顎をあげて、手を差しだしてくる。
「瞳を交わした黒髪とは縁を結ぶと、俺は自分自身に誓いをたてた。永く守りすぎて呪いになっているほどだ。だから黒髪黒瞳には会いたくなかったんだ」
「服従……?」
「何を願う? あのお前を苛む妹を地の底に落とすか? 憎き男を八つ裂きにするか? それともお前の両親をか? どうすれば、お前の心の悲鳴は止まる」
頭が追いつかなくてどうしていいか分からなくなる。
口を何度か空振りさせて目を彷徨わせた。
「うろたえるな。この神である俺がお前のメイドになってやると言っているのだぞ。さあ言え。心の裡の欲望を」
「私は……そんなことは」
「復讐なぞ考えたことなどないなぞ言わせんぞ?」
問いから逃げるように俯くと端から涙がこぼれる。
「私は、彼を嫌いになれれば、それで良かったんです。これからも働いていけると、思ってました」
「ほう、では今のままで良いということか?」
「いいえ」
あやふやだった自分の気持ちを口にするたびに形になっていく。
「死を選ぶ直前になってやっと気がつきました。ここでメイドを続けていたらきっと私はまた死のうとする。お願いです。私に」
彼を忘れさせてください、と訴えようとして言葉が止まる。顔をあげたら、相手が思っていた位置にいなかったから。
足元には、地に突っ伏している源竜の姿。
願いを言えと言いながら、聞いてもらえる前に源竜は倒れてしまった。
「あ、あの? 源竜さま?」
四肢を投げ出して、ぴくりとも動く気配がない。おそるおそる肩に触れてみるが反応がない。
「えぇ……と」
どうしよう、と視線をさまよわせてハッとなる。赤黒い染みがまた広がっている。
「精霊石……もっと持ってくれば良かった」
水輝精はしっかり傷を癒しているように見えたけれど。こんなに簡単に傷が開くなんて。
その時、葉擦れの音がして振り返る。
木立の向こうに数人の男たちが見えた。
「おい、いたか?」「いや」「あの怪我じゃ遠くへは行けない。探せ」
(怪我?)
そう言えば。
源竜は精霊の頂点にたつ存在。精神のみの存在で肉体を持たないはず。
それなのに、どうして怪我をしているのだろう。
ゾッとして足元を見る。
(この人、本当に源竜さまなの?)
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