第4話 結婚の支度金があったはず

「まあ、なんて素敵なんでしょう。アルシェビエタさまったら。まあまあ」


 揉み手をしながら、仕立て屋の女主人はアルシェビエタについて回った。


 この王室御用達の洋裁店は、首都のメイン通りの一角にある。千年を超える精霊石のみで作った建物は、風格のある通りのなかでも一際存在感を放っている。


 店に入るとまず明るさに圧倒される。


 店の奥までつづく棚には、取るのをためらうほど整然とした色とりどりの布地。

 ディスプレイ台でポーズをとる黒いトルソーには最新のドレス。

 そして特別な客だけに許された2階の試着専用フロア。


 アルシェビエタが迎え入れられたのはここだ。


 女であれば誰であろうとも。ここでドレスを作りたいと一度は思う憧れのフロア。

 以前エルマハルトと共に来たことを思い出さなければ、レインももう少し気を緩められたのかもしれない。


「これはですね。第二皇女さまが冬のお目見えでお召しになった布地と同じなんですよ。着こなせる方は、皇女さまとあなたさまくらいしかいません」


 女主人は笑いながらも、油断ならない光を笑い皺を刻んだ目に宿らせている。

 後ろで控えている従業員たちも張り詰めた様子だ。


「第二ね。ふん、でも気に入ったわ」


 アルシェビエタは自信に満ちた顔でくるりと角度を変える。


 先ほどから小一時間ばかり、アルシェビエタは姿見で全身を確かめている。動くたびに金色の巻き毛がふわりと舞った。


 本当に華やかな美女だと思う。

 どこに行っても注目され、その場の主役は自然と彼女に。


 レインの誕生日でも主役は彼女だった。挨拶に回るのは妹で、贈り物は一応はレインが受け取るものの、後で妹に全て渡していた。

 エルマハルトからの贈り物も当然のように。


(悪いことをしたわ。きっと心をこめて贈ってくれたのに)


「どうかしら? お姉さま」

 アルシェビエタは不意にこちらを振り向いた。


「あら、ぼんやりした顔をして。上の空になるのは禁止と言っているはずだけど?」

「ごめんなさい」

「もう、すぐにサボるんだから」

 ドレスを左右に揺らしながら可愛い頬を膨らませる。


「さっきの使えないメイドたち見た? あんなメイドばっかりで困ってたのよ。お姉さまには期待しているの」

「はい、すみません」

 レインは屈みこみ、妹のドレスの裾を慎重につまみあげた。


 鳥を逆さに描いた大胆な図案。

 我が国は航海術に長けており異国の品々には不自由しない。それでもこれほど見事な東方の品は珍しい。


 平面的な図柄は美しく、線も繊細で独特。豊かな色のとりあわせは目が痛くなるほど鮮やかだ。

 このドレスを着た女は、どんなに地味でもきっと綺麗になれる。


「お姉さま?」

 ハッと我にかえると怪訝そうな妹と目があった。

「ええと、そうですね」 

 咳払いをしてもう一度見直す。アプソロン家の長女として、妹に恥をかかせるわけにはいかない。


「確かに美しいし珍しいドレスですが、皇女様がお召しになったのは冬だったでしょう? 夏の式には合わないと思います。通気性も吸水性も悪そうです」

「どういうこと?」

「夏に着ると暑いし、メイクが崩れやすいのでおすすめできません」

「そうなの。あなた、そんなものを薦めたの?」

 女主人の喉が上下したのをアルシェビエタは見逃さなかった。

「はあ、まあ。どちらかと言えば冬の方が着やすいドレスではありますね」

「そう、ではお姉さまのいう通りなのね?」

「え、ええ、はい、ある意味では」

「そう、あなたのお仕事ぶりがよく分かったわ」

 にっこり笑いながら、アルシェビエタは精霊石を鞄からとりだした。

 驚いている女主人に向けて握りしめると、半透明の石に青い揺らめきが宿る。


「アルシェビエタ!? やめなさ……っ!」

 発火するように石は青く光りだす。人魚の姿をした数匹の水輝精が光と戯れるように宙に踊りでた。


「さあ、水輝精さん。あなたの遊び相手はあちらよ」


 アルシェビエタが命じると、小さな水輝精たちはおかしそうにくすくす笑い、いっせいに女主人の頭上へと集まった。

「ぎぃやあああああ」

 滝のように水を浴びせられ、悲鳴をあげる女主人。それを見て嬉しそうに笑うアルシェビエタの顔は水輝精よりも輝いていた。

 店内を逃げ回る女主人に、右へ左へと指をさして指示をする。他の店員たちは高価な布地たちを守るのに必死だった。


 精霊石で召喚される水輝精は神聖な存在である。どんなに日照りが続いても彼らがいれば畑は枯れない。喉は乾かない。人は死なない。


 ところが呼ぶ者の祈りに呼応する精霊たちは、アルシェビエタが召喚した途端に悪戯好きに変貌してしまう。逃げ回る者たちを追っかけ回し、悪魔のような笑い声で好き放題跳ね遊びまわる。


 レインは、あのくすくす笑う声を聞くと頭痛がするようになってしまった。


「あらあら、お店が大変ね」

 気が済んだのか、アルシェビエタは鏡の前に戻った。どういう訳かドレスを脱ごうとしない。

 名残惜しそうに鏡を見ながら、あ、と小さく声をあげた。


「ここ、格式のあるお店なのよね。ちょっとやりすぎちゃったわ。どうしたらいい? お姉さま」

「え」

「あら、こちらの方がどうにかしてくれるんです?」

 いつの間にか、水輝精は去っていた。女主人は髪も服も水浸し。外れたつけまつ毛を頬に貼りつかせ、頬が怒りでひきつっている。


「お父様を悲しませてしまうわね? お姉さまが店を糾弾するから」

「わっ、私ですか……?」

 気づけば女主人も店員も他の使用人たちも、皆がレインを見ていた。

 レインがとるべき選択肢は一つだけ。

 女主人に向けて深々と頭を下げる。


「大変申し訳ございません。お詫びとして、ドレスをニ着注文させていただけませんか?」

「と、言いますと?」

「この東方の生地のドレスもお願いいたします。汗をかいてもお色直しができれば問題ありませんから」

「ええ、もちろん構いませんよ。素晴らしいアイデアですね! アプソロン様!」

「さすがお姉さまね」


 レインには資産はないが、手をつけていない結婚の支度金があったはず。

 大丈夫、お金は工面できる、とレインは破裂しそうな心臓に言い聞かせた。


 レインのこの独りで解決しようとする性質が、エルマハルトに重大な誤解をさせていることに、彼女はまだ気づいていなかった。

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