第2話 メイドたちの思惑1

「本日より、バウマン家に新しく入られたレイン・アプソロンさんです。皆さん、バウマン家を支えるメイドとして新しい仲間を快くお迎えしましょう」


 かつて婚約者として訪れたこの家で、レインは深々とお辞儀をした。


 公爵家では全国に領地がある。

 社交シーズンの秋には首都にあるタウンハウスに住むが、他は気候の過ごしやすい地を選んで住むのだという。

 夏はアプソロン家の領地近くにある別荘に。秋の始まりに式を挙げて王都に移るそうだ。


 二人はまだ結婚の誓いを立ててはいなかったけれど、恋人同士の時期も一緒に暮らして楽しみたいとアルシェビエタが言い出し、公爵家へと引越したのだ。

 アルシェビエタの魅力にすっかり虜になっているバウマン家のご両親は、喜んでその我が儘を受け入れたらしい。


「始めまして。レイン・アプソロンです」

 バウマン家の別荘は緩やかな丘陵の多い村の中でも一際高い丘にある。アプソロン家よりも一回りも大きく、雇われている使用人の数も倍近く。ほとんどがバウマン家の用意した住居で住み込みで働いているそうだ。

 職業人としての意識も高いのか、どの使用人の動きにも無駄がなく手際がいい。

 レインを乗せた馬車が到着してすぐ、集まってきた黒いワンピースドレスのメイドたち。圧倒されていると、あっという間にレインは台所脇の準備室に案内されてしまった。

 そこにはハンガーにかけられたメイド服が用意されていた。ここのメイドは、黒のワンピースドレスに白いエプロンで統一されている。袖を通しながらため息をつく。

 バウマン家とは昔から家族ぐるみの付き合いだった。


 婚約相手の乗り換えが両家でどう折り合いをつけられたのか、レインには詳細が知らされていない。

 今回の婚約破棄騒動のとき、レインはちょうど南の地方に住む叔父の看病に行くよう父に命令されていたので一月ほど家を開けていたから。

 ただ円満に終わったらしいことだけはメイドたちから聞いていた。

 レインとしては過去に婚約者として会っていた義理のご両親だ。

 どう挨拶をしようか、馬車で頭を悩ませていたレインは肩透かしを喰らった気持ちになった。


(顔をあわさなくて済んだと思うべきなのかしら。でも)


 エルマハルトの婚約者として大切に扱われていた時期を思うと頭が真っ暗になる。

 黒髪黒瞳に偏見はない、バウマン家の夫人として堂々とするように、とレインに言ってくれた人たちだった。

 歳をとってからのご夫婦なので、一人息子に溺愛している故に自分も愛そうとしてくれていた。

 だから、息子が心変わりした以上、その愛情がアルシェビエタに移るのは仕方がない。レインを元婚約者としては絶対に扱わないと宣言するために、あえてメイドとしての迎えいれたのだろう。


 そういうわけで、レインは誰と顔を合わせる間もなく、玄関ホールに集められたメイドたちの前で、メイドとして紹介されたのである。

 彼女たちの視線は冷たい。レインの挨拶に応じようとする者は一人もいなかった。

 令嬢がメイドになる。そんな屈辱を甘んじて受けた女だと蔑まれているのがひしひしと伝わってくる。

 これ以上なく身を縮こまらせながら担当を言い渡された場所に向かった。

 それが勘違いだったと気がついたのは午後の鐘が鳴る少し前のことだ。


「ちょっと、レインさん!」

 レインが階段の手すりを磨いていた時のこと。強く背中を叩かれて危うく落ちそうになった。抱きすくめられて最悪の事態は回避する。

「ごめんなさい。大丈夫?」

「はい」

 首だけで振り返ると、赤い髪のメイドがすまなさそうに小さく片手をあげていた。

「ごめんなさいね。あそこにあった馬鹿みたいに大きな竜の彫像知らない?」

「あの、すみません『上に運んで』と書いてあったので」

「え……まさか、一人であれを二階に運んだの?」

「はい、元に戻しますね」

「い、いいのよ。庭師の男たちに運んでもらおうと思ってたやつだから。……そう、人は見かけによらないわね……。あ、私カミラ。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 早口でまくしたてるカミラに向き直り深々と頭を下げる。にっこりと笑ったカミラは、階段の上を掃除していたもう一人に大声で手招きした。

「エラ! 見て。レインさんが磨いたこの手摺りの光り方。まるで踊っているかのように優雅に拭いていたのに、とっても綺麗よ」

「えぇ! レインさんの仕事? 見たい見たい」

 エラと呼ばれた小柄なメイドがモップを握ったまま二階からひょこっと顔を出す。放り投げ、スカートを摘み降りてくる。片足を怪我をしているのか少し庇いながら。

「すっごぉい! 隅々まできれい。貴族のメイドってどうなのって思ってたけど凄いね」

「うんうん、光り方の格が違うわよね」

「恐れ入ります」

 どこか持ち上げられるような感じを受けたレインは注意深くうなずいた。


 ひとしきり感心したあと、二人は同時にくるりと振り向いた。カミラはまじまじとレインを上から下まで見る。

 じろじろと無遠慮に見られて落ち着かない思いをしていたら、二人は顔を見合わせ、同時にうなずいた。

「やっぱり、レインさんの方がいいわ。ずっとお優しそう。すっごい力持ちなのに」

「あたしもそう思う」

 カミラは周りに目を配らせてから声を潜める。

「ねえ、レインさん。少し話さない? この時間なら主人たちは出払っているわ。アルシェビエタさまは午睡のお時間だし」

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