最終話 〜譲位式がおわって〜
右大臣家では、即位したばかりの朱雀帝を招き、華やかな宴が開かれていた。祝いの酒が入り、みな機嫌がいい。
華やかな管弦の音にあわせ、豪勢な料理の数々が宴席に並んでいる。
皿を蹴散らしながら舞い踊る者、酔い潰れた者がいても、誰ひとりとして咎める様子はない。
上座に座る
夫である桐壺院は新院に引っ越したが、従ったのは藤壺の宮だけ。
「弘徽殿の女御さま、お酔いになられたか」
「なんの、父上。酔ってはおらん」
右大臣に笑って返事をしながら、最愛の息子である朱雀帝を眺めては目を細めている。
「今日は羽目を外してもよきかな、よきかな。殿下、今宵は、われの杯を受けよ」と、日頃は礼儀作法に厳しい
朱雀帝の席は上座に設けられている。
並んだふたりを見ていると、遺伝とは不可思議だと思う。
激しい母親から、おだやかな息子が生まれた。性格的にはまるで異なる親子に驚きを感じる。
私は右大臣の娘として、また、
灯籠の光に揺らぐ人びとの顔を眺めながら、なんとなく、うら哀しい気持ちにおそわれていく。
宴はいつまでも続く。
これは、ひと夜の夏の夢である、と知っているのは……、私だけだ。
柔らかく温かな彼の目が問うている。
どうかしたのか。愛しい人よ、と。
帝、あなたはとても心根が美しく、そして、泣きたくなるほど
「帝、今は、ここにおります」
「今はとは、どういう意味だね? いつか、どこかに消えるおつもりなのか」
「いいえ、帝。なぜ、そのようなことを仰るのですか?」
「なぜだろうか。時々、あなたが幻のように感じることがある。いっとき、わたしに与えられた幸福な夢にすぎないと思えるのだ」
私が夢の存在なのか、それとも、彼らが夢なのか。
手で触れ実際に確かめる事ができるくらい、疑いもなく、私にとって、これは現実だ。
この人を愛している、と。
キリキリと胃が痛くなるほど切なくなる、と。
「帝、今を楽しみましょう。わたしたちの時を」
「いつまでも、永遠にそなただけを愛そう」
その言葉を最後に、時が止まった。
華やかな宴の夜が、ピタリと静止している。
灯籠の炎が、右にゆらぎ。
木の葉が空中で留まり。
右大臣がこぼした酒が、床の数センチ上で泡に。
だめよ、まだ早い。
待って、もう少しだけ。
隣りにいる帝の優しげな目は、すでに何も見ていない。空洞になった瞳は、こちらを見ているが、瞳の奥は数秒前の私を写しているだけ。
中途半端に上がった静止した指に触れてみる。それは恐ろしいほど冷たい。生きてはいないようだ。
次に、私は真っ白な空間にいた。
無音の世界。
周囲には何もない。ただ、どこまでも、どこまでも白い。
白、白、白。
ぼんやりと何かが見え、徐々に形になっていく。すぅーっと床をすべるように、それは近づいてくる。目の前に、ベッドに腰をおろした儚げな少年がいた。
白、白、白。
白く長い髪が床まで届く、白い衣を身につけた神々しい少年。
この少年、どこか懐かしい気がする。
「あなたは誰なの?」
──戻る時間だよ。
「もう? わたし、帝に別れの言葉も伝えていない。それに、なぜ、今なの。何かを成し得たわけでもない。この世界にわたしを送った理由もわからない」
──おまえに楽しんで欲しかった。生きる実感と、愛を知って欲しかった。おまえを愛しているから。
「しつこいわね。なぜ、繰り返し、わたしを愛していると言うの? 前に会った気がするけど、ちがう?」
──思い出すな。ただ、おまえのためにしたことだ。
「わたしのため? 独りよがりね、自分のためじゃないの?」
──ああ、そうだ。最初に言っただろう、俺はNTR専門の男だ。今こそ奪う時だろう。
……
ベッドに腰を下ろす少年は、静かに私を眺めている。
知っている。たしかに、この白い髪の少年を知っているはずだ。懐かしい、この気持ち。
「あんたなのね」
──思い出すな。いやになるよ、姉ちゃん。ほんと興醒めだ。
「バカね、私が忘れていたなんて、本気で思っていたの? それに、本当は思い出してほしいはずよ。わたしの脳の一部を、こんな面倒なことに巻き込むなんて」
──愛を知っただろう。俺の気持ちがわかるだろう? 永遠に姉ちゃんを愛しているんだ。
「残念ね、不憫な弟よ。あんたは永久にわたしには勝てないわ」
− 『源氏物語』朧月夜の章:完 −
転移したら「光源氏」が本当に光っていた件について 〜光源氏は事故案件!〜 雨 杜和(あめ とわ) @amelish
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