第5話『新たな未来に踏み出して』

 いつものように、今日も大樹海は静かに時を刻む。

 いつものように、天候預言を済ませる。

 いつものように、階段を下りる前に……私は立ち止まる。

 いつもとはちがい、人を待つことにする。


 階段わきこよみに目をやると、金文字をきらめかせながらその時刻を教えてくれる。


 20XX Lon.7 6:02


 もうすぐね。


 あの日から数日。フェネルから手紙が届いた。何が書いてあるのかと楽しみに開封かいふうしたけれど、そこに書かれていたものは別段私を楽しませるようなものではなかった。


 ロンラノン6番目の月7の朝6時頃にむかえに行くこと。

 その日は東雲しののめ村をめぐること。

 そして、フォレスフォードの転移陣てんいじんの場所を探しておくこと。


 それだけだった。


 なんでここの転移陣の場所を知らないの? とは思ったけれど、フェネルは帰るときもほうきで飛んでいくんだった。それなら忘れてしまっているにしても、知らないにしても納得できる。


 簡素な手紙だけれど、私はそれが届いてから、ずっとワクワクしている。まるで、6年前までの毎日のように。今まで何とも思わなかった大樹海の景色も、なんとなく退屈に見えるようになってきていた。


 午前6時。――そう、私が天候預言をする時間。つまり、フェネルがここにやってくる。東の空を見上げると人影ひとかげが確認できる。


 まったく、やっぱり来るときはここからなのね。今回は最初から分かっていたけれど。


 段々と姿がはっきりわかるようになり、樹冠じゅかんに侵入してくるフェネル。いつもよりもなめらかに侵入し、速度を落として私の前で止まる。もちろん足は地につけずに箒にまたがったまま。


「おはよぉー」

「おはよう。フェネル、待ってたわ。やっぱりあなたはここから入ってくるのね」

「そりゃぁ、この時間なら絶対ここにいるからねぇ。箒だからなおさら都合がいいんだよぉ」

「まあいいわ。今日はあなたのお店に行くのよね」

「そうだねぇ、それから村を見て回ろうねぇ。それで、転移陣の場所は見つけたかい?」

「ええ、ばっちりよ」

「そりゃあよかった。それじゃ、東雲に向けて出発しようねぇ」


 フェネルは静かに箒のの先を螺旋らせん階段に向ける。それを見て、私は先に立って歩き出す。

 相変わらず、私とフェネルの間には階段1段分の隙間すきまが空いている。




 樹冠から続く螺旋階段を下りて大樹海にもぐり、迷路のように入り組んだ集落を抜け、1本のウェザーウッドの前で立ち止まる。大きくけた幹の中には、魔法陣がえがかれている。


「ここよ。フォレスフォードの転移陣」

「うんうん、らしいところにあるねぇ」


 そうフェネルがうなずく。彼女はここが故郷こきょうなはずなのだけれど。


「ヴェーラは転移陣使ったことあったっけぇ?」

「ないわよ。覚えている限り」

「それじゃ、少しだけ準備をしないとねぇ?」

「準備?」

「大したことじゃないよぉ。これを使うんだぁ」


 そう言って彼女はポシェットから小箱を取り出す。


「それは何?」

「転移陣の起動に必要な魔力まりょくを測るものだよぉ」


 そう言うと、その箱を私に差し出す。私が使うのだろうと察してその箱を受け取る。

 箱の中には6個の小瓶こびんが入っていて、瓶の底にはそれぞれ違う粉が少しだけ入っている。赤、オレンジ、黄色、青緑、暗い青。そしてそれらのはなやかな5色とはあまりにも場違いな真っ白の粉。


「これ、どうやって使うの?」

「転移陣にりかけるんだよぉ」

「何色から?」

「何色ぉ? 使うのは白い粉だけだよぉ」


 てっきり、それぞれの色で起動を試すのかと思った。それじゃ、色付きの5色は何なのだろう。答えはすぐにフェネルが教えてくれた。


「白い粉で転移陣を起動すると、その人が起動するのに必要な色を教えてくれるんだよぉ」

「なるほどね、白いのは試験用なのね」

「そうだよぉ」

「じゃあ、他の5色はどういう風に見ればいいの?」

「そうだねぇ、白以外の粉は転移陣の通行料みたいなものだよぉ。一定量のマナを転移陣に注がないと、起動してくれないからねぇ」

「払うのはお金じゃなくてマナなのね。それじゃあ、5色の粉は金貨とか銀貨みたいなお金ってこと?」

「そういう認識でいいよぉ。色ごとにマナの量と値段が違うからねぇ」

「どれくらい違うの?」

「それこそ、マナの量は金貨とか銀貨とかの単位くらい違うねぇ。値段も大体それ相応って感じかなぁ」

「何色のが1番高いのかしら?」

「これだねぇ、スカーレットのやつだよぉ」


 フェネルが赤い粉の入った瓶を指す。


「どれくらいするの?」

「1瓶で白金貨はっきんか1枚くらいだったかなぁ」


 白金貨は黄銅おうどう、銅、軽銀けいぎん(アルミニウム)、銀、金、白金と6種ある硬貨の内で最も高額なもので、それぞれの硬貨は10枚で1つ上の硬貨と同じ価値になる。

 黄銅貨は1枚はパンが1個買える程度の価値だ。


「はぁ? お金持ちくらいしか買えないじゃない!」

「1瓶は100回分だから、手が届かないってわけじゃないよぉ」

「それでもかなり高いわ……。それじゃ、1番安いのは?」


 今度は暗い青の粉が入った瓶を指す。


「コバルトブルーのだねぇ。1回で銅貨5枚くらいだよぉ」

「全然値段が違うじゃない。それだったら移動手段として現実的ね」

「でも、これを使うのは一部の上級魔法使いだけなんだよぉ。大体の魔法使いはエメラルドグリーンのを使うんだぁ、私もそうだねぇ」


 そう言うと、ポシェットから青緑色の粉が入った小瓶を取り出して見せる。転移陣を普段使いするであろうフェネルがその色を使うとなると、尚更なおさら意味が分からない。普通に考えたら1番安いのを使うはずなのに。


「なんで?」

「保険だよぉ。疲れてる時とか、調子悪いときに起動しなかったら困るからねぇ。値段も他と比べればマシなんだぁ。まぁ、調子が良い時はコバルトブルーのを使ったりして節約する人もいるんだけどねぇ」


 どうやら、保険をかけて1段階マナの多いものを使うのが鉄板らしい。言われてみれば納得の理由だ。


「それで、値段は……?」

「1回分で軽銀貨1枚、往復で2枚だねぇ」


 フェネルは店をやってそれなりに収入があるはずだから良いけれど、私はそんなにお金を持ってない。


「それ、ちょっと高くない?」

「まあ、ちょっと高いかもねぇ? それでも、全世界を自由に移動できると考えたら妥当な値段じゃないかい?」


 全世界って、私は大樹海の外の世界を知らないのだけれど。


「私、フローハンメル大樹海から出たことないのよ? 理解できないわ」

「そうだったねぇ。理解できるかはこれからのヴェーラ次第、だねぇ?」


 何回か使ったら、その価値がわかるということなのかな?


「実際に使わないと分からないものね」

「そうだねぇ、とりあえず転移陣を使ってみようよぉ。今はお金のことを考える時じゃないしねぇ」


 本筋を外れて粉の値段の話になってしまっていた。本題は、転移陣の起動を試して使う粉の色を決める、だったはず。


「どうやって起動するの?」

「白い粉を振って転移陣から光が出たら呪文じゅもんを唱えるんだよぉ」

「呪文って?」

「あぁ、呪文の方がまだだったねぇ。えぇとぉ……ここだと、リグスタ・オ―・リリマック、レヴィ・ラル・フォレスフォード……。いや、起動部分だけだからぁ、リグスタ・オー・リリマック、だけでいいねぇ」

「結構長いのね、全部覚えるの苦労しそうだわ……。それと、言い方的にここじゃないと使えないみたいじゃない」

「あぁ、後半部分が行先の部分だからねぇ。そっちは使うときに教えるよぉ。ともかく、言ったとおりにやってみなよぉ。呪文は『リグスタ・オー・リリマック』だけでいいからねぇ」


 とりあえず方法はわかったので、私は転移陣の起動を試すことにする。

 瓶をひっくり返して白い粉をてのひらせる。そしてそれを転移陣の真ん中に立って粉を振りまく。すると、転移陣から白色の光がこぼれだす。それを確認して、私は言われたとおりに呪文を唱える。


「リグスタ、オ―、リリマック……」


 転移陣が放つ色が暗い青色に変わる。


「ほえぇ、なるほどねぇ……」


 フェネルが少しおどろいた表情で転移陣を見つめる。


「ヴェーラはかなり魔力が強いみたいだねぇ。ただ――」


 彼女は上を見上げて、そしてこちらに視線を移す。


「ここって、樹木の中にある転移陣だからぁ、もしかしたら普段よりも魔力が強くなってるのかもねぇ?」


 言われてみればそうなのかもしれない。植物からマナを借りることは魔法使いの間でごく普通に行われているみたいだし。

 その中でもウェザーウッドからマナを借りるのは最高クラスに難しいらしい。だけれど、天候預言で日常的にマナの力を受け取っている私からしたら、難なく力を借りることができる。ただ、さっきマナの力を借りたかどうかはわからないけれど。


「まぁ何にせよ、東雲とフォレスフォードの行き来は何色でも問題なさそうだねぇ」

 

 シノノメの方で大丈夫だと言える理由は? それに、どの色でも問題ないって、保険をかけるって話は何だったのよ?


「ここは樹の中だからいいけれど、東雲の方は本当に大丈夫なの? あと、粉は青いのでいいの? 青緑のじゃなくて大丈夫なの?」


 フェネルは首を縦に振る。


「大丈夫だよぉ、向こうにも植物が近くにあるからねぇ。あっちに植えてるのは私が管理してるものだから、ヴェーラならマナを借りるのも余裕よゆうなはずだよぉ。それと、体調が悪かったらそもそも移動したくないもんねぇ?」

「確かに、それもそうね」

「あと、コバルトブルー2回分でエメラルドグリーン1回分だからねぇ?」


 そうだった。転移陣起動に使う粉、高いんだったわね。


「とりあえず転移陣も起動出来たし、使う粉の色も決まったから、そろそろ実際に使ってみるかい?」

「ええ、出発ね」


 私は、転移陣の起動手順を反芻はんすうする。


「暗い青の粉を使って、その色に陣が光ったら呪文を唱えるのね。唱えるべき呪文は、リグスタ・オー・リリマック……あれ?」


 この先は行先、東雲のはずなのだが私はこの先を知らない。


「チェル・サツ・シノノメだねぇ。慣れてきたら、もっと短くできるんだけど、最初はそのまま覚えてねぇ。」

「リグスタ・オー・リリマック、チェル、サツ、シノノメ、ね。わかったわ」

「あと、変な空間に放りだされるけど、到着まで動いちゃいけないよぉ」

「変な空間?」


 若干ぼかしていってる辺り何かあるのだろうといぶかしむ。


「うーん、今いる世界じゃない魔法空間って言うのかなぁ。まぁ、自分の目で確かめてみてねぇ? でも、動いちゃダメだよぉ」

「ええ、わかったわ」


 私は小瓶から暗い青色の粉を取り出すと、転移陣に振りまく。今度は、転移陣が粉と同じ色のにぶい光を放ちだす。それを確認して、私は呪文を唱える。


「リグスタ・オー・リリマック、チェル・サツ・シノノメ――」


 詠唱えいしょうを終えると、周囲がやみに包まれて無数の星が輝く空間に放り出される。

 これがさっき言っていた変な空間、明らかな異世界。まるで、宇宙にいきなり放り出されたかのような場所。


 うわぁ……!! なにこれ、すごい!


 さっきと言ったのは、私にこれを見せて楽しませたかったのだろう。この空間の中を移動したくなるが、フェネルの忠告ちゅうこくが頭によぎる。


 動いちゃダメ。動くな、動くな……。


 そう自分に言い聞かせる。

 しばらくすると星が見えなくなり、視界は闇に包まれる。闇が晴れると、さっきまでとは別の空間が目の前に広がる。


 転移は終わったのかな……?


 辺りを見回すと、そこは樹の中のうす暗い場所ではなかった。私は、き乱れる花々に包まれた明るい広場の真ん中に立っている。足元を見ると、光を失った転移陣が描かれている。


 ここが……シノノ、メ?


 名前も知らない花々をよく見ようとして数歩進むと、後ろから声がする。


「ふぅ、ヴェーラが転移陣の中に居なくてよかったよぉ。転移は成功したみたいだねぇ」

「えっ……? 転移陣の中に居なくてよかった?」


 私のすぐ後にフェネルも転移したらしい。何やら少しいやな予感がする。


「大事なこと、忘れてたねぇ。転移したらすぐに転移陣から出ないといけないんだよぉ。危ないからねぇ」

「めちゃくちゃ大事なことじゃない! 先に言ってよね」

「ごめんごめん。まぁ、ともかく――」


 フェネルは広場から伸びる小径こみちへと歩いていくと、こちらを向いて両手を広げる。


「ここから先が、東雲だよぉ」


 私も彼女に続き広場から出ようとする。すると、フォレスフォード似た、それでいてそことは違う空気が顔に当たる。

 

 ――この先が、シノノメ。本当に、違う場所に来たんだ……!


 私は初めて、大樹海の外の世界へと足を踏み出す。故郷とは違う空気をはだで感じて、ゆっくり、そしてしっかりと大地を踏みしめる。――それと同時に、1段分の隙間がうままった気がする。


 ……あと1段。もう1段。


 その1段は、近いようで遠い。

 その1段は、6年という時間のかべ

 その1段は、変わったフェネルと、変わらなかった私の壁。

 その1段は、今までの私が埋められない壁。

 その1段は、今の私なら埋められる。私が、私の未来が変われば、埋めることができる。

 

 今の私は、変わろうとしている。変わらなかった自分を捨てて、前に進もうとしている。


 もう1歩、フェネルの方に近づく。


 少しずつでいい。未来の時間を使って、その壁を埋めて、いつか同じ場所に立つ。そして、昔と同じような時間を、過ごしたい。


 私はその日を夢見る。


 フェネルと、その手の中にある、モッコウバラのランタンを追いかけて。

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モッコウバラを追いかけて 八咫空 朱穏 @Sunon_Yatazora

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