モッコウバラを追いかけて

八咫空 朱穏

第1話『見えない文字を見つけて』

 フローハンメル大樹海の中にたたずむ絶海の孤島、“要塞ようさい”フォレスフォード。

 若葉色や鮮緑に染まる世界を眼下に“要塞”の1日が始まる。未明まで出ていたきり残骸ざんがいが朝日に照らされ、樹々を宝石のごといろどる。本日も快晴、朝日を背に鳥が1羽飛んでいる。


 鳥のさえずりに耳をませながら木の周囲にかけられた右巻きの螺旋らせんを上る。300段は優にあるだろう、樹冠じゅかんへと伸びる階段。所々にこけやシダが生え、朝露あさつゆの装飾をきらめかせている。

 程よく自然と調和した人工物はフォレスフォードの至るところに見られる。この螺旋階段もそのうちのひとつだ。


 1段ごとに遠くなる大樹海の海面。見慣れた風景になど目もくれず、階段の終点にあるほこらを目指す。ウェザーウッドの樹冠最上部にある祠で行う儀式ぎしきが私の日課であり、その日課は樹上集落の民にとってはとても大切な仕事だ。


 程なくして階段を上りきって祠に到着する。その場所は枝葉のしげる樹冠の中。ウェザーウッドの樹冠の、その中でも最上部に当たる場所だ。その空間はドーム状に枝が伸びていて、その隙間すきまを葉がめている。枝は上部まで伸びてはおらず、ドームの上部は青空が見えている。

 れる木漏こもれ日に雲の無い青空。絵画のような神秘的な空間の真ん中にその祠は設置されている。祠はとても味気ないように見えけれど、この空間と相まってどこか神聖な雰囲気ふんいきがある。他の人が見たらどうかはわからないけれど、私はおもむきがあっていいと思っている。


 軽く樹冠を見渡した私は、時間の確認も兼ねて階段の脇にあるこよみ一瞥いちべつする。


 20XX Wis.24 5:57


 大理石に金文字で時刻が刻まれている。


 次の週からロンラノン6番目の月、世界は夏に入るのね。


 夏になるといっても、ここではこの変化は感じられない。多少の気温の変動はあるけれど、常緑の大樹海の季節は変わらないのだ。たった1日だけ、変わる日はあるのだけれど……。




 午前6時になった。


「おはよう。ウェル」


 集落の長老が祠にやってきた。いつもより少しだけやってくるのが早い。


「おはようございます、長老」

「ウェル、今日の預言はどうなっているのだ?」

「今から樹木より授かります」

「おぉ、そうかそうか。それじゃあ、儀式を見させてもらうよ」


 そう言うと、長老は壁に備え付けられているベンチに腰掛ける。

 長老が腰掛けるのを見届けて祠に正対すると、祝詞のりとを読み上げる。天子預言の儀式の始まりだ。


「“風雨神ふううしん”レイラにより力を与えられし、神聖なる樹木よ。なんじの声をきたし、我に力を与えよ」


 祝詞を詠唱えいしょうすると、私を中心にそよ風が起こる。両手を広げてひとみを閉じる。樹木から送られる微量びりょう魔力まりょくを感じ取る。


 その後に訪れるのは数十秒間の沈黙ちんもく


 沈黙ののちにかすかな、それでいて風の起こすようなものではない、特異な葉擦はずれの音が聞こえる。これがウェザーウッドの樹木が告げる儀式終了の合図だ。


「“風雨神”により力を与えられし、神聖なる樹木。汝の声、汝の力をたまわった。神聖なる樹木とフォレスフォード、それを包むフローハンメル大樹海に“風雨神”の加護のあらんことを」


 これで儀式は終了。長老のいる方へ振り向くと、樹木から授かった預言を伝える。


ウィスタリオン5番目の月24、天候預言。陽光さえぎるものなし。樹々大きく揺れるもなし。黄昏たそがれ一刻前には時雨しぐれに注意されたし。今日1日、“風雨神”の加護のあらんことを」


 淡々たんたんとウェザーウッドから授かった預言を読み上げる。


「ほほう、今日も平穏へいおんな1日が送れそうじゃ。何もないのが老いぼれには一番の幸せよ。ウェルもよい1日をな」

「ええ。長老もよい1日を」


 長老は集落の皆に預言を伝えるために階段を下りていった。




 仕事を終えて一息つくために階下の部屋へ向かう。その部屋は祭り事で炊事場すいじば休憩きゅうけい室として年に数回利用される程度で、普段は私くらいしか立ち入らない場所。私にとってはだれ邪魔じゃまの入らない、絶好の休憩場所だ。


 階段を3段降りたところで「やっほー!」とやや遠くから声がする。


 階段の先に目をらすが、人影らしきものはない。正面ももちろん何もない。右も同様、空中に人など居るわけがない。左は木の幹だ、ありえない。後ろを振り返る。もちろん、長老が降りていった後だから誰もいない。では、上は……?


 見つけた。


 もうスピードで突っ込んでくる、飛行物体を。それはぽっかりと空いた天井てんじょうから入ってきて、急減速。そして私の目の前、階段の2段上で空中に止まった。

 こんなに至近距離でぴったりと静止できるものだと、毎回ちょっと感心する。


「ヴェーラ、おはよぉー。久しぶりだねぇ」


 緑髪みどりがみの魔法使いらしき格好をした女の子が話しかけてくる。彼女はフェネル。魔法使いで、私の幼馴染おさななじみ。フェネルには、定期的に集落の樹々の健康状態をみててもらっている。今日もおそらくそれの日だろう。久しぶりもなにも毎月1回の定期的なやり取りなのだけれど。


「おはよう、フェネル。毎回毎回、そこから入ってくるなって言ってるじゃない!」

「えー、だってぇ、ヴェーラいっつもここににいるじゃん」

「あんたが毎回この時間に来るからよ」

「ごめんごめん」


 そう謝ってはくるけれど、多分反省はしていないだろう。多分、次に来るときも同じやり取りをする。私も注意はするけれどやめろとは言わない。そんな他愛ないやり取りを交わしながら、私はある違和感いわかんを覚える。私と同じくらいの背丈せたけのはずのフェネルの目線がみょうに高く感じる。

 足元をちらっと見ると、フェネルはほうきまたがったまま空中に浮いている。


「いつまで箒に跨ってるの? 早く降りればいいじゃない」

「ヴェーラが、神聖な場所に足付けるなっていうからだよぉ」

「ええ、確かに言ったわ。だけれど、ここは階段。普通の場所よ? 1段登ったら許さないけれど」


 地上に降りることを許されたフェネルは静かに箒から降りる。るしていたランタンを手に取って空いている方の手で箒を持つ。

 陽光を浴びて金色にかがやくそのランタンは、先月私がフェネルにおくったプレゼント。大切に使ってくれているようでちょっと表情がゆるむ。


「なんでわざわざ飛んでくるのよ?」


 ここにだって転移陣はあるし、なんなら大陸全ての都市に1つは存在するらしい。それなのに、転移陣を使った上でメリアリルムから箒で飛んでくるのはよくわからない。メリアリルムからここまでは250km程もある。


「そりゃぁ、楽しいからに決まってるじゃないか。ほんとは東雲しののめから飛んできたいとこなんだけど、遠すぎるからねぇ」

「普通はそんなこと考えたりしないわよ。全速力で1日以上海の上を飛び続けるなんて狂気きょうき沙汰さただわ」

「冗談だよぉ。ヴェーラ、真に受け過ぎなんだってぇ」

「あなたの冗談はわかりにくいのよ。ほんとにやっちゃったりするじゃない」


 実際に彼女は半日の間全速力で飛び続けたことがある。1,200kmだったか1,500kmだったかはっきりと距離は覚えていないけれど、よくそんなにも飛べるものだと思った。案の定というか、その次の日は疲労で寝込ねこんだみたい……。


「数時間飛んでいるならあなたも一息つきたいでしょう。丁度、私もゆっくりしたかったから休憩場所に行かない?」

「お、いいねぇ。その話乗ったよぉ。そこで少し休んでから、樹々をていくねぇ」

「それじゃ、行きましょうか」


 彼女の同意を確認すると階段を下り始める。箒を降りたフェネルも後に続く。


 ……あれ?


 微かな違和感を覚えて後ろを振り向く。当然フェネルはそこにいる。


 私よりも、2段上に。


 そして、いきなり立ち止まった私に不思議そうな顔を向けている。


「どうかしたのかい?」

「いえ、何でもないわよ」


 私は何事もなかったかのように、再び前を向いて階段を下り始める。


 紙が1枚ずつ積み重なって束になっていくような感覚。何も変わらないと思っていたのに、気付いたらいつの間にか分厚くなっているその変化。

 毎日変わることのないうすっぺらな日常を積み重ねて、6年。フェネルもフェネルの日常を積み重ねて、6年。私とフェネルは同じ時間の数だけ、その日常という紙を積み重ねたはず。


 当然、新たに重ねる紙に書かれたフェネルの文字は、私からは見えると思っていた。だけれど今は、その文字は私からは見えない。いつの間にか見えなくなっていた。昔は見えていたはずなのに。今の私に見えるのは、紙束の側面とフェネルの姿だけなのだ。

 

 ――何もない訳、ないじゃない。昔はもっと近かったのに。もっと……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る