モッコウバラを追いかけて
八咫空 朱穏
第1話『見えない文字を見つけて』
フローハンメル大樹海の中に
若葉色や鮮緑に染まる世界を眼下に“要塞”の1日が始まる。未明まで出ていた
鳥のさえずりに耳を
程よく自然と調和した人工物はフォレスフォードの至るところに見られる。この螺旋階段もそのうちのひとつだ。
1段ごとに遠くなる大樹海の海面。見慣れた風景になど目もくれず、階段の終点にある
程なくして階段を上りきって祠に到着する。その場所は枝葉の
軽く樹冠を見渡した私は、時間の確認も兼ねて階段の脇にある
20XX Wis.24 5:57
大理石に金文字で時刻が刻まれている。
次の週から
夏になるといっても、ここではこの変化は感じられない。多少の気温の変動はあるけれど、常緑の大樹海の季節は変わらないのだ。たった1日だけ、変わる日はあるのだけれど……。
午前6時になった。
「おはよう。ウェル」
集落の長老が祠にやってきた。いつもより少しだけやってくるのが早い。
「おはようございます、長老」
「ウェル、今日の預言はどうなっているのだ?」
「今から樹木より授かります」
「おぉ、そうかそうか。それじゃあ、儀式を見させてもらうよ」
そう言うと、長老は壁に備え付けられているベンチに
長老が腰掛けるのを見届けて祠に正対すると、
「“
祝詞を
その後に訪れるのは数十秒間の
沈黙ののちに
「“風雨神”により力を与えられし、神聖なる樹木。汝の声、汝の力を
これで儀式は終了。長老のいる方へ振り向くと、樹木から授かった預言を伝える。
「
「ほほう、今日も
「ええ。長老もよい1日を」
長老は集落の皆に預言を伝えるために階段を下りていった。
仕事を終えて一息つくために階下の部屋へ向かう。その部屋は祭り事で
階段を3段降りたところで「やっほー!」とやや遠くから声がする。
階段の先に目を
見つけた。
こんなに至近距離でぴったりと静止できるものだと、毎回ちょっと感心する。
「ヴェーラ、おはよぉー。久しぶりだねぇ」
「おはよう、フェネル。毎回毎回、そこから入ってくるなって言ってるじゃない!」
「えー、だってぇ、ヴェーラいっつもここににいるじゃん」
「あんたが毎回この時間に来るからよ」
「ごめんごめん」
そう謝ってはくるけれど、多分反省はしていないだろう。多分、次に来るときも同じやり取りをする。私も注意はするけれどやめろとは言わない。そんな他愛ないやり取りを交わしながら、私はある
足元をちらっと見ると、フェネルは
「いつまで箒に跨ってるの? 早く降りればいいじゃない」
「ヴェーラが、神聖な場所に足付けるなっていうからだよぉ」
「ええ、確かに言ったわ。だけれど、ここは階段。普通の場所よ? 1段登ったら許さないけれど」
地上に降りることを許されたフェネルは静かに箒から降りる。
陽光を浴びて金色に
「なんでわざわざ飛んでくるのよ?」
ここにだって転移陣はあるし、なんなら大陸全ての都市に1つは存在するらしい。それなのに、転移陣を使った上でメリアリルムから箒で飛んでくるのはよくわからない。メリアリルムからここまでは250km程もある。
「そりゃぁ、楽しいからに決まってるじゃないか。ほんとは
「普通はそんなこと考えたりしないわよ。全速力で1日以上海の上を飛び続けるなんて
「冗談だよぉ。ヴェーラ、真に受け過ぎなんだってぇ」
「あなたの冗談はわかりにくいのよ。ほんとにやっちゃったりするじゃない」
実際に彼女は半日の間全速力で飛び続けたことがある。1,200kmだったか1,500kmだったかはっきりと距離は覚えていないけれど、よくそんなにも飛べるものだと思った。案の定というか、その次の日は疲労で
「数時間飛んでいるならあなたも一息つきたいでしょう。丁度、私もゆっくりしたかったから休憩場所に行かない?」
「お、いいねぇ。その話乗ったよぉ。そこで少し休んでから、樹々を
「それじゃ、行きましょうか」
彼女の同意を確認すると階段を下り始める。箒を降りたフェネルも後に続く。
……あれ?
微かな違和感を覚えて後ろを振り向く。当然フェネルはそこにいる。
私よりも、2段上に。
そして、いきなり立ち止まった私に不思議そうな顔を向けている。
「どうかしたのかい?」
「いえ、何でもないわよ」
私は何事もなかったかのように、再び前を向いて階段を下り始める。
紙が1枚ずつ積み重なって束になっていくような感覚。何も変わらないと思っていたのに、気付いたらいつの間にか分厚くなっているその変化。
毎日変わることのない
当然、新たに重ねる紙に書かれたフェネルの文字は、私からは見えると思っていた。だけれど今は、その文字は私からは見えない。いつの間にか見えなくなっていた。昔は見えていたはずなのに。今の私に見えるのは、紙束の側面とフェネルの姿だけなのだ。
――何もない訳、ないじゃない。昔はもっと近かったのに。もっと……。
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