第4話『見えない水面を覗き込んで』

 あれから1か月が経った。あの時は効果があると期待したプレゼントも、今となっては思っていたほどの効果はなかったのだと実感させられる。いや、おくった時には十分すぎる効果があった。あったのだけれど……。

 私とフェネルの距離は、その時よりも広がってしまったように感じる。何もしないままでは開いていく一方だ。どうしたらこの距離は埋まるのだろう?

 

 私は、どうすればいいんだろう……?




 ふと、顔に当たる熱気を感じて現実に引き戻される。目を落とすと、水が沸騰してもくもくと白い湯気を上げている。


「ほら、お湯がいたわよ。そろそろ座ってね」

「はぁい」


 フェネルは相変わらずまどに張り付いていたが、私の言葉で窓からはなれて椅子いすすわる。私もフェネルに向かい合うように座る。

 ふたつのカップにお湯を注いで、ティーバックをひたして紅茶こうちゃ抽出ちゅうしゅつする。


 鳥たちのさえずりと、出来上がっていく2杯の紅茶。それとはしに置かれたランタン。天井てんじょうから部屋を照らす暖色の光。まるで喫茶店きっさてんにいるかのよう。


 しばらくふたりの間に無言の時間が流れてる。空気が少し重くなってきたところでフェネルが口を開く。


「いやぁ、こっちの植生は新鮮でいいねぇ。いつ見ても変わらないからさぁ」

「……フェネルもすっかり外の人間になったわね」


 不意に口から言葉が出る。その言葉に反応するようにフェネルの首がかたむく。


「ほぇ?」

「あなた、元々ここの人間でしょう?」


 フェネルもここ、フォレスフォードの出身。様変わりしない大樹海を見慣れているはずなのだけれど……。


「んー? そういえばそうだった、ねぇ?」


 覚えているような、いないような曖昧あいまいな返事が返ってくる。フェネルはフォレスフォードに居ることが少ないから、ちょっと答えづらかったかもしれない。


 なんだかそのまま話を続けたらいけないような気がして話題を変える。それからしばらくは最近の出来事を話した。私はフォレスフォードのことを、フェネルはシノノメのことを。私の番とフェネルの番を交互に繰り返す。当たり障りのない雑談は、ほんのり昔を思い出すようで心地いい。




 何度目かの私の話す番が終わって、次はフェネルの番になる。


「そうそう、私がフォレスフォードを出てったの、覚えてる?」

「もちろん。かなりショックだったもの。6年前のスプルーン(3番目の月)だっけ?」

「もうそんなに経ってるんだねぇ」

「6年って、かなり長いんじゃないの?」

「うーん、そうだねぇ。長いと言えば長いのかなぁ」

「なによそれ。6年が短かったって言いたいみたいじゃない」

「どっちかと言ったら、短かったからねぇ。魔法学校で4年、旅で1年、それから店を開いて1年。確かに、6年経ってるねぇ」


 まるで人事かのように、自分の過去を列挙してから納得する。フェネルの6年は、少なくとも私より色々なことを見た6年に違いない。


「それじゃあ、その3つの中で一番短く感じたのはどこなのよ?」

「そりゃあ、旅をした1年だよぉ」

「どんなことがあったの?」

「魔法学校を出てからは、ほうきに乗って世界を旅したねぇ。凍土とうどの都会に、帝国の都。南の島々に北の大陸、それに竜族りゅうぞくの島……色々な場所をめぐったなぁ」

「へぇ、楽しそうね」


 うれしそうに話す表情から伝わる旅の記憶。その表情は12歳のフェネルと変わっていない。


「うん、楽しかったよぉ。色んな植物が生えてて、色んな場所があって、色々な人がいたんだよぉ」

「世界は広いものね。大樹海よりも、ずっと」


 そう、世界は広い。大樹海よりもずっと――。


「そうだねぇ。フローハンメルなんかより、とっても広かったよぉ。でもねぇ、それよりももっと面白かったものがあったんだぁ」

「それは、何かしら?」

「世界は変わるってことだねぇ」

「どういうことかわからないわ……」


 フェネルは少し考える。


「店を開く前に、1回だけフォレスフォードに戻ってきたの覚えてる?」

「え? 1年前のあの時が最初じゃないの?」

「あー……。実はその前に1回だけあったんだよぉ。ヘタゼオン(8番目の月くらいだったかなぁ。その時は、フォレスフォードの周りを飛んだだけだったからねぇ」

「フォレスフォードを見に来ただけなのね。それなら私がおぼえてなくて当然だわ」

「そうだねぇ。その後にもう1回世界を巡ったんだぁ。でもねぇ、何もかもがちがった。同じ場所でも、違う場所に見えたんだぁ」


 同じ場所だけれど、違う場所? 大樹海はいつでも同じ姿をしているのに?


「なんで……?」

「季節が違ったからだねぇ。街に植えられている植物も、野に生えている植物も変わってたんだぁ。気温や気候も違ったねぇ。それがとっても面白かったんだよぉ。もちろん、あんまり変わらない場所もあったけどねぇ。南の島々とか、氷に閉ざされたところとかは変わらなかったねぇ」

「ここには変化がないものね」


 フォレスフォードは季節がない大樹海の中にある小さな集落。ここは大樹海と同じで変化がない。気温の微妙びみょうな変化はあるけれど、樹々は1年中青々としげっている。


「フォレスフォードは世界のどこよりも変わらなかったねぇ。何回来たって同じ、昔と変わらない景色なんだぁ。そういう場所が故郷なのもいいけどねぇ」


 何も変わらず、静かに時を刻む“要塞ようさい”が特殊とくしゅなのは1度集落の外に出ればわかるらしい。だけれど、外のにぎやかさには疲れるから長く居たくない。集落の外に出たことがある民は皆口をそろえてそう言う。

 大樹海を出ればそこは四季の移ろいと賑わいのある世界なのだろう。フェネルの話を聞いて、改めてそう思う。外の世界は、フォレスフォードの民に似合わない世界なのだろう。


 だけれど、同じ集落の民でもフェネルは違った。フェネルには、少しだけこの場所が合っていない。集落の民と何かが違う、私たちが持っていない何かを持っている。

 昔から感じていた漠然ばくぜんとした疑問。


 それが今、解決した。


 彼女が変化を求めていたことを。そんな彼女だからこそ、親の反対を押し切って、フォレスフォードを出てまで“北の大陸”で魔法を学び、世界を旅して、遠くシノノメの地に店を構えた。


 ……そうか。


 変化のある生活を求め、その中に飛びんで、外の生活に慣れていったフェネル。

 いつしか変化のある日常が普通になって、不変の故郷は昔の記憶として奥底に押し込められた。だからこそ見慣れたはずのこの景色が逆に、新鮮に映るのだろう。


 そんなフェネルが少しだけうらやましい。


 私はフェネルと違って、外の世界を見たことがないし知ろうともしなかった。季節の無い大樹海の中で毎日変わらず天候の預言をして過ごしている。私はきっと、今この目に映る景色をこれからも眺めて過ごすのだろう。悠久ゆうきゅう樹海と呼ばれる大樹海を眺めて、この先もずっとここで過ごす。残りの生涯しょうがいをここで過ごすのだ。


 ――嫌だ。

 ……嫌だ?

 なんで……?


 初めてだ。何も疑わずに重ねてきた日常を、嫌だと思ったのは。だけれど、このままじゃ何も変わらない。今までと同じような日常を重ていくだけ。


 近づきたい。フェネルに近づきたい。だけれど、どうすれば……どうすればいいの?


「変わらない大樹海から出たら、何か変わるのかしら」


 言葉がこぼれる。意外な言葉に面食らったようだけれど、フェネルは私に言葉をける。


「1度、ヴェーラの目で確かめてみるのが良いねぇ。もちろん気が向いたら、だけどねぇ」

「…………」


 そっと、背中を押されたような気がする。フェネルはこばんんでいない。そして、さそってもいない。


 私がどうするかを決めなけば、いけない。


 どうしていいのかわからずに目を落とすと、紅茶の水面がかすかにれている。まるで今の私のよう。


 とても高い位置の飛び込み台に立っている私は、フェネルに背中を押されてどうすればいいのだろう? 

 その場でみとどまることもできる。押されたままに一歩前に進んで、きりがかかっていて見えない水面に向かって飛び込むこともできる。もちろん、そんな高い場所に居るんだからこわい。だけれど、変わることを選ぶなら飛び込まないといけない。


「天候預言が大事な仕事なのはわかるよぉ。フォレスフォードには欠かせない仕事だもんねぇ。でもねぇ、たまには外に出てみるのもいいんじゃないかい? 何か変わると思うよぉ」


 そう続けると、カップをテーブルに戻す。


「さて、そろそろ行かないとねぇ。仕事が日暮れまでに終わらなくなっちゃうからねぇ?」


 話はそれで終わりみたい。私もカップをテーブルに戻す。揺れていた水面は、すぐに静けさを取り戻す。

 波紋はもんのないその水面には、水面を覗き込む私の顔がくっきりと映る。どっちの選択をするかを決められずに、なやんでいる私の顔が。

 私の心はまだ揺れ続けている。


「それじゃ、集落の樹々を巡ってくるよぉ。紅茶、おいしかったよぉ。ありがとねぇ」


 そう言って仕事をしに部屋を出ていこうとする。


 フェネルは飛び込んだ先のことを知っている。私はそれを知らない。今飛び込むなら、フェネルはそれを見ていてくれる。そして、一緒に飛び込んでくれると思う。


 ……あれ?


 昔もそうだった。フェネルと一緒だからなんでもやる気になったし、実際にできた。フェネルが行ってしまったら、私は飛び込み台から引き返して今まで通りの日常を送る。それじゃ――今までと何も変わらない。何ひとつ変わらない。


 フェネルとの距離は、埋まらない。


 フェネルは私を見ていてくれるけれど、それは永遠じゃない。それは今にも無くなってしまいそうな砂時計の砂に似ている。その砂がなくなってしまったら、フェネルはもう私のことを見てくれないと思う。そしてその先、フェネルがその砂時計がひっくり返して、私に時間をくれることもない気がする。


 選ばないといけない。決めないと――いけない。


 砂時計は無慈悲に、無くなりようもなさそうな残りの砂を吸い込んでいく。下に落ちてゆく砂の流れが段々と細くなっていく。


 ……私、なんで悩んでいるんだろう? ……怖いから? 不安だから? ううん、今はもうそんなの関係ない。最初から、答えなんて決まっているじゃない。


 霧でおおわれた未知への恐怖のその先に、私の選ぶべき答えがある。


 ――離れたくない。これ以上、遠くに行かないで!


 私は、見えない水面に飛び込むことを選んだ。飛び出したからには、もう後戻りはできない。未知の恐怖もろとも突き抜けてしまえ。いつかは、水面にれることができるはず。


「待って!」


 私はフェネルのうでつかむ。


「どうしたんだい、ヴェーラ。何かあったのかい?」


 突然の私の行動にフェネルは目を丸くする。


「私、やっぱり外に出てみたい! だけど――」


素直すなおな思いを口にする。だけれど、言葉にまる。


「ヴェーラがそう言うとは珍しいねぇ。私の話で興味がいたのかい?」

「外の世界を、見たいの。だけど……行けない、の……」


 外の世界を見てみたいとは言っても、私にはそこに行く手段がない。


「ヴェーラは、箒も転移陣も使えないもんねぇ」

「今は、乗れない……」


 昔はフェネルと一緒に箒で空を飛べたのに。少しでも遊びで箒に乗っていたら、こんな思いをしないで済んだのに。うぅ……。


「昔は、そんなことも一緒にやったねぇ。……練習したら、また出来るようになると思うけどねぇ」

「できない、でしょ……? すぐに……」

「まあ、そうだねぇ……」

「…………」


 箒で空を飛べない私は歩くことでしか大樹海を出られない。それだと、大樹海から出るのに1日はかかる。

 時間の問題は他にもある。私の仕事のことだ。毎日の天候預言には私の代わりがいない。だから、移動にそんなに時間をかけられない。かけられたとしても、朝6時までにはフォレスフォードに戻ってこないといけない。


 やっぱり、見てみたくても行けなさそう。やりたいのにできないって辛いんだ。苦しいんだ……。


 しばらく思考を巡らせていたフェネルが口を開く。


「転移陣を使えるようになるのが早そうかなぁ。ヴェーラなら、転移陣を使えるくらいの魔力まりょくはあるはずだよぉ」


 転移陣。言葉だけ聞くと難しそうなひびきがする。だけれど、箒に乗れない私はそれにたよるしかないのかな……? そう言われても、使えるかわからないじゃん……。


「……私、使ったことないのよ?」

「大丈夫だってぇ、箒に乗るのより簡単なんだからぁ」


 え……? 箒よりも、そっちの方が簡単なの? 毎月、箒に乗ってフォレスフォードに来るくらいのフェネルがそう言うのなら。私にもできるの……かな? 昔、箒に乗れたんだし、きっとできる……よね。 


「外の世界に行けるの……?」

「うん、行けるよぉ。世界のどこにでもねぇ。それも、一瞬いっしゅんでねぇ」


 箒よりも速く移動できて、箒よりも簡単に使えるの? それで、一瞬でどこにだって行ける? それって、時間を気にしなくてもいいってこと!?


「一瞬で行けるの!? ……早く行きたい!」


 それで大樹海の外に行けるなら、それを使うしかない。フェネルが使えると言ってるから、きっと私にも使える……はず。

 今はこの、飛び込んだ勢いに任せて進めばいい。フェネルがとなりに居るから大丈夫。怖くない。


「使い方は、また今度来た時にだねぇ。こっちもちょっと準備がいるからねぇ。その時は、前もって手紙送っておくからねぇ」


 フェネルは私の顔をのぞき込む。


「久しぶりに、ヴェーラのこんな顔を見た気がするよぉ。それじゃあ、仕事に行ってくるねぇ」


 そして、私の回答など待たずにフェネルは部屋を出ていった。答えなど、聞く必要もなかったのだろう。


 1人残された私は、いつものように窓の外をながめる。窓からは、いつもと変わらず静かに時を刻む大樹海が見える。


 私は、この景色の外に。大樹海の外に行くんだ……!

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