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 建設途中のビルの横っ腹から突き出した鉄骨の先で足を滑らせた。

 身体がガクッとなって目が覚める。夢だ。寝覚めの悪い朝は嫌いだ。ベッドの中で伸びをして、あくびをする。ここ最近は何度も同じような夢を見ているような気がする。

 横になったまま天井を見上げる。少し頭が痛い。昨夜は友人たちを呼んで、久しぶりに酒を飲んでいた。気を遣わない連中と中身のない話をして過ごすのは、自分自身に人間であることを再認識させてくれる。

 この数年は世界的なウィルスの蔓延で他人との交流が劇的になくなった。初めは億劫な人間関係に惑わされることがない日々を嬉しく思うこともあった。だが、次第に分かり始めた。コミュニケーションを排除したことで、何を考えているのか分からない他人がまわりに溢れていることに。凄まじい疎外感のようなものを覚えている自分がいることに。高校の卒業式も味気ないものだった。ほんの一年や二年先輩の高校卒業の話と全く違う。俺たちの世代には、先輩たちが懐かしむようなエピソードなどない。

 溜息とともに身体を起こした。昨夜の記憶が曖昧だ。大学の近くで溜まり場のようになっているとはいえ、久しぶりのことでハメを外し過ぎたのかもしれない。

 枕のそばに携帯を探したが、見つからない。どこかへやってしまったのだろうか。寝室を出て廊下に出る。友人たちはもうとっくに帰ったのだろう。家の中は静けさに包まれている。玄関の方に目をやると、ドアに鍵が掛かっているのが見える。サムターンが横向きになっている。誰かが鍵を掛けて行ってくれたのだろうか?

 リビングに入る。部屋の中で誰かが倒れていた。

「おい!」

 駆け寄って、横向きに倒れている身体をこちらに引き寄せた。触れた手に体温が伝わってこなかった。力のない腕がごろりと床に投げ出される。三谷だった。その胸には包丁が刺さったままだ。

 尻を突いたまま後ずさりした。身体が震えた。昨夜、一緒に過ごしていた友人の死体。その事実があまりにも信じられなくて、全身から力が抜けてしまった。

 三谷はサークルに入って最初に仲良くなった友人だ。ここに住んでいると知った三谷は俺を心配してくれた。

「そんな部屋、長く住まない方がいいよ」

 他にも俺を心配してくれる声が増えたのは、三谷が初めにそう言ってくれたからだ。この部屋では数年前に事件が起こったらしい。それで家賃は格安になっている。そうじゃなければ、こんな貧乏学生がこんな広い部屋に住めるわけがない。俺は拾い物だと思って、深く考えずにここを契約した。

 命を失った三谷の虚しい顔に、俺の胸は後悔の念でいっぱいになった。

 この部屋は呪われている……。

 開いた窓から生温い風がぬるりと滑り込んでくる。凍えるほどでもないのに、震えが止まらなかった。恐ろしかったのだ。

 この状況は『繰り返し見る夢のような』のシチュエーションと恐ろしいほど似通っていた。主人公は死体のある部屋で目を覚ます。昨夜のことは覚えていない。そして、部屋を出ようとすると、再び時間が最初に戻る。ところが、主人公には前回のループの記憶が次のループに持ち越されることはない。ただ、毎回微妙に部屋の中の状況が変わっていて、そこに読者がどう解釈を持つのかというのが、あの作品の肝になっている。

 岸田四季があの作品をどういう意図で描いたのかは分からない。そういうことも含めて、あの作品はずっと語られるようなものになっている。だから、短編にもかかわらず色々な議論が起こったり、ゲームになったりするのだろう。

 次第に呼吸が落ち着いてきた。警察を呼ばなくては。

 また寝室に戻って部屋の中を探した。だが、どこにも携帯がない。イライラが募ってくる。昨夜の記憶が朧気にしかないのも不安に拍車をかけた。

 起きたら部屋に誰もいない。玄関には鍵が掛かっていた。

 もし俺が三谷を殺したのだとしたら……。

 考えたくない可能性を探ってしまう。俺に三谷を殺す動機などないのに。

 なぜ三谷は死んでしまった? 昨夜ここにいた誰かが彼を殺したのか? 一体何のために?

『繰り返し見る夢のような』の主人公も同じように苦しんでいた。犯人は自分なのではないか、と。

 ふとベッドサイドの本に目が行く。タイトルは『繰り返し見る夢のような』……。その本が禍々しい瘴気を発しているような気がして気味が悪くなってきた。本を手に取って、床に投げつける。

 頭を掻き毟る。

 どうしてこんなことになってしまったんだ……。

 寝室を出て、勇気を出しながらもう一度リビングに入る。三谷の死体はそのままだ。なぜ彼が死ななければならないのだ。なぜ殺されなければならないのだ。

 また膝が震え始める。フラフラになりながら、辺りを探す。だが、目で見ているはずなのに、何も情報が入って来ない。ずっと上の空なのだ。

 ブブブブブ……。

 テーブルの上で携帯が震えていた。目に見える場所にあったのに、今まで気づかなかったのだ。急いで携帯を手に取る。震え続ける携帯の画面に「岡倉」の表示が出ている。電話だ。このタイミングで……?

「どうした……?」

 恐る恐る尋ねた。

『いや、ちょっと気になったことがあったんで、電話したんですけど』

「別に電話じゃなくても……」

『俺の嫌な予感って当たるじゃないですか』

「知らないよ。で、何があったんだよ」

『前に三谷さんが言ってたじゃないですか、事故物件のことで』

「ああ……」

 横たわる三谷に目をやる。いたたまれない気持ちになる。

『調べたら、やばいですよ。過去に何度も事件が起きてますよ』

「ここで?」

『二〇〇〇年から四件も事件起きてますよ。それも全部殺人です』

「四件……?」

 俺が不動産屋から聞いたのは、数年前の一件だけだ。その一件では、犯人とみられる住人はベランダから飛び降り自殺もしている。

『大丈夫ですか、岸田さん……?』

「その名前で呼ぶのやめてくれよ!」

 思わず怒鳴ってしまった。サークルのしきたりで襲名されただけの意味のない名前だ。今はあの小説の存在を自分からできるだけ遠ざけたかった。

『すいません……』岡倉は申し訳なさそうに言った。『でも、本当に大丈夫ですか? なんか、いつもより……』

「いや、大丈夫だよ。もう切っていいかな。忙しいんだ」

『あ、分かりました。なんかすいません』

「いや、いいよ」

 電話を切る。

 悪夢を見ているようだ。それも繰り返し何度も見るような。

 夢は不思議だ。その場で起こる全てのことに繋がるこれまでの背景について、自分は自然と知っている。夢の世界観が脳にインストールされているかのようだ。

 繰り返し見る夢は、本当に繰り返し見ているのだろうかと思うことがある。「繰り返し見ている」という世界観がインストールされているだけではないのか? 朝目覚めて、あれは何度も見る夢だったと感じているのは、インストールされた夢の世界観がそうさせているに過ぎないのではないか。だから、繰り返し見ている夢は、本当は一度しか見ていない夢なのかもしれない。

 もしそうだとしたら、『繰り返し見る夢のような』は、違う日の出来事をあたかも一人の主人公が同じ時間を繰り返すように見せているだけなのかもしれない。

 恐ろしい。息が詰まりそうだ。

 岸田四季が本当にそういう意図であれを書いたのならば、現実に再現されているではないか。この部屋で何度も起きた殺人事件。この部屋にとっては、まるで同じ出来事を繰り返しているような……。全身の毛穴が沸騰するような感覚に襲われる。

『繰り返し見る夢のような』の結末が思い出せない。岸田四季を襲名してから何度も読んだはずなのに。あの物語の結末はどうだっただろうか?

 息が詰まる。

 警察に連絡しなくては。その前に深呼吸がしたい。

 俺は開いている窓に速足で近づいて、ベランダに足を踏み出した。


──了

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繰り返し見る夢のような 山野エル @shunt13

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