2

 パトカーのサイレンで目が覚めた。

どれくらい眠っていたのだろうか。ベッドのそばの目覚まし時計に目をやると、午前十時前だった。枕の脇の携帯を手に取って、画面を見る。いくつも通知が来ている。どうせ大したことのない連絡ばかりだろう。

 昨夜はこの部屋で友人たちと飲んでいた。だが、俺がこうして寝室で寝ているということは、きっとあいつらはもう勝手に帰ったのだろう。

 パトカーのサイレンがやけに近い。ボーッとする頭を起こして、あくびをした。携帯を持って寝室を出ようとしてドアノブに手を伸ばした途端、痛みと共にバチっと音がした。静電気だ。おかげで目が覚めた。廊下を通ってリビングへ。

 リビングのエアコンが入ったままだった。あいつらが消さずに出て行ったのだ。舌打ちをしてリモコンでエアコンを切った。

 パトカーや救急車のサイレンが鳴っている。誰かが何かを叫んでいる声も微かに聞こえる。窓から外を見ても状況は分からないが、何かあったらしい。

 携帯をテーブルの上に置いて、隣のリモコンでテレビを点ける。そのままキッチンに向かう。昔からの習慣で、朝起きてすぐに牛乳を飲むことにしているのだ。

『──……ですが、近隣住民の方のお話ですと、言い争う声が聞こえたという声もありました。一方で……』

 レポーターが興奮冷めやらぬ様子でマイク片手に何かを伝えている。その背後の景色に見覚えがあった。すぐ近所だった。冷蔵庫を開けるよりも、テレビに釘付けになってしまった。リモコンをそばに置いて、画面の中の出来事に目を向けた。事件の様子をまとめたVTRが流れる。

『今日午前六時半頃……××区の路上で大学生の吉瀬清隆さんが刺され、病院に運ばれる事件が発生した。近くに住む人は……』

『なに言ってるのか分からなかったけど、すごい剣幕で……ずっと何か言い合ってたみたいで……』

『この辺りは結構静かだからね……驚きましたよね』

 血の気が失せた。吉瀬は俺の友人だ。そして、昨夜この部屋に来ていた。リビングのテーブルの上の本が目に入る。

「なんでこの世界はループしてると思う?」

『繰り返し見る夢のような』について話すことがよくあった。あの短編には、多くのことが語られるような余地がある。

「岸田四季としての〝公式見解〟を教えてくれよ」

 渡邊が意地の悪そうな笑みを浮かべて吉瀬を見た。吉瀬は岸田四季なのだ。

「シミュレーション仮設って知ってるか?」

「この宇宙が仮想現実だっていうアレだろ。そういうありきたりな答えは募集してないんだよなぁ」

「よく聞け」岸田は身を乗り出すようにしていた。「仮想宇宙がなぜ作られるのか。現実の宇宙には最期が迫ってる。人類なのか分からないが、そこに住んでいる知的生命体は宇宙と共に運命を終えるつもりはない。新しい宇宙を創造して、そこに移り住もうとしている。しかし、新しい宇宙の創造には気の遠くなるようなエネルギーが必要だ。失敗のできない宇宙創造に備えて、厳密な宇宙のシミュレーションを行う必要があった」

「だから、何度もパラメータを変えて時間をループさせてるってこと?」

 岸田は興奮しながら渡邊を指さしていた。

『──……が入りました。えー、被害者の吉瀬清隆さんの死亡が搬送先の病院で確認されたとのことです。これに伴って、警視庁は日下正容疑者を殺人未遂容疑から殺人容疑に切り替えて引き続き捜査を継続するとのことです。えー、繰り返しお伝えします……』

 日下……昨夜ここに来ていた仲間の一人だ。彼の顔写真がテレビに大写しになる。

 なんでこんなことになってしまったんだ。

 リビングのテーブルの上で携帯が震える音がした。急いでそれを手に取る。渡邊からの電話だった。

『出るの遅えよ!』

 開口一番にそう怒声を浴びせられた。

「ごめん……」

『ニュース見たか? 大変なことになってんだぞ!』

「今、テレビ観てる……。本当に日下が岸田を……?」

『朝、お前のところからみんなで出たんだけど、その途中で日下が……いきなり包丁を取り出してさ……』

 慌ててキッチンに向かう。シンクの下の扉の内側に、いつもあるはずの包丁がなかった。

「……うちの包丁だ。俺のせいで……」

『なんでお前のせいなんだよ。変なこと考えんな。俺ら警察署にいるから、お前も来い』

「俺も?」

『うん。警察が話聞きたいって言ってる』

「俺、昨日のことあまり覚えてないんだ」

『別にそれでもいいよ。覚えてることだけ話せばいいだろ』

「ニュースで……岸田が死んだって言ってた……」

『うん……。俺らもさっきまで病院にいたんだよ。いいから、早く来いよ』

「準備してすぐ行く」

 電話を切って、ソファに腰を下ろした。立っていられなかった。テレビから聞こえてくる音が、まるで水の中のように遠くの方に聞こえる。昨夜、何も考えずにここで話していたのに、今はもうそんなことがあったなんて想像するのが難しい。

 寝室に戻って着替えた。出る支度をして、玄関に。ドアの鍵が開いていた。渡邊たちは鍵を持っていない。だから、鍵は開いたままなのだ。

 靴を履いて、深呼吸した。ドアを開ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る