第5話
これまでの人生で一番の『最悪の時』は、案外あっけなく終わりを告げた。
「おい! お前ら何しとんねん!?」
突然開かれた扉から、悪魔のような男とは違う男の声が響く。
周りの景色すら上手く映せないナナの瞳が、その人物をぼんやりと捉える。
――あ、クラスメートの……
扉から現れた男――いや、正確には男が二人に女が一人だ。三人共同じクラスの人間で、派手な見た目の悪友といった様子の三人組だった。いつもだいたい三人で行動しているので、レイナやヒーロとはあまり仲が良い印象もない。そう言えば一度、ナナへのイジメを窘めたのもこの三人組だったか。
扉を開けて一番にこの地獄に乗り込んで来たのは、三人組のリーダー格である『リュウトくん』とみんなから呼ばれている男だ。逞しい体格のヒーロとは正反対に、細身の体型をしている違う意味での『悪い男』。明るい茶髪が印象的なイケメンで、浮いた噂の絶えない遊び人。レイナは彼のことをとても毛嫌いしているようだった。多分、自分になびかなかったのが原因だと思われる。どうやら女の敵とまで言われる遊び人と言えど、それ故か女を見る目はあるらしい。
「これはこれはリュウトくんー。そんな怖い顔してなんやねん? 愛し合う二人のセックスなんて、邪魔するもんちゃうやろー?」
寒気がする程の猫撫で声で、ヒーロは険しい顔をしているリュウトの肩に腕を回す。リュウトも平均より背が高いようだが、ヒーロは更にそれよりも縦にも横にも大きい。ヒーロの腕が回されることで、同じ男性とは思えない程に二人の体格差が鮮明になる。
「……お前は女殴りながらするんがセックスやって言うんか?」
身動きの取れなくなった――物理的な意味ではなく、顔が近付くことにより超至近距離から放たれる圧力のせいだ――リュウトに代わり、続けて入って来た男がヒーロの腕を掴んで言った。彼の身長もガタイもヒーロには一歩及ばないが、それでも十分に大きい。細マッチョ、というやつだろうか。
太い筋肉が浮かび上がった、しっかりと鍛えられた腕だ。彼はあまり喋らないタイプなので、名前を呼ばれているところをナナは思い出せないでいた。だから苗字しかわからない。一緒にいるリュウトがとにかく目立つ男なので仕方がないのかもしれないが、彼はどちらかというと目立つこと自体を嫌っているように思える。正直、ナナにとっては彼がしっかり言葉を発しているのを聞くこと自体が、今初めてなくらいだった。
「あー? 硬派気取りが……触んな!」
ヒーロが掴まれた腕を振り払うためにリュウトから離れる。放された彼の腕には、じんわりと掴まれた跡がついていた。相当の力で握られなければ、あんな跡はつかない。ナナは経験者なのでわかっていた。口数少ないあの男の怒りが、言葉はなくともわかるようだった。
「ヒーロくんー? こいつら二人、確かにあんたより見た目は細いかもしれんけど、キレたらヤバいんはわかってるやろ? あんまここで目立つ乱闘してもうたら、さすがにバレてまうんちゃう? あんたのしでかしたこと……私らが証言したら流石にもう、誤魔化せんで?」
三人組の紅一点が、そう猫撫で声でヒーロに微笑んだ。先程のヒーロに負けず劣らずの厭味ったらしい言い方で、しかもそれにはどこか女性とは思えない程の迫力があった。レイナと同じく見た目の良いモテるタイプの女だとしか思っていなかったが、前に立って油断ない視線を飛ばす男二人と同じくらいおっかない印象を受ける。そうして少し睨み合った後、リュウトと同じく明るく染めた茶髪が遠慮なく動き、ナナの下敷きになったままの中島の身体の拘束を解いていく。
「……クソ女……しばらく夜道には気ぃつけぇや」
そう警告はしながらも、ヒーロも彼女の行動を阻止しようとはしなかった。
彼は、わかっているのだ。この三人が、何のためにこの騒ぎを治めに来たのかを。だって、ナナですらもわかったのだから。
――私は何も……助かってないんだ……
「おいおい、ヒーロくん。俺らは別に、お前と喧嘩しようとは思ってへんねんで? この場はこれで治めて、これでチャラってことにしようや?」
彼等三人はこの場を治めにやってきた救世主だ。だが、その目的はあくまでこの場の制止のみで、イジメの被害者を助けることではない。
「流石にこの時期に強姦未遂なんてキメてもたら、就職もパーになってまうな。もちろん、俺らかてそんな事件が在学中に、ましてや同じクラス内であったなんて広まったら、せっかくエエ判定貰ってる進学も怪しなる」
そうなのだ。今はもう、進路に忙しい三年生なのだ。派手な見た目ながら決めるところは決めているこの三人組は、それぞれ希望の大学への進学は確実視されていた。そしてそれは、就職を希望しているヒーロとレイナも同じだった。なんともまあ、猫かぶりだけは上手く、そして顔も良い二人らしい。面接官なんて表面上しか見ていない節穴だ。皮を一枚剥いだ下には、どす黒いものしか疼いていないというのに。
つまり、この三人の狙いは、『事件のもみ消し』。『この場』を『この場限り』で終わらせるために、この三人はわざわざヒーロとレイナに忠告に来たのだ。おそらく先程逃げ出した取り巻きの仕業だろう。このクラス内で荒くれもののヒーロを止められる人間なんて、数える程しかおらず、尚且つ事件のもみ消しに協力してくれそうな性格まで絞るのならば尚更。リュウト以上の適任はいないと、ナナですら思えた。
リュウトが諭すようにそう言って、ヒーロを見やる。それは、教室内でもたまに見かけた冷たい視線だった。同学年の女子達が騒ぐ程の端正な顔立ちをしているリュウトだが、しかしその瞳には異常なまでの冷たさを秘めていた。それが彼の本質なのかは知らないが、長続きする“関係”は数多の彼女達ではなく、今隣にいる二人だけのようだった。
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