第6話


「……ま、おもろいもんは今日充分見たし……お前らがそこまで言うなら、ここらで……もうええか」

 ふんっと鼻を鳴らしてから、ヒーロはニヤニヤした笑みを隠すことなくレイナの腕を引っ張って扉へと向かう。この空間から解放されることが余程嬉しいのか、レイナはあからさまに安堵の表情を浮かべていた。

「後片付けは……?」

 そのまま片手を上げて立ち去ろうとしたヒーロに、中島の拘束を解いた女が問い掛ける。その鋭い視線そのままの切れ味を放つ言葉は、どこか諦めの空気が漂っていた。

「止めたんはお前らや。ちゃっちゃと片付けんと、お前らがヤッた思われんで?」

 そう言い残して今度こそ、ヒーロはレイナの手を引いて扉から出て行った。最後まで下品な笑みを崩さなかった彼の態度に、三人組はほぼ同時に舌打ち。険しい視線を誰もいない扉に向けたまま、リュウトは小さく「クソ野郎が……」と呟いていた。

「……とりあえず、身体洗おか。えーと、星さん……家には今、家族おる? いるんやったら私と一緒に銭湯でも行かん?」

 なんのことはないように、努めて明るくそう言ったのは、中島の拘束を解いた女――確か『リン』と呼ばれていた気がする。やっぱりただのクラスメートなので、苗字しかナナは知らない――だ。

 彼女はなんの躊躇いもなしに、中島の体液で汚れたナナの身体――全裸に近い状態が、悪夢の時を鮮明に映している気がした――を抱き締めてくれた。ぬちゃりと渇きもしていない白濁が彼女の制服を汚したが、そんなものは気にも留めていないようだった。

 気さくというよりは寧ろあっけらかんとした態度にすら聞こえるその言葉とは違い、彼女の抱擁は本物で。ナナの壊れかけた心を寸でのところで引き留めてくれた。

「っ……うっ……」

 人の体温がこんなにも暖かいなんて、知らなかった。途端に嗚咽が我慢出来なくなり、やっと瞳から涙が零れる。最悪の時――犯されている時には結局一滴も流れることのなかったナナの自我<涙>。己の主張を声に出すことすら出来なかった弱者は、きっとナナだけでなく隣で倒れ込んでいる中島もだろうが。

 中島は気を失っているようだった。あんな尋常ではない空間で興奮が持続するはずもなく、彼は下半身を萎えさせる度に悪魔に殴りつけられていた。顔面だけでなく身体中を腫れ上がらせた彼のことを、先程硬派気取りと罵られていた男が肩を貸すようにして起き上がらせていた。

「一人で運べるか?」

「運べはする……リュウト、こいつに服着せてやってくれ。こんな状態で運んでんのバレたら俺の進学終わってまう」

「さっすがー。うし、気ぃ失っている間に着せてまうか。星さんもさっさと着ぃや。あ、別に俺ら同級生の身体見たくらいで盛ったりせんからー。獣ちゃうから大丈夫よー」

 へーいとハイタッチを交わしながら、リュウトがそう言ってこちらにウインクをしてくれた。ナナの精神的苦痛を汲んでくれているのだろう。身体を見られてしまっているのは、もう今更気にはしていなかった――というよりも、そこまで気が回っていなかったと言う方が正しいか――ので、ナナも小さく笑ってやった。

――寄り添う、ように見せてはいるけど、この三人も結局は……助けるつもりはない。でも……この場が助かったのは、本当か……

「……ありがとう。助けてくれて……」

 小さく、小さく呟いたつもりだった。現にナナの口は、まだ小さく震えていて上手く言葉を発せていたとはとても思えない。しかし、その零れ落ちる水音のような言葉を聞き付け、三人の瞳がこちらに一斉に向いた。

――ほら、やっぱり……冷たい目……問題児<ヒーロ>を見る目、そっくり……

 三対の瞳は、闇を凍らせたような色合いをしていた。

 この三人にとって、問題児とは『イジメの関係者』なのだ。そこには加害者はもちろん、被害者すらも含まれる。進路に敏感なこの時期に、こんなややこしい問題を持ち込むんじゃないと、三人の目ははっきりとそう告げていた。

――救世主なんて、笑わせる。

 だからナナは小さく笑った。本当は、腹の底から、大きな声で笑ってやりたかった。嗤って、やりたかった。愚かだと。心の底から。

 だが、恐怖と痛めつけられたナナの身体は、そんな強がりすらも満足に出来なくて。加害者が消えたこの空間で、傍観者達にすら牙を剝くことが出来ないでいた。

「……行こか」

 三人の瞳が意味ありげに交錯して、溜め息と一緒にリンがそう言ってナナの身体を引き上げた。

「あんたが望む“助け方”が出来んくて、悪かったな」

 皮肉とも後悔とも取れる言葉を吐き捨てたその瞳を、ナナは見上げることが出来なかった。

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