第4話


 初めて聞く中島の大声。それは涙と怒りが滲んだ心の叫びそのもので。下着を下ろされるその瞬間まで、『これは何かの間違いだ』だとか『まさかそんなことまでしないだろう』だとか『これは脅しだ』なんて思っていたのだろう。ナナだって、最後の最後までそう思っていた。いや、そう思っていたかった。

 だが、この時は紛れもない現実で。悲鳴に近い大声を上げた中島の頬にヒーロの拳が飛ぶ。既に痛めつけられた中島の顔が、さらに赤黒く腫れる。ぶっと中島の口から何か赤い塊が飛び出し、その様に笑い声をあげながら更にヒーロは拳を振り下ろす。

「うっは、やべー! すっげえ興奮する!」

 この世に悪魔という存在が実在していたとすれば、きっと彼のように笑うのだろう。無慈悲に拳を無抵抗の相手に振り下ろして笑うその姿は、どんな残酷な伝説に出てくる存在よりも禍々しく見えた。

 中島の声が聞こえなくなるまで、ヒーロの暴行は続いた。小さな呻きすらも叩き潰したその手が、今度はナナに向けられる。

 ヒーロは禍々しい笑みを浮かべたまま絶望の重みに固まってしまったナナの腕を強引に引く。その表情はもはや人間というには歪み過ぎていて、狂暴な獣そのものの笑顔だった。

「っ……!」

 どうやらそう思ったのはナナだけではなかったようで、同じく戦慄するレイナの後ろにいた取り巻きの男が愛しい女の手を引いて廊下に飛び出した。

「っ! ちょっとアンタら!?」

「これぐらいでビビりおって、ほんまに玉ついてるんかー? ま、ええわ。あいつらは告げ口出来るような奴ちゃうからな。お前は見てろよ、レイナ。大丈夫や。お前も絶対濡れるから」

 獣の舌なめずりを見せつけて、ヒーロはナナとディープキスを交わす。しかし、その触れ合いに愛する彼女の身体はただ震えるのみ。その反応が気に食わないのか、彼は身体が離れた瞬間に舌打ちをひとつ。

「さーて……さすがに縛ったままやと味気ないか? 二人にとっての初めては大事にしなあかんしなー。でも、ま……こんな初めての経験もええんちゃう? なかなかやれへん経験やしー」

 ヒーロが恐怖で動けないままのナナの身体を軽々と抱き上げて、乱暴な手つきで中島の身体の上に降ろす。その衝撃に中島の目がかっと開かれ、その色彩の薄れた瞳に同じく血の気の引いたナナの姿が映る。

「好きな女とのご対面ー。初めて見た時から好きでしたー! 僕とセックスしてくださいー! やろがー?」

 ヒーロはそうギャハハと笑い、中島の頬を平手打ち。またもや血の塊を吐き出しながら、しかし中島の視線はナナを捉えたまま。諦めの色を宿しながらも、その瞳は弱弱しい光ではない。

「……大丈夫……星さんは僕が守るから……セックスなんて……僕のが機能しなければ、問題ない……」

 きっと鋭い瞳でヒーロのことを睨み付けて言い放った中島に、ナナの心がどくんと震えた。

――中島くん……私と一緒でただイジメられているだけだと思ってたけど……凄い……私と違って戦ってる……

 息を呑むナナの前で、ヒーロの口元が歪む。反論が堪えたのかとナナは思ったが、彼の顔を見たら違うことがわかった。ヒーロの笑みには、言葉にせずともわかる程の嘲笑が滲んでいた。

「うはー! お前、好きな女目の前にしても勃たん言うんか? それは男として問題アリアリやろー。確かに今は情けない醜態晒しとるけどー……こうしたら、どうや?」

 そう言うなりヒーロの腕がナナの身体を中島に押し付ける。皆の前に晒された下半身に顔面を押し付けられて、悲鳴を上げようと開けた口に不気味なまでに柔らかい感触が触れる。

「むぐっ!?」

「……っ! 星さん!!」

 咽るナナの耳に慌てた様子の中島の声がどこか遠くのことのように聞こえた。それよりもよっぽど至近距離に感じる耳障りな笑い声が、全く容赦のない力でナナの頭を強引に動かす。揺さ振るように押さえつけられ、それから上下に引き上げられてを繰り返された。

――なんで……どうして……どうして……

 みんなみんな、大嫌いだ。自分がいったい何をしたというのか。いったい何が気に食わないのか。その答えはわからないし、わかりたくもなかった。例え理由がわかったとしても、それでこの行為が帳消しになるとはとても思えないから。

 声と共に緊張を帯びていく口の中の存在に嗚咽と涙を零しながら、最後まで恐怖に声を上げられない自分自身を呪った。ぎゅっと閉じた視界の先で、中島が何度も謝る声が響いていた。

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