名前を与える功罪。重い鎖としてしまうか、願いの灯る標とするか。

本作は、椿という可愛い座敷童と出会ったことから端を発する、民俗学的見地の折り込まれたラブコメです。座敷童や土地神・疫病神といった要素が多く登場します。

神と言っても古事記由来の全国的に有名なそれではなく、いわゆる災害や流行り病を『鎮める』ために祀られたものです。
鎮めたい側はさぞ必死だったことでしょう。しかし、『鎮めさせられた者』は?
そんな悲しい背景が、この物語の根底にありました。

罪なき彼女らを『疫病神』や『座敷童』という名が縛り、とこしえに逃れられない『古くて孤独な檻』へと閉じ込めます。
座敷童も昨今では「幸せになれる」と大人気ですが、はじめに現れたとき、彼ら彼女らは座敷童としてではなかったのではないでしょうか。

そこへ光を差すのもまた、名前です。
拓磨がつけた椿という名前が、拓馬がつけた菫という名前が、彼女たちを「座敷童」から「個」へと昇華します。
――だって、いっぱい、いっぱい、私のことを呼んでくれていたじゃないですか!
このセリフにすべてが集約されているように感じました。

名前というものは、分類的には固有名詞に過ぎません。ですが、人はそこに願いを込めます。それは素敵な文化であると思います。
恋の過程で相手の名前を呼ぶのが苗字から名前になるように。古来から『真名』というものが重視されていたように。その名前を呼ぶという行為にも、深い意味があります。
大切な人の名前を呼びたくなるような。
そして書き手の一人として、今一度息子たち、娘たちの名付けを考えさせられるような。
そんな、温かいラブコメです。ぜひご一読を。



【推しとここ好きポイント!】
牡丹さんが好きです。あらあらうふふな大和撫子にズボン下ろされてーなー俺もなー(白目)
彼女のセリフで好きなのは9-1での「言動はおかしいかもしれませんが~」のところです。
はい、牡丹さんに介護されたいというまっとうな動機ではない私の妄想は打ち砕かれましたようふふ。

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