第58話 魔法を唱えます

「影になってしまったところは魔法で元に戻るのか?」

「やってみないと分からない」

「何色にする? 青か?」


 舟の上で相談するがはっきりした答えは出ない。

 影となった身体を元に戻せるかどうか、何色にすれば一番よいのか、結局のところ誰にも分からない。なので、私は自分の好きな色にすることにした。


「イワウの髪と同じ銀色にしよう」


 色を変える魔法の内容を私は宣言した。

 頭上にはスマホがあるので彼女は両耳の上に手を当てるような恰好で自分の髪を撫でてから、

 

「いいよ、新しい姿を見てみたいね。銀色の聖王様はちょっと呼びにくいけど」


 口をもごもごして、呼び名を馴染ませている。


 影じゃなくなっても、銀色となった私が飛んでゆけるかどうかは分からない。

 イワウを来世の国へ運べないかという思いがまたよぎるが、身体が浮かばずに飛び跳ねるだけで私が舟床に着地したら、彼女は腹を抱えて笑うような気もした。イワウの言いそうなことを思い浮かべる。


 ――やっぱりダメか、銀色の聖王様、長いね。真っ黒けよりずっといい感じだよ。

 ――じゃあ、氷の海まで戻ろう。海で暮らすより楽しいかもね、舟を押すのは順番こだよ。

 

「魔法が一度しか使えず、来世の国にゆけなければ、私たちは闇の中で暮らすことになるね」

「アスタ、私はもう闇にはずいぶん慣れてきたところだよ」


 彼女に言いたいことがあるような気がしている。いや、確かにある。

 とても大事なことで、ずっと伝えたかった気持ちである。


「イワウ、よーく聞いて。色を変える魔法を使う前に、ちゃんと言っておきたいんだ」

「うん、分かった。じゃあ聞いてるから言ってみて」


 私は、デッキブラシを舟底に置いて、聖符をポケットにしまって姿勢を整える。

 一度、胸のうちで唱えてみる。

 気持ちは何度も確かめられてはっきりと形をとっている。

 ん゛ん゛、と喉を鳴らして息を吸う。

 

 ――あなたと 


 声を発しようとした瞬間。


「わたしもアスタに言いたいことがあるな」


 開こうとした口のままで私が固まっている中で彼女は続ける。


「公民の魂を運ぶ役目を私たちはもう終えた。だから、舟の上にいるのは聖棺でも聖王でもない、ただのヒトということになるね」


 私は「あ」になりかけの口のままで頷いた。


「アスタ、わたしの名はイワウ・サンクタイッド……あ、サンクタイッドは聖棺という意味だからな……、ただのイワウでいいな」


 私は「あ」になりかけの口を閉じて頷いた。


 私の呼び名はもう「聖王様」ではなくなっていることに気づいた。


 すー、と彼女は大きく息を吸い込んで、


「アスタ! わたしはアスタが好きだ! よーく聞いておけ!


 あなたと一緒にいたい、ずっと一緒にいたい、他の誰にも渡したくない

 

 わたしは呪文をこっそり訓練していたんだ。ははは! 尻もちつくほど驚いたか!」


 動揺してよろけた私は船床から楽しげに笑う彼女を見上げている。


 立ち上がって姿勢を正し、まっすぐに彼女に向かう。


 先に言われてしまったが、私の呪文は、私の呪文である。

 彼女の青い瞳を見つめながら、


「イワウ! イワウのように美しいヒトはいない! 影になっても変わらない!

 

 あなたと一緒にいたい、ずっと一緒にいたい、他の誰にも渡したくない


 来世の国に行けなければ、闇の海で私のそばにいてくれ!」  


 私は気持ちを告げた――


 なぜか彼女は船床で笑い転げている。


「ひい、ひい、こんなに笑ったのは久しぶりだよ」


 立ち上がったイワウはまだ堪えた顔をしている。


 そろそろ色を変える魔法を使おうかと思うんだけど待ったほうがいい? ――ちょっとだけ、今飛ぼうとしたらふらふらして海に落ちそうだよ。


 何がそんなに面白いのかと聞いてみる。


「闇の海で私のそばにいてくれ!」


 声真似をしてから、再び堪える顔をするイワウ。私はしばらく黙って待つ。

 彼女の声真似はいつも本人よりも格好よく聞こえる。


「銀色のアスタになったら、さっきのもう1回言ってね」


 ようやく笑いを抑えた彼女は穏やかな顔をして言った。


 何度でも言う、と頷いて示す。


 私はデッキブラシを高く掲げた――


 いいかな? ――うん、大丈夫。


「影を銀色に!」


 チハヤが探し出した色を変える魔法だ。


 二人の身体がふわりと浮き上がる気配がする――


   **


 浴場の照明が落ちて闇。


 眼が慣れてくる前に聞こえてくる嵐のような音。


 急な闇に身を寄せ、手を取り合っていた二人が辺りを見渡す。


 光狩、ベル、千早が浴槽の横、洗い場の近くで並んでいる。

 頭上のスマホからも聞こえる――械奈だ。

 浴室の外、建て付けの悪い引き戸の向こうの更衣室にも寮生が集まっている。


 みんなの拍手の音が浴場を包んでいる。


 照明が戻って私たちを明るく照らす。


 みんなの顔がよく見える。

 

  **


 鳴りやまない拍手の中、5時のチャイムが鳴り響く。

 鐘が合図となって入水口から勢いよくお湯が噴き出して浴槽の底を叩きはじめた。

 強固な段ボールはしばらく状態を保っていたが、ところどころにあった隙間から水が入って黒い染みが広がってゆく。


 あ、しまった、という顔のイワウ。


「アスタ! 靴下濡れた!」



  **(エピローグ)


「今日はユーリンチーある? まあいいよ、どれも美味しいからね。……ところでアスタ、公民になりたいって言う寮生がまたいたから預かってきたよ!」


 イワウが手にもって見せる聖符は一度浴槽で水浸しになったもので、天日に当ててよく乾かしたがうっすら染みが残っている。




 

 

 


 

 


 


 

 



 

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聖王様はヤンキーになれない~布教されるほど負担が増えます~ 尚乃 @green_wood

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