第57話 変えたらどうですか

「ここからは漕いでいこう」


 械奈の機械を使い続けると来世の国まで凍結させてしまいそうだ。

 氷塊から押し出して海面に浮かぶ舟に私は飛び乗った。

 もう海には私たち二人しかいない。

 火狩、ベルと械奈、千早が手を振る姿を思い浮かべる。

 

 来世の国に近づいてゆく舟。

 私とイワウは向かい合って座っていたが、彼女は眼の前で立ち上がる。

 マントの下のスウェットのポケットから取り出したものをこちらに差し出した

 

 ――イワウの聖符


 私も立ち上がって彼女の手から受け取った。

 

「旅はもう終わるから棺は要らないね」


 そう言う彼女は今、棺から魂に戻って船床に立っているのだ。

 波のしぶきがかかることを私が心配すると、海は静まっているから大丈夫と彼女は言った。

 もう争うことはなしにして二人は穏やかな顔を見せ合っている。


「来世の国に行ってみたいって思ったことはあるね。わたしたち二人は近くに寄るまでしかできないし、その聖符に名を刻んだのも遠い昔のことだけど本当のことだ」


 白状した彼女は続けて、


「ほら、わたしは蛍みたいに光っているか? このまま飛んでゆくこともできそうだ」


 もう私たちの舟は、来世の国のすぐ近くまで迫っているのだ。

 彼女の身体はふわりと浮かびそうだ。


「行ってみたいねえ」


 闇に紛れてまだ見ることのできない国に彼女は視線を送る。


 聖符を私は握りしめながら、


「飛んで行って欲しくはない」


 私も白状した。

 おお、と驚く顔をするイワウに、


「でも、イワウを来世の国に運べなかったら私はずっと後悔する」


 それも私はすっかり白状した。


 だから飛んでいって! ――ふーん、そうかそうか。


 彼女はよく分かったという顔をしてから言う。


「じゃあ一緒だな、わたしも来世の国に行かなかったことをずっと後悔する」


 二人の結論は出されている――


 どうやら私たちはと一緒に踊ることになるようだ。

 いや、よく見たら、迷いや闇もすぐそばでステップを踏んでいる。

 孤独だけはどこかに去った。と思ったら少し離れたところでまだ踊っている。

 

「暗いのが少し難点だけど海の上で暮らすのも悪くないよ、『住めば都』と言うらしい!」

「私たちはもう死んでいるし、影になってからの生活がいつまで続くか分からないけど仕方ないね、ちょっと暗い都だね」


 ゴリッ


 舟底の足を踏みかえた時に固いものを踏みつけて痛む。


 長い柄を手に取って私は持ち上げた。


 デッキブラシ。


 色を変える魔法が使える。


「ああ、魔法を使えば、もうちょっと暮らしが楽になるかもしれない」

「なるほどなあ、何を変える? 空か? 海か?」


 青空にすれば、海が暗くてもずいぶん違うだろう。

 やたら暗い海の方を変えるのがいいんじゃないか? あ、しまった。


「千早に聞きそびれた。魔法を使えるのは1回か、それとも何度も使えるのだろうか?」

「じゃあ、よく考えて、とっておきの色に変えよう」


 舟の上で私たちは思案する。

 私は片手にデッキブラシ、もう一方にはイワウの聖符を握っている。

 彼女は腕組みをして、いっそ氷の上の方が暮らしやすいか? 棺で滑って遊べるからな、などと呟きながら思案を続けている。


 魂に戻ったイワウの身体は淡い光を帯びている――

 私の身体はほどんと真っ黒だが、まだ完全には影になっていない――


「とにかく暗いのをどうにかしたいね……ははは! 狼だ!」


 ブラシを船床に付けて柄を抱える体勢にして、空いた片手の指で形を作ってイワウに見せると彼女は喜んだ。


 すぐに自分の手で子ぎつねを作るイワウ。

 楽しげに跳ねる子ぎつねは光を湛えている。

 子ぎつねを追う私の狼は、実に狼らしい荒々しい雰囲気だ。


「この狼の黒を変えたらどうなるだろう?」


 問いかけると、何色にするか悩む顔をするイワウ。


「魔法で私の身体の色をすっかり変えたら? 影の色じゃなくて」


 じっと私を見るイワウが帯びる光が増して輝いて見える――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る