マギ・アウローラ 〜剣の王と白皙の寵臣〜
紫陽_凛
マギ・アウローラ
プロローグ
魂の連結魔法
──見つけた。これだ。
はやる気持ちを抑えつつ、リルジェは一冊の本を抱えて、歴史と
アウローラの冬は冷える。山から吹き下ろす風と雪の冷たさ。そして乾燥した空気。離宮への長い長い道のりを走るリルジェの
それでも、リルジェには走るだけの理由がある。
遠目に見ただけでも寒々しい離宮は、近づいてなお古さが目立ち、手入れの行き届かない庭や、灯りの消された門扉などからも、その扱いの雑さが見てとれた。
何せ、ガタついた木製のドアを蹴り開けるだけで入ることができる。警備の男たちは扉の内側で、さしいれの強い酒を飲んで眠っていた。
リルジェは役立たずの衛兵とチラとも見ずに、大声を張り上げた。
「ジェイド、ジェイド!良いもんかっぱらってきたぞ!」
「リルジェ!」
すぐさま、この離宮でもっとも暖かい部屋の扉が開く。控えめな声音の主は、しいとリルジェをたしなめてから、その青い瞳を見開き、リルジェの有り様を上から下まで確かめた。
「雪まみれじゃないか!風邪を引いてしまうよ」
離宮の主──アウローラ国第三王子、ラウル=ジェイド・アウローラ。王国の始祖、アウローラ王の直系にも関わらず、王族に必須の「魔力」を持たずに生まれてきた。この離宮の有り様は、現王──ジェイドの父の、彼への期待を物語っている。
赤々と燃える暖炉も、かすかな蝋燭の灯りも、本来ならば必要のないものだ。「魔力」さえ持っていれば、暗い部屋を煌々と照らすことも、寒い部屋を過ごしやすい適温に保つこともできる。住居に魔力を灯すことは、
出来損ないの末王子──優秀な兄王子たちと比較され、そう蔑まれるのを耳にする。リルジェは、第三王子の、仮にも下男として、この状況をよしとしなかった。
『先生。わたしに魔法を教えてください。お願いです』
リルジェが孤児だった頃。仲間を引き連れ、魔法を使って泥棒をしながら、その日暮らしをしていた時のこと。
「貧民街の
『わたしは誰も落胆させたくないのです。もう、誰にも……がっかりしてほしくない』
くすんだ金髪の間から覗く青い目が、少し潤んでいるのをリルジェは見てしまった。
『お願いします。わたしにできることならなんでもいたします。住む場所と、食べ物くらいなら、こんなわたしでも都合できましょう……』
「ほら、暖炉にあたって」
ジェイドは自らも暖炉の前にしゃがみ込み、手を火にかざしながらそう言った。しかしリルジェは、本を抱えたまま胸を張った。
「風邪なんか引かないよ。俺を誰だと思ってるんだ?」
「……そうだね、先生」
リルジェは「自分の下男に先生はなしだろ」と唇を尖らせてから、パチンと指を鳴らした。
瞬間、穏やかな春風が吹き抜ける。暖炉の火は燃えたままだったが、部屋の温度は少し上がった。そして──リルジェの服はすっかり乾いている。
「リルジェは、すごいなぁ」
ジェイドは惚れぼれとリルジェを見上げた。リルジェの、真っ白な肌、そして白銀にも似た髪の毛と薄いピンクの瞳は、白皙と呼んでも過言でない。すっと通った鼻筋、小さな唇。天使のようだ、とさえ思う。しかし少女にも見紛う美しい少年は、そんなジェイドの眼差しに気づかない。
「これで盗み癖がなかったら完璧だと思うんだけど」
リルジェは何も聞かなかったことにした。ジェイドの隣に腰を下ろし、抱えていた本の埃を払うと、古い製法で閉じられた紙の束をばらばらと捲る。
「これさ。やあっと見つけたんだぜ。お前が魔法を使えるようになる方法」
「本当? そんな方法、どこを探してもなかったじゃないか。図書館の本はしらみつぶしに読んだのに……」
ジェイドは、リルジェがその本をバラバラにしてしまうんじゃないかと恐れながら、おずおずと尋ねた。
リルジェはあっけらかんと言う。
「
「禁帯出って、意味わかってる?」
諭すような口調のジェイドを無視して、リルジェは本の中身を読み上げた。
「“魂を結ぶ方法。魔力を持つものが、魔力を持たぬ者、あるいは物体に、コウキュウテキに魔力を供給する方法”」
「……恒久的に?」
「そ。コウキュウテキってなんだか知らねーけど、俺から魔力供給できたらお前も魔法使えるじゃん?」
リルジェは簡単に言う。しかし、本当にうまくいくんだろうか? ジェイドは不安になってきた。このまま進んでいいのか。
「でも、魂を結ぶって……どうなんだ」
リルジェはジェイドの言葉を敢えて無視した。
「いち。“術者の
「──俺は、見える位置じゃない方がいいかもね」
半信半疑のジェイドがそう言うと、リルジェはその肩を力強く掴んだ。
「よし、ジェイド。脱げ。横になれ」
「ええっ!」
「心臓の上に描く。これなら絶対見えないだろ」
「ちょ、ちょっと!リルジェ!」
無邪気に服を脱がしにかかる笑顔を前に、ジェイドは全てを暴かれそうになる。リルジェに寄せるやましい思いや、ほのかな恋心や……今でも「先生」と呼びたい気持ちまでも。
一方で、ふざけた振りのリルジェは必死だった。どうしても、ジェイド王子に魔法を使えるようになって欲しかったのだ。自分を初めて敬い尊重した「弟子」に応えたかった。ジェイドを助けてあげたかった。この寒々しい檻から。
ジェイドの胸の上に指で魔術印を結ぶ。この文様は本来自分で考案するものなのだが、リルジェはどういうわけか、それを幼い頃から知っていた。
「俺の身体にも描く、と。ここでいいか」
リルジェは、同じ印を自分の利き手の甲の上に描く。そして、ジェイドの胸に、その手を押し当てた。学んだわけでもない、
『結べ』
すると、魔法印は一瞬、白くまばゆい光を放ったかと思うと、チリチリと焦げるような微かな痛みと共に、皮膚に染み込むようにして消えてなくなった。
「……うまく、いったのか?」
胸元をはだけさせたままのジェイドが言った。リルジェは頷いて、「試してみろよ」と促した。
ジェイドはひょいと手を振った。脱がされた夜着のボタンが一つずつ勝手に嵌っていく。暗い部屋には灯りがともり、蝋燭は勝手に消えた。ジェイドが、ジェイドの意思で、魔法印で繋いだリルジェの魔力を行使したのだ。
「使えた……?」
「やった!やったぜジェイド!」
リルジェはジェイドの首に抱きついた。自らの変化についていけないジェイドは、魔法を使えるようになったことに感動するよりも先に、自分の胸を押さえて、呟いた。
「なんだか、俺がリルジェのものになったみたいだ……」
リルジェは答えることができなかった。魂は確かに固く結び合わさって、鼓動を一つにしていた。魂の連結魔法──開いたままの本の見出しを眺めていると、すぐ隣でジェイドが言った。
「お前の手がずっと、胸に置かれているみたいなんだ。変な感じだ」
「俺も、お前の心臓に触れてるみたいだ」
二人は顔を見合わせた。そして、互いの瞳に映る自分の顔を見て、お互いに視線を逸らした。リルジェは抱擁を解き、頬を掻いた。
「まず、寝る支度をいたしましょう、“殿下”」
「はい、“先生”」
「先生は無しって言ったろ!」
頬を赤くしてジェイドが笑うから、リルジェも嬉しかった。
二人の笑い声は、深夜まで響いていた。
──思えば、二人にとって、この時が一番幸せだったかもしれない。
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