別れの朝(3)

 葬送を終えた一同は、流れるように広いバルコニーへ向かう。アウローラ城の門の外には、弔問の民衆たちが群れをなしてバルコニーを見上げていた。

 ジェイドは父の車椅子を手で押し、バルコニーの中央へ、最も目立つ位置へと押し出してから、普段どおり一番後ろに下がろうとした。しかし王はそれを引き留め、右隣に息子を立たせると、自分の喉に拡声魔法を施した。


『悲しいことが起こった。皆も知る通りである。我が息子が二人、同時に、天へと旅立ってしまった』

 王のしわがれた声が、王都中に響き渡る。祈るように王を見上げる民衆を見渡して、ジェイドは困惑していた。

 自分はここにいてもいいのだろうか?

 これまで催し事があっても表に出ることがなかったジェイドは、兄二人が行事に参加するあいだ、常に一人で剣の鍛錬をしていた。そうすれば何も考えなくて済むからだ。自分の進退も、周囲の無関心も、無能な末王子への冷たい視線も、気にならないからだ。

 その無心の鍛錬が、陸軍の将校という立場に繋がったわけだが。


『タンザ。勇猛果敢な魔術師であった。此度の遠征では十分な戦果をあげ……その帰りに山賊に襲われねば、今頃はオリガ中で凱旋を行なっていただろう』

 後ろを向いて下男のリルジェを見ることも、隣に立ち前を向いている姪のエリザを見下ろすことも叶わず、遥か遠くまで続いている喪服の民衆を見渡す。これが国。我が父の治める国。

 離宮に隔離されていた頃には想像もしなかった景色が、ジェイドの目前に広がっている。

『そしてコーネル。誰よりも賢く理性的で、我が頭脳とも呼ぶべき存在であった。不運な事故に見舞われたこと、その事故を防ぐことができなかったこと……全てが、悔やまれる』

 ……これからどうなってしまうんだろう。ジェイドは父王をちらと見た。二人の兄ほどの才を、ジェイドは持たない。何より、父はジェイドに期待をしていない──。

『……そして、もう一つみなに報せがある。私は、この葬送の儀を以て、王位を退く』

 ジェイドはハッと顔をあげた。誰もが困惑していた。ざわつく民衆だけでなく、バルコニーの上でも、混乱が広がっていた。

「どういうことです!?」

 リエール夫人が夫の灰の瓶を抱きしめて喚く。誰もが目を剥いて、王の顔を見つめた。

『家族よ。知っての通り、我が身は何者かに呪われている。我が両脚は石と化した。この呪いが全身を覆うのも時間の問題だ』

 石。それを聞いた民衆から悲鳴が上がった。

『民よ。驚かせてすまない。……おそらく、タンザもコーネルも、何者かによる呪いで命を落とした。この身を流れるアウローラのが呪われてしまっているのだろう。そして私はもう、長くあるまい……』

 ざわめく国の中央で、王の青い瞳が、ジェイドを見た。

『ラウル=ジェイド・アウローラ。無に祝福された我が息子よ。お前にこの国を託す』

 ……そんな。まさか。どうして。

 どうして俺に。

 ジェイドの思考が、ついに止まってしまった。

「魔力を持たぬ王族など聞いたことがない!」

 誰かが叫ぶ。そうだそうだとヤジが飛ぶ。一方で、万歳の声が聞こえる。ジェイド王。ジェイド王様、万歳! 陸軍の部下たちだろうか。いやそんなことはどうでもいい。民衆もバルコニーも二つに分裂してしまっていた。言い争い、小競り合い、混沌とした風景が広がっていた。どうする。どうすればいい。どうすれば……。

 ジェイドは、心臓の上に手を当てた。

 リルジェ。リルジェ。俺に力をくれ。俺の背中を押してくれ。俺の、俺だけの魔術師よ。

 呼びかけに応えるように、声が聞こえた。

──おうよ、ぶちかませ。

 ジェイドは自らも拡声魔法を使った。

『みな、静かに、聞いてほしい』

 声は震えた。みっともなく聞こえただろう。

『私は、王の器に満たぬ未熟な王子だ。皆も、知っての通りだ。魔法も、亡き兄上たちと違い……この程度しか使えない』

──この程度、だなんてよくも言ってくれたな。

 リルジェが悪態をついた、ような気がした。その悪態が、ジェイドの緊張を和らげてくれる。

『だが、この国を想う気持ちだけは本物だ。どうか信じてほしい。この勲章、この剣……私が持てる全てを賭けて誓う、このアウローラ王国を、守ると』

 あたりはしん、と静まりかえった。争いも、怒声も、混沌も消え去り、凪だけがあった。

『しばらくジェイドには私の補佐として働いてもらう。追って戴冠の儀式を行う予定だ。……皆、次代の王に拍手を』

 バルコニーからはまばらな拍手が。民衆からは割れんばかりの拍手が贈られた。

 リエール夫人は射殺さんばかりの眼差しでジェイドを睨みつけていたが、エリザはジェイドに駆け寄って、魔法で作った花冠を差し出した。

「おじさまは王様になるのね。きっと剣の王様ね」

「……ありがとう、エリザ」

「エリザ!余計なことをしないの!」

 母に乱暴に手を引かれながらも、エリザはジェイドに手を振っていた。ジェイドは笑みで彼女を見送った。



 バルコニーから縁者の姿は消えつつあった。ジェイドは民衆に一通り手を振ったあと、リルジェはどこに行ったろうかと大広間へ戻った。

 そこへ、見慣れない服装の二人組が駆け寄ってきて、ジェイドを取り囲んだ。

「ジェイド様、この度は、おめでとうございます」

「おめでとうございます。我が事のように嬉しゅうございます」

 二人は、一様に灰色の服を纏っている。深々とフードをかぶっていて、顔は窺い知れない。一応礼服のようではあるが、珍しい色と形だ、とジェイドは思った。

「ああ、ありがとう。皆のお陰だ……」

 握手を乞うように差し出された手を握ると──チリっとした痛みが、心臓の上を撫でた。

「……なんだ? 今のは」

「ジェイド様。いずれまた、お目にかかることもございましょう」

 灰色のフードの下で、二人は歯を剥き出して笑った。

「それまで、ごきげんよう……」

「きゃあ!」

 男の声に被さるようにして、女の悲鳴がジェイドの耳を貫く。

「大丈夫ですか!大丈夫ですか!どなたか!誰か!」

 騒ぎの方を見れば──魔法の解けた木綿服姿の男が力なく倒れていた。利き手に嵌めた手袋には夥しい血が滲み、今も止まらない。そのためか白皙の美貌は青白く褪せていた。

「リルジェ、──リルジェ!!」

 ジェイドの顔からさっと血の気が引いた。なんだなんだと集まる有象無象を掻き分け、最愛の魔術師を抱き起こす。

「リルジェ、おい、リルジェ!」

 冷たい頬を撫でさすり、血まみれの手袋を脱がせる。あの日の魔法印シールの形の傷が、どくどくと血を流し続けていた。

「リルジェ!」

 治癒魔法を。治癒魔法を施さねば。焦るジェイドはすぐには気づけなかった。心臓の上が熱くならないことに。

 冷たくなっていくリルジェの体を抱きしめて、ジェイドは祈った。治癒魔法が効くことを、祈り続けた。

「リルジェ、ダメだ、リルジェ、置いていかないでくれ」

 ──そう、すぐには気づけなかった。リルジェとのこと、もはやジェイドは、使ことに。


 そう、ジェイドも呪われたのだ。

 


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