第6話 眉毛犬さんのアバター彼氏

 結局、あれから一週間、なんの進展もなかった。それどころか、カフェに行ってもしずくさんの姿はなかった。


 また何か失敗をして、それを気に病んでシフトを休んでいるのだろうか。さりげなく様子を聞くメッセージを送ろうかとも思ったけれど、もし試験前とかで休んでいるだけだったら……と考えて、何も送れていない。


 一人で何度も店に行くのが気まずくて、藤田君を誘った。別に、たくさんいるお客さんの一人なんか誰も気にしないだろうけど、自分が気にしてしまう。


「あ、コンビニ寄っていい?」


 お茶したあと、藤田君がふいに言った。学校と駅の間で、自分もよく使う店だ。


「うん。なんか、新しいやつ出てるかな」


 コンビニで、スイーツやパンの新作をチェックするのは楽しい。胡椒で登校してたときも、友だちと下校時に立ち寄ったりしていたけれど、リアルの友達とリアルにコンビニに入るのは、別格の楽しさだ。

 なにせ、気に入ったらその場で買って、一緒に食べられる。


 ふたりであれこれアイスケースやらカップ麺の棚まで冷やかして回って、買い物をしてから店を出ると、駐車スペースのところに、見知った眉毛犬さんがいた。店の店員さんと一緒だ。


 ―――休憩中かな?


 店員さんのほうも、よく見るアバターだ。すんごいアニメ調のイケメンで、これを堂々と使えるところから、おそらく外国から働きに来ているのではないかと踏んでいる。


 ちょっと眉毛犬さんと目があって、会釈する。向こうも、ちゃんと顔を覚えているようだ。会計をしてる藤田君をちょっと待つ瞬間に、眉毛犬さんが近づいてきた。


「宮地さんですよね」


「あ、はい……」


 ―――名前、知られてるんだ。


 雫さんが話したんだろうか。相手は、ためらいがない。


 ぶさいくな白い犬のアバターに、マジックで描いたような眉毛が浮いていて、怒った顔に眉がり上がった。


「直球で聞いちゃいますけど、宮地さん、ぶっちゃけ雫のこと好きですか?」


 ―――え………。


 喉のあたりが詰まって声が出ない。眉毛犬のうららさんは、答えを待たずにたたみかけてくる。


「その気がないなら、変な同情はしないでやってください。もし、雫を好きでいてくれるなら、ちゃんと答えを与えてあげて」


「こ、答えって……」


 こんなの、生殺しでしょと眉毛犬さんは憤慨ふんがいする。


「思わせぶりにアドレスくれたり、でもメールは何もこない。振り回して楽しい? 相手はコミュ障の女の子だよ?」


 わかるでしょ、と説教されたところで、藤田君が隣に来た。


「カフェの子だよね?」


「藤田君……」


 ちらりと眉毛犬アバターが睨み上げたので、霧は慌てて説明する。


「友だちで、あの、一緒に店にも行ってて、し……加藤さんのことも知ってるよ」


「知ってる。私、この人も覚えてるもん」


 雫さんは、アドレスをもらったきり連絡がないことを気に病み、何か失礼なことをしてしまったのではないかと悩んで、バイトを休んでるそうだ。


「そんな……あの、特に何か連絡する用事とかがないから、送らなかっただけで」


「おはようとかおやすみとかだけだっていいじゃない。女の子の気持ちも考えなさいよ」


 あの子は繊細せんさいなんだから、と眉毛犬さんは言う。


「そういう相手だってわかって付き合ってるんでしょ? 配慮はいりょしてあげてよ」


「あの、まだ付き合うとか……そういう話をしたことなくて……もちろん、ステキな人だとは思ってます」


 眉毛犬さんは、腰に手を当てて説教ポーズだ。


「なら、ちゃんとリードしてあげて。あの子が自分から告白とか、できるわけないでしょ」


 このままじゃ、休みすぎてバイトもクビになってしまう。そうしたら、ただでさえ傷つきやすい雫は、また引きこもってしまうと訴えられた。


 はい、と返事をしそうになったとき、隣で藤田君がぼそっと口を開く。


「恋愛で悩んだからバイト休むとか、メンタル弱すぎ」


「ちょっと……」


 止め気味に視線を投げても、藤田君はやめない。


「繊細とか、メンタル弱いから配慮とか何? 霧も、繊細でメンタル弱いんだけど、そしたら彼女は何か配慮してくれるの?」


「……っ」


 アバターの眉が、ひくひくと動いている。隣にいた超絶イケメンアバター君が、そっと彼女の肩に手をやった。


「行こう。君は、もう伝えるべきことは全部伝えただろう?」


「ポル君……」


「雫さんは君ではないんだから、それ以上のことはできないよ。あとは、雫さんが対処するべきことだ」


 眉毛犬さんは何かブツブツ言っていたけれど、あとはポル君というイケメンに背中を押されて道路の向こうに消えていった。スマートグラスを指でそっと押し上げると、ポル君の胡椒は、店員さんがログインするやつではなく、店に置かれているレンタルログインタイプだった。


 店員の胡椒は、肉眼だけで来店した人にもはっきり区別がつくように、胡椒のボディをコンビニの制服柄でラッピングしている。そのタイプの胡椒は店の敷地とか、制限した範囲から外には出られないので、おそらくポル君はバイトが終わったあとに店員用の胡椒をログアウトし、店のレンタル機に入り直したんだと思う。


 ぼーっと二人を見送っていたら、藤田君がぼそっと謝ってきた。


「ごめんね。出過ぎたこと言って」


「あ、ううん。全然……てか、ありがとね」


 フォローしてくれたんだというのはわかる。そう伝えると藤田君はちょっと呆れたように眉毛犬さんの消えたほうへ目をやった。


「俺、ああいうのホント好きになれなくて……」


 一番上のお姉さんが、わりと繊細なタイプなのだそうだ。


「なんか“私は弱いんだから気を遣え”って強要されるのがさ。たち悪いよね、弱さをたてにしておどしてくるんだぜ」


「……」


 藤田君の気持ちもわかる、そして眉毛犬さんの言い分もわかって、僕は何も言えなかった。


 小中高校での胡椒登校は、いわば「僕は繊細です」とバリアを張ったようなものだ。「メンタル弱いんだから、いじめないでよ」とロボットで登校することで主張している。


 通学しているほかの子からすれば「ずるい」と思うことはいっぱいあったと思う。体育は見学でいいんだし、暑さ寒さも耐えなくて済む。負荷の調節はVスーツでできるから、机を運んで掃除をしたりも、「疲れなくていいな」と思っただろう。しかも、それを「いいな」と言ってはいけない教育なのだ。


 胡椒で登校する子たちには、いろいろな背景がある。身体のどこかに不自由な部分があったり、メンタルが繊細だったり……つまり、「みんなより弱いのだから、配慮してあげないといけない」と先生に言われる。


 「ずるい」という非難を口封じされて、同級生たちはその不公平感に耐えなければならない。自分が強いから。自分が「人並み」だから。だから、「ふつうの子」は胡椒を使っちゃ駄目。疲れても、大変でも、リアル登校しなきゃいけない。


 ―――じゃあ“弱いもの勝ち”じゃん、てなるよな。


 だから、小学校ではいじめられた。当時はいじめてくる同級生たちを憎んだけど、一歩大人になった今なら、彼らの感じた不公平感も、少しは共感できる。


だからって、いじめという行為を認めるものではないけれど、配慮の強要や「メンタル弱いですから」とシャッターをガラガラ降ろされる側の、やるせない気持ちもわかる。


 同時に、眉毛犬さんの言い分や、雫さんの気持ちもわかるような気がするのだ。


「繊細」とか「メンタル弱い」でくくられてしまうけれど、本当に、耐性って個人差がある。そういうのは、藤田君のように動じないタイプには、わからないだろうと思ってしまう。


 子どものころの、僕の歩き方はちょっと左右に揺れた。けれど、歩けないわけではないし、痛みがあるわけではない。けれど、僕は人の目を引いてしまう自分の動作がすごく気になった。


 周囲がどんなに「たいしたことないよ」と言われても、視線に敏感になった自分の気持ちは、誰にもわかってもらえないと思っていた。


 そのくらい、と大人はみんな言う。でも、「ふつうに」歩ける人にとっては「そのくらい」なのだろう。でも、彼らが1センチ程度に感じる差は、その頃の僕には1メートルくらいに感じた。


 とてつもない高い壁だったのだ。でも、それを訴えると、やっぱり「気にしすぎ」とか、「メンタル弱い」と言われる。

 心は目に見えない。身体は傷ついたら血が流れたり、あざれで気づいてもらえるだろうけれど、心はどれだけ傷ついたか、主観しゅかんでしか計れない。


 ガラスのハートの人もいるし、強化プラスチックでできたハートの人もいる。自分が、平均よりずっと傷つきやすい素材でできてるのは、自覚してる。


 宅配便なら、壊れやすいものには「ワレモノ注意」とラベルを貼れる。でも、人間に対して「ワレモノですから」とラベリングすると、そっと取り扱わなければいけない相手にとっては、すごく負担だ。


 そのせいで、浅い友だちしかできなかった。


 ―――わかってるよ。自己責任だよ。


 自分で、「大切に取り扱ってください」と宣言してるのだから、そう扱ってくれる人しか近づいてこない。


 中高と、友だちは「いい人」ばかりだった。生まれた時からさとりを開いてるのかと思うほど穏やかな、できた人ばかりで、ありがたくて涙がでそうなほどだった。


 でも、彼らは「宮地霧」に魅力を感じてくれたわけじゃない。あの人たちは博愛で、クラスにいるどんな人も取りこぼさずに、穏やかに仲間にしてくれる。


 平等な友愛。特別な誰かとの、特別な絆ではなく、公平に、すべての人に与えられるべき親切。


 学校が別々になった今でも、連絡すればきっと笑顔で対応してくれるだろう。けれど、彼らが大切にしている親友や恋人たちとは、別な顔しか見せてもらえない。


「……」


 自分が、胡椒登校をやめようと決心したのは、それが理由だ。胡椒というクリアな壁を一つ作って、傷つかない、心地よい環境を守り続けて、その実、誰からも手を伸ばされない孤独に耐えかねたのだ。


 傷ついてもいいから、それでもリアルにその手を取れる相手が欲しい。無難ぶなんな白い犬のアバターではなく、平凡で取り柄のない容姿の、自分を認めて仲良くしてくれる友だちが欲しい。


 ―――雫さんは、どうだろうか。


 もし、本当にメールが来る、来ないで悩んでバイトに来れなくなるくらいなら、自分よりずっと繊細で悩みやすいんだろう。でも一方で、藤田君が言うように「弱さを盾に」し続けたままで、この先もずっと行くのはキツイと思う。


 リアルの世界でも、仮想の世界でも、人間関係につまずく人は、やっぱり同じところでつまずく。見た目のハンディをアバターで消しても、性格やコミュニケーション能力がチートになるわけじゃない。


 このままじゃ駄目なんだと雫さんに言いたい。自分ができたから、雫さんもできるとは言わないけど、このままいつまでも眉毛犬さんみたいに優しい人に庇われたままで生きていくのは無理だ。眉毛犬さんだって、いつか重たすぎる友だちを捨てたくなるかもしれないんだから。


「ごめん、霧……」


「え、あ……い、いやっ、黙ったのはそういう事じゃなくて」


 人の人間関係に余計な口を出した、と藤田君は謝る。霧は一生懸命それを否定した。


「違うんだ。藤田君も指摘が、あまりにもごもっともで…」


 ―――雫さんと、話がしたい。


 ちょっとリアルに登校したくらいで、偉そうに上から目線で説教……みたいにならないようにしたいけど、でも、リアルの良さを雫さんに伝えたい。

 霧は、まだ心配そうな藤田君に笑顔で頭を下げた。


「ありがとう。藤田君の、そういうとこ、すごく僕にとってはありがたい」


 優しい人は、傷つけないように話してくれる。でも、もっと優しい人は、耳に痛い本当のことを話してくれる。


「むしろ、もっと言ってほしい」


「霧……」


「もっと、僕の悪いところとか、指摘してほしいんだ。ちょっと、面倒かもしれないけど」


 よろしくお願いします、と頭を下げたら、藤田君は苦笑した。


「マゾっぽいね。でも、霧はもっと自信もっていいと思うよ」


 君はいい奴だよ、とそう言ってくれる藤田君のほうが、数倍いい人だと思う。


 ―――ありがとう、藤田君。


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どうぞよろしくお願いします。


*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。


逢野 冬



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